この体験を通して何を伝えたいのか、この記事の下段部分に書いています。
また、画像は原付バイクの写真ですが、今回の記事が原付バイクに関することですので、それを画像にしました。
原付バイクの運転は、細心の注意を払って運転しましょう。
本題に入ります。
大学1年生の時の出来事でした。
今から約30年前の話になります。
高校卒業してすぐに原付の免許を取りました。
福岡の大学に進学しましたが、福岡では原付に乗ることは無く、もっぱら帰省した時に実家にある原付で友達とよくツーリングをしていました。
ある日、私は一人で原付でドライブをしていました。
田舎の道は、車も少なく、けっこう快適に走れます。
スピード超過していたかどうかは覚えていませんが、見通しの良い片側一車線の道路を進行中の出来事でした。
一応、汚いですが絵を添付します。
脇道があって、そこから車が出てこようとしていました。
私が走行している側から車が出てこようとしていたのですが、何と私に気付かず、スーッと出てきたのです。
脇道からの左折でしたから、私はその車を回避しようとして、対向車線側に身をかわしました。
すると、対向車が目の前に迫っていて、私は正面衝突すると覚悟しました。
死んだと思った瞬間でした。
原付で車と正面衝突すれば、おそらくは助かる見込みは無いでしょう。
今でも映像として頭に浮かびます。
それ位、死の間際というのは鮮明なのでしょうね。
スローモーションとまでは言いませんが、それ位鮮明に記憶があります。
死んだと思った瞬間、対向車線側の路側帯に目が向き、そこにちょっとした退避スペース的に広くなっている箇所があり、瞬時にそこにかわしました。
退避スペースと言っても、原付一台ぎりぎりといったスペースで、車だったら退避スペースからそのまま下に転落してる(数メートル下は田んぼでした。)ほど、狭いスペースでした。
その退避スペースのお陰で、正面衝突を避けることができました。
しかも、何ら怪我もすることなく、無事でした。
ちなみに、退避スペースがある箇所は、付近ではそこの箇所だけで、他の箇所で正面衝突しそうになっていたら、そのまま正面衝突するか、崖下に転落していたか、でした。
いずれにせよ、死ぬか大怪我か、といったところだったでしょう。
それが、ほんの少しの退避スペースがあったために、何事も無く助かりました。
その当時は単に、助かったあ、とだけ思いましたが、今にして思えば、神様が守って下さったとしか思えません。
皆さんは、これをたまたまだと思いますか?
たまたま退避スペースがあったのでしょうか。
そのたまたまによって、命が助かったのでしょうか。
いいえ、私はたまたまとは思えません。
しかも、私だけでなく、正面から来た対向車も、交通事故を回避できたわけです。
下手をしたら、その車が更に対向車側にハンドルを切っていれば、後続車両も対向車も絡んだ大事故になっていた可能性も否定できないのです。
それこそ、田んぼに転落した車があったかもしれません。
ほんの少しの退避スペースが、私だけでなく、別の方々も救ったと言えるでしょう。
これこそが、神様のお力なのです。
その道路が、路側帯のスペースがある程度確保されている道路であれば、たまたまと言ってもいいかもしれませんが、その道路は、歩行者自転車が通行する際にも、道路上を進まなければならないほど、路側帯スペースが狭い道路でした。
当時の田舎の道路というのは、こういう道路が結構多かったのです。
そして、ほとんどの所で、路側帯の下は崖みたいになっていて、数センチ下や数メートル下は田んぼや畑、ドブといった光景が目立ちます。
ガードレールくらい設置すればいいのに、と思いますが、その設置ができないくらい、路側帯スペースがないわけです。
ガードレールを設置しようものなら、それこそ片側一車線も確保できないくらいの道路の狭さです。
そのような道に、退避スペースがあったわけですから、奇跡としか言いようがありません。
このことは、人によっては小さい出来事のように思われるでしょうが、私にとっては大きな出来事でした。
交通事故というのは、その被害状態によっては後遺症が残ります。
後遺症の内容によっては、その後の人生に大きな影響を及ぼします。
私は今、RAPTさんが配信なさる御言葉を聞いていますが、神様は霊の方なので、神様が地上で事を成すためには、人間の肉体を使うしかない、と仰せになっています。
もちろん、神様は信仰を持った人間の体しか使えません。
それ以外の人間は、日頃から知らず知らずのうちに悪魔(サタンと言います)に使われているのです。
神様の御心(みこころ)は、人間が行わなくてはなりません。
人間の肉体が五体満足であればこそ、神様の御心を成せるのです。
つまり、神様は私に対して(本当は神様は全人類を使いたいのです。)、私の体を使って御心を成してほしいと思われていたからこそ、私の命だけでなく、肉体が傷を負うことからも守って下さったのではないかと思うのです。
※この当時の私は、まだ神様の存在を知りませんでした。
そう考えますと、今の私は頻繁に車の運転をしますので、改めて安全運転に配慮しなければならないと思いました。
もちろん、神様が私の体を使うためには、神様の御言葉に従った人生を過ごさなければなりません。
まだまだ、私は神様から使っていただけるほどの人間に成長できていません。
皆さんは、自分の体は親からもらった体、と思っているでしょうが、そもそも人間を作ったのは神様です。
人間の進化論は大嘘です。
人間は始めから人間です。
皆さんの両親も、元を辿れば神様が創造なさったのです。
旧約聖書の創世記にはっきりと書かれてあります。
つまり、自分の体は神様からいただいている体なのです。
だから大切に扱わなければなりません。
だから健康管理も大事ですし、車やバイクを運転する人はルールを守った安全運転に努めるべきですし、日頃から五体満足であることに感謝しなければならない、ということです。
今回は、このことがお伝えしたくて、事故から救われた体験を書かせていただきました。
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