昨日の2024年9月11日の広島×巨人戦の試合結果ですが、9-2で巨人が勝利しました。
この試合は、8回終了時点で広島が2-0で勝っていました。
しかしながら、9回表の巨人の攻撃で9点取られて、敗戦となったのでした。
まさに、天国から地獄に突き落とされたような試合結果でした。
守護神として抑えのマウンドに立った栗林良吏(りょうじ)投手が、四死球連発で、自滅する形で得点を許してしまったのです。
9回表のスコアブックですが、1人目に四球、2人目に四球、3人目にレフト前ヒット、この時点で無死満塁の大ピンチとなりました。
この時に、広島の新井貴浩監督がマウンドへ向かい、栗林投手を励ます言葉をかけたようですが、結果は散々なものとなるのです。
4人目に死球を与え、押し出しとなり1点を奪われ、5人目にレフト前ヒットを撃たれ、2点目を奪われ同点となり、そして6人目に再び四球を与え、押し出しとなり3点目を与えて逆転を許してしまいます。
確か、ここで降板となりました。
つまり、一つもアウトを取れずに降板となったのです。
抑えの投手が、何らかのアクシデントでもない限り、ここまで無様なピッチングをしたケースは、まず記憶にありません。
正直言いまして、昨日の栗林投手は、何をしにマウンドに上がったのか、全く分からないような内容でした。
打たれて逆転されたならまだしも、ストライクが入らず、完全なる自滅による逆転でしたので、多くのファンがしらけてしまったのではないでしょうか。
何も知らない人達は、これを単なる栗林投手の不調(精神面でもあり技術面でもあり)だと思うでしょうが、私はそうではないと確信しています。
そうです。
神様による裁きです。
栗林投手は、確認できる範囲においては、護摩行を行っている様子はありませんが、新井貴浩監督をはじめ、数人が護摩行を行っているので、その報い、つまりは裁きを受けているのです。
護摩行は「悪」です。
神様に反逆する行為です。
裁かれないわけがありません。
実際に、広島東洋カープは9月に入り、8月までとは別のチームに変わったかのように、まるで勝てなくなりました。
2024年9月11日時点で、2勝7敗です。
しかも、8月までは投手陣が完璧と言っていいほど出来が良く、投手力でセ・リーグの首位に立っていました。
しかしながら、9月に入って投手陣が崩壊しだしたのです。
先発陣が軒並み点を取られるようになり、抑えられなくなっているのです。
そして、昨日の栗林投手の大炎上沙汰です。
私はかねてから、広島東洋カープは護摩行の報いを受けると言い続けてきました。
8月までは、極めて順調に成績を収めていましたので、私もなぜだろうと思っていましたが、9月に入って、完全に風向きが変わりました。
9月になってからの広島東洋カープの惨状は、ファンにとっては堪えがたいものがあると思います。
何しろ優勝争いをしていたわけですから、ここまで醜くなるとは誰が予想したでしょうか。
私の記憶では、9月の時点で優勝争いをするようなチームが、ここまで失速するパターンは思いつきません。
だいたい優勝争いから脱落するようなチームは、8月の段階でその兆しが見え出すのが常です。
1996年のメークドラマと言われた巨人の優勝も、7月時点で首位に立っていた広島が2位巨人に11ゲーム差を付けて独走状態だったにもかかわらず、8月に入り広島に怪我人が続出したことにより失速してしまい、9月には優勝争いから脱落し、結果3位で終わりました。
また、2008年のメークレジェンドと言われた巨人の優勝も、7月時点で首位に立っていた阪神が2位巨人に13ゲーム差くらい離して独走状態だったにもかかわらず、8月から9月にかけて失速してしまい、逆転優勝されてしまいました。
今回の広島東洋カープの場合は、極めて稀なケーズだと言えるのです。
8月終了時点では、誰もが広島東洋カープが優勝しそうだと思っていたはずです。
「誰もが」というのは語弊があるかもしれませんが。
9月の大失速を、果たして誰が予想できたでしょうか。
私だけです。(笑)
私は広島ファンではありますが、最近では広島が負けると喜んでいる自分がいるのを感じるのです。
これはどういうことか分かりますか。
人間には霊体と肉体があります。
つまり、人間には2つの自分がいるということです。
私の肉体は広島に勝ってほしいと願っているのですが、私の霊体は広島が裁かれることを願っているということでしょう。
だから、昨日の試合を見ていても、物凄く不思議な感覚だったのです。
残念がっている自分もいれば、喜んでいる自分もいると、はっきりと感じていたのです。
残念がった自分とは肉体であり、喜んでいる自分とは霊体です。
人間の霊体は、どんな人(たとえ悪人であっても)の霊体であれ、清くなり神様と通じたいと願っています。
つまり、人間の霊体はどこまでも「悪」を嫌っているのですから、広島東洋カープが護摩行の報いを受けて裁かれているとすれば、当然ながら私の霊体はそれを見て喜ぶでしょう。
「地上界で起きていることは、霊界でも同様に起きている」「地上界は霊界の反映だ」とRAPTさんはかねてから仰せですから、その通りのことが起きているということだと私は考えます。
もしも私が信仰者でない広島ファンだったら、みんなと同じように昨夜は悔しすぎて、眠れなかったかもしれません。
それくらい、昨日の負けはファンにとってショックだったと思います。
人間にとって、想定外のことが起きるとそれだけで脳に混乱が生じますからね。
私にとっては昨日の試合結果は想定内でしたので、全くショックはありませんでした。
まあ、9回に9点も取られるというのは想定外でしたが。(笑)
4点か5点くらい取られて逆転されると思っていました。
昨日の逆転された直後の広島東洋カープのベンチは、お通夜状態でした。
新井貴浩監督も放心状態のように見えました。
と言いますか、完全に思考停止状態になっている様な表情でした。
私は、彼がなぜ名将と言われているのか、全く理解できません。
名将と言われる最低条件として、チームを優勝に導くことだと思うのです。
確かに、4年連続下位に低迷したチームを、優勝争いできるチームにしたことは素晴らしいと思いますが、これならば巨人の阿部慎之助監督にも同じことが言えますが、彼が名将とは言われている感じがありません。
私が承知していないだけでしたらご勘弁を。
阿部慎之助監督も、2年連続4位のチームを優勝させられるところまで導いているのですから、彼も名将と言われるべきでしょう。
なぜか新井貴浩監督だけ目立つような感じになっているのが、私には昨年から違和感でしかありませんでした。
ましてや、新井貴浩監督は昨年も9月にチームを失速させてしまい、結果的にギリギリの2位でした。
そして今年も9月に大失速です。
これが名将と言えますか。
マスメディアなどの周囲の人達も、優勝してから彼のことを名将と言ってほしいものです。
事実、前年に下位に低迷していたチームを、優勝はできなくても上位に躍進させた監督さんは、過去にも沢山います。
そういった歴代の監督さん達は名将とは言われていません。
逆に言いますと、優勝させたから名将なのです。
新井貴浩監督を名将と呼ぶのは、歴代の名将と言われた監督さん達に対しても、失礼極まりないことだと私は考えます。
もっとも、広島東洋カープにも、まだまだ優勝できる可能性がありますから、優勝できたその時には新井貴浩監督が名将と言われても当然でしょう。
しかしながら、9月のここまでの失速が神様による裁きであるならば、どう対処しても絶対にうまくいきませんし、むしろ打つ手打つ手がかえって災いをもたらすようになります。
神様の裁きとはそういったもので、人間にはどうしようもありません。
護摩行をやめると決心し悔い改めるしか、神様の裁きを止めることはできません。
名将と言われた立場から転落し、愚将呼ばわりされると、これほど辛いことはありません。
ただ、日本人の悪いところですが、「持ち上げておいて落とす」ということをよくやりますよね。
そういう意味では、新井貴浩監督が名将と言われることは憐れであるとも言えます。
これなら、優勝争いをするより3位争いをしていた方が良かったのではないでしょうか。
これでも、まだ護摩行によって悪魔(サタン)を頼るのでしょうかねえ。
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