先日、母と福岡で過ごしました。

神様の証

母は、今から約40年前に父と離婚し、私と妹は父に引き取られました。

私の当時の印象としては、母は私と妹をあっさり手放した印象を持っていまして、私は幼心に、母のことを快く思っていませんでした。(もっとも幼い時の私は、祖父や父を慕っていました。)

私の気持ちの中に「捨てられた」という思いがあったからです。

最近聞いた話ですが、それが誤解であり、母も私と妹、少なくとも妹だけは引き取りたかったようですが、父の母(私の祖母)がそれを許さなかったようです。

両親が離婚後、数年ほど経過して母に会ったことがありました。

確か、継母の取り計らいだったと記憶しています。

当時の私(小学校4年生か5年生くらい)は、母との再会を素直に喜べず、継母に「もう会わなくてもいい」と伝えた記憶が残っています。

今にして思うと、少々残酷なことをしてしまったと感じます。

当時の私は子供でしたから、母の境地を思い図ることができなかったということです。

そして母は、私が大学生の時(約25年前)に再婚して、今に至っています。

その再婚相手の方とは、私が大学生の時にお会いしたのが最後でしたが、しっかりと私のことを覚えていて下さいました。

今回は、母とその方で、飛行機で来られました。

9時半くらいに到着し、15時半くらいに戻りましたので、約6時間一緒に過ごしました。

母にどこか行きたい所はないか尋ねましたが、特段なく、私の部屋を見たいと言いました。

母の旦那さんも同じく私の部屋を訪れたいと言いました。

私の部屋は大変狭いのですが、2人とも、一人暮らしなら十分だと言っていました。

今回も、沢山話をして過ごしたのですが、母から聞いた驚く話を2つご紹介したいと思います。

①今から約30年前に、今回の出来事を予言した方がいたそうです。

平成初期のことだそうです。

母が、たまたま祈祷師の様な方と話す機会があったようで、その方に「あなたの息子さんは、将来あなたのところに戻って来るよ。」と言われたそうです。

「あなたの息子さん」とは、当然ながら私のことです。

祈祷師の方も、悪霊に取りつかれているような方だったかもしれませんが、もしかすると、神様がその祈祷師の方を使って、母に伝えたのかもしれません。

実は神様が、悪魔崇拝者(エジプトの王)を使って、神様に従順だったユダの王に伝えるような場面が旧約聖書にあります。

歴代誌下35章20節~24節                                       ヨシヤが神殿を整えるために行ったこれらのすべての事の後、エジプトの王ネコがユーフラテス川の近くのカルケミシュを攻めようとして上って来た。ヨシヤはこれを迎え撃つために出陣した。しかしネコは使いを送って言った。「ユダの王よ、わたしはあなたと何のかかわりがあろうか。今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐように命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる。」しかし、ヨシヤは引き返さず、攻撃のために変装して、神の口から出たネコの言葉を聞かなかった。そして彼はメギド平野の戦いに臨んだ。射手たちがヨシヤ王を射た。王が家臣たちに、「傷は重い。私を運び出してくれ。」と言ったので、家臣たちは王を戦車から降ろし、王の第二の車に乗せてエルサレムに連れ帰った。王は死んで、先祖の墓に葬られた。ユダとエルサレムのすべての人々がヨシヤの死を嘆いた。

これはヨシヤ王を守るために神様がなさったことなのですが、ヨシヤ王はそれを理解できず、結果的に命を失うことになりました。

神様は、このようにいかなる人間を使ってでも、伝える場合があるということです。

以前の記事でも書きましたが、私が神様に繋がることができたのも、母方の血筋のお陰だと思っています。

ちなみに母は、私が自分のところに戻ってくるなどとは絶対に有り得ない、とその当時は心の中で思っていたそうです。

それも、私の父が、私に対して執着心が強く、離婚する時にも、私の妹は手放しても、私のことは手放さないと意思が強かったようです。

そして現在、私は父と関係が悪化して絶縁となり、こうして母と再び繋がり、30年前の予言が的中する結果となりました。

私は鳥肌が立ちました。

このような奇跡的なことが現実に起きるのだと、改めて驚きました。

神様を強烈に感じた瞬間でした。

母と再び繋げて下さったのは、神様だと確信できました。

②母がこの世の中の真実を知ったのは、今年の2月か3月でした。

私が母と再会したのが4月末でした。

RAPTさんが御言葉の中で、「神様は、その人その人に様々な『時』を用意して下さっている」、とよく話して下さいます。

願いが叶うにも『時』があり、祝福が与えられるのにも『時』があり、人と繋がるにも『時』があるということです。

私は、母との再会が4月末だったのは、その時でなければならなかったのではないか、と感じたので、母に世の中の真実をいつ頃知ったのか尋ねてみました。

すると、つい最近であり、今年の2月か3月だと言いました。

これも神様を強烈に感じた瞬間でした。

もしも昨年に母と再会していたら、やはり母からも私がおかしくなったと思われていたかもしれず、私も母とも縁が無かったと思うしかなかったでしょう。

それこそ、お互い連絡を取らないようにしていたかもしれません。

実際に、私が父方と関係が悪化したのは、昨年のお盆の時期でした。

ですから、昨年の内に母と連絡を取ろうとしても、何ら不思議ではなかったのです。

しかし、私の頭の中に、なぜか母のことは思い浮かびませんでした。

それが、今年の4月に、父方と絶縁が決定的になったタイミングで、私の頭の中に母のことが浮かんだのです。

皆さんは、このことが果たして偶然に起きたと考えますか。

神様が隠密に計られていたのではないかと考えるしかありません。

母と再会できる期が熟したところで、即ち、母が世の中の真実を受け入れる用意が整ったところで、私と父を断絶させ、私が母と繋がるように促されたとしか思えないのです。

それくらい、父からの連絡のタイミングも絶妙だと言うしかありません。

父からの連絡は4月中旬でしたから、タイムリーと感じるしかありません。

以上のように、私は信仰を持ってからというのも、些細なことも含めて、不思議な体験をすることが多くなりました。

当然と言えば当然ですが、この母との関係再構築は、今後の私の人生において必要なことなのではないかと考えています。

神様のもとで起きることは、何一つ偶然ではなく、神様の、その人に対する計画の中で起きていることだと、私は考えています。

このことも、どういった御心が御有りなのか祈り求めることで、答えを頂き、正しい道へ進んでいけるよう努めていきたいと思います。

最後に、先日のRAPTさんの朝の祈り会の御言葉の見出しを紹介させていただきます。

2023年6月5日(月)                                      真理が与えられたということは、祝福と恵みの道が開かれたということだ。真理を知らない人は、どんんなにもがいても幸福にはなれないし、逆に真理を正しく悟って実践する人は、どんなに祝福を避けようとしても、祝福がその人の後を追いかけてくるからだ。

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