今回は、今年の広島東洋カープの戦い方を見て、私が感じたことを書かせていただきます。
私は生粋の広島東洋カープのファンです。
当然ながら強いに越したことはありませんが、それ以上に面白い試合を観たいという気持ちの方が強いです。
今年の広島東洋カープの試合を観ていると、点が取れないので、つまらなくて仕方ありません。
昨年から新井貴浩氏が監督を務めていますが、私はこの人が監督になったことで大いに期待していました。
実際に昨年は、4年連続下位に低迷していたチームを2位に躍進させました。
従いまして、新井監督については私も一定程度評価しています。※偉そうですみません。
ただ、もっと面白い試合を見せてくれるのかと思っていましたが、実際には凡ミスも多いし、1点の取り方が下手だし、機動力を使っているようであまり使っていないし、不満の残る試合内容が多いことに、少々失望しています。
そこで、私が感じる新井カープについて、腑に落ちないことを書かせていただきます。
まず、問題点として3つ挙げたいと思います。 ①「家族」と表現している違和感 ②危機意識の低さ、あるいは、欠如 ③不透明な将来のビジョン
順に説明したいと思います。
①「家族」と表現している違和感について
新井監督が就任時にチームに伝えた言葉が、「みんなは家族だ」という言葉で、「俺は好き嫌いで判断はしない。」と言っていました。
凄いこと言うなあ、と私は感心していましたが、実際に蓋を開けてみますと、ベテラン偏重起用が表面化していて、やっていることは、好き嫌いで判断しているように見受けられました。
ベテラン偏重起用とは、2016年~2018年の3連覇時の選手たちをメインとして起用している、ということです。
そして、それ自体は全く問題ありません。
私が問題にしているのは、結果を出せないベテラン(3連覇貢献選手)たちを重要視し過ぎている点です。
私には「家族」と表現した真意は、世間的によく言われる親の心情として、「駄目な子ほど可愛い。」と言いますが、それを体現するための表現なのか、と勘繰ってしまいます。
要するに、「家族」とは単なる「依怙贔屓集団」という意味の、悪魔的表現としか私には思えないのです。
私が考える「家族」は、「怖いお父さん=監督」がいて、「なだめるお母さん=ヘッドコーチ」がいて、「模範となる兄=4番打者」がいて、などそのような感じなのかと思っていましたが、全然違いました。
実を言いますと、赤の他人同士を「家族」と表現するのは、キリスト教と通じる点があるのです。
聖書にも以下のようにあります。 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます。」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」新約聖書 マタイによる福音書12章46~50節 新共同訳
つまり、イエス様は信仰者同士を家族と表現していますし、現代でも信仰者同士を兄弟姉妹と呼び合います。
しかしながら、結果を出せない信仰者は、厳しく教育されます。
結果を出せない信仰者とは、神様の御心を成せない人、全く成長しない人、御言葉を実践しない人、信仰が形式的・義務的な人、などのことを言います。
そういう人は不従順な者として、神様から弾かれてしまいます。
「家族」と表現するからには、新井監督にもこのような厳しさがあったらなあ、と思うのです。
昨年は監督1年目だったので、私もある程度の選手起用の偏りがあるのは仕方が無いと思っていましたが、2年目の今季は更に磨きがかかったかのように、選手起用の偏りが顕著になっています。
若手にチャンスが無いのです。
ベテラン選手たちは、失敗しようが打てなかろうが積極的に起用し、若手選手たちは数打席で判断されるという可哀想な目に遭っています。
実力不足であり実力の差、実績の差と言えばそれまででしょうが、それを言うならベテラン選手達にも同じことが言えます。
過去の実績、栄光は一切関係なく、現時点でどうかで選手起用をしてほしいと強く願います。
私の書いていることが、個人的な感情かどうか、以下にベテラン選手(3連覇貢献選手)の成績をご紹介します。(2024年7月15日現在) 田中広輔=打率.171 得点圏打率.250 堂林翔太=打率.188 得点圏打率.214 菊池涼介=打率.212 得点圏打率.123 松山竜平=打率.214 得点圏打率.222 上本崇司=打率.229 得点圏打率.278 坂倉将吾=打率.201 得点圏打率.184
得点圏打率とは、ランナーが2塁や3塁にいる時にどれだけ打っているかを示す率ですが、みんな低いのがお分かりただけると思います。
このような打率の選手を使っていては、得点力が上がるわけがありません。
勿論私は「全く使うな。」と言うつもりは毛頭ありません。
それらの選手を全く使わないとなれば、チームとしても機能できなくなるでしょう。
私が言いたいのは、レギュラー格で起用するのではなく、若手選手たちとの競争を煽ってほしいのです。
上の中に、坂倉将吾選手がありますが、彼はベテランではなく若手の部類ではありますが、経緯は省略しますが、内野手ではなく捕手を希望したために、昨年から打力が落ちるという憂き目に遭っているのです。
私には愚かな選択をしたとしか思えません。
捕手は断念して、内野手として打撃に磨きをかけるべきでした。
これは、新井監督と本人の大きな選択ミスだと考えられます。(結果が全てを物語るということです。)
実際に、昨年は1年間捕手として試合に臨みましたが、今年は捕手と内野手と、両方で起用されていますから、ブレブレの起用方法になっていると言わざるを得ません。
坂倉選手は、明らかに内野手として成功する可能性が高い位置にあったのに、わざわざ茨の道を選択したわけですが、動機がチームのためではなく個人のためだったので、失敗しているわけです。
野球というのは団体競技ですから、個人の考えを尊重してしまうとチームは機能できなくなります。
1番打者が、1番打者に求められる役割を理解した上で、個人の気持ち(出塁率を上げたい、盗塁数を増やしたい、など)を優先するならば問題ありません。
個人的には、秋山選手の1番起用も反対です。
理由は、選球眼が悪く四球をあまり選ぶことができず、三振が多いからです。
ちなみに、80試合を消化していますが(2024年7月16日現在)、彼の四球数は16、三振は64です。
正直、逆であってほしいです。(四球=64、三振=16)
この数字は、他のチームの主な1番打者と比較しますと、詳細は割愛しますが、四球数は断トツで少なく、三振数も断トツで多いのです。
打率が3割5分くらいあるならば話は別ですが。
1番打者には出塁率を上げることが役割として求められますし、簡単に三振をしないことも求められると思います。
極端な例えだと、8番打者が「俺はホームランを打つ力がある。」と考えて、毎打席ホームランを狙うことは、明らかにチームのためにならず、役割を理解していないと言えるでしょうが、こういうことが新井カープには起きているように見えるということです。
チームにとって益となる選択が必要なのに、個人の意思を優先して失敗しています。
個々が勝手にやっている感を否めません。
チームとしては一体感があるように見えても、私には馴れ合い集団にしか映らず、「家族」という言葉で誤魔化されている気がしてなりません。
②危機意識の低さ、あるいは、欠如について
新井監督は選手たちに非常に甘いと感じます。
試合後の談話では、勝った時は選手たちを大いに褒め讃え、負けた時でも選手たちをマスコミを通して非難することは一切ありませんので、その点は素晴らしいと思いますし、見習うべきことだと思います。
ただ、負けた時やミスをした時などに、選手たちが原因をしっかりと認識できる環境が整備されているのか、が気がかりなのです。
つまり、試合を見ていますと、繰り返す失敗が目立つのです。
このことが顕著に表れているのが盗塁です。 盗塁企画数 82 盗塁成功数 44 成功率53% (2024年7月16日現在)
実に半分くらいは失敗しているのです。
ただ闇雲に走っているとしか言い様がありません。
80回も挑んでいるならば、せめて55~60くらいは盗塁数を記録してほしいものです。
例えば、2016年に優勝した時の盗塁に関しては以下の通りです。 盗塁企画数 170 盗塁成功数 118 成功率69%
この時の監督は緒方孝市氏で、彼の現役時代は、盗塁王を取ったことがあるほどの走塁に関するスペシャリストでしたから、監督時に大いに生かされたということでしょう。
約7割の確率で成功していたということは、それだけ頭を使いながら、データなどを駆使しながら、根拠をもって成功率を上げるための戦略を立てていたという表れでしょう。
盗塁に限らず、今年の広島東洋カープの走塁は、肝心なところでミスのオンパレード(けん制死など)になっていますから、走塁のほとんどが本人任せになっている部分も大きいのだと思います。
本人任せも悪くは無いのですが、任せても大丈夫な域に達している選手なのかどうかも問題ですし、やはり、繰り返す失敗に関しては、誰かが然るべき指導をすべきですし、もう少し考えて野球をやってもらいたいです。※偉そうですみません。
選手たちを見ていると、走塁ミスや、ゴロエラーなどした後に、平気で笑顔を見せている選手も少なくありません。
ミスに対して、シビアさが欠如しているのです。
あなたたちは、選手によっては数億円もらっているプロでしょう?と言いたいです。
取り返せばいいという問題では無いのです。
毎回のように取り返せるならばいいですが、現実としては取り返せることは稀です。
こういった、なあなあにしてしまう部分から、チームとしては堕落の方向へ突き進んでしまうのです。
キリスト教は罪に対してものすごく厳しいです。
罪とは、言ってみれば人間が犯す失敗と言えます。
神様は、罪や失敗を毎日のように悔い改めなさい、と仰せになります。
罪や失敗を軽く考えてはいけない、放置してはいけない、という教えなのです。
チーム内に、必要な厳しさが無い限り、このチーム(新井カープ)は強くはなりません。
いいところまでは行くでしょうが、いいところ止まりで、優勝はまず無理でしょう。
今年も昨年も、連勝した後に連敗するというチームの癖が、全く解消されていないことが、その表れでしょう。
チームがいい流れの時はいいのですが、一度悪くなってしまうと修正が利かなくなる、という状態に陥ってしまうのです。
分かり易く言えば、今の新井カープは逆境に弱い集団、と言えそうです。
③不透明な将来のビジョンについて
これは、①と②の内容と重なる部分があると思いますが、3年先、5年先を見据えたチーム作りが常に必要だと考えます。
これは、野球だけに限った話ではなく、会社の経営も同じことが言えると思います。
将来のビジョンを持って、現在を取り組まなければ、今という時間が意味を成さなくなるからです。
ベテランばかり重視して使っていたら、3年後や5年後はどうするんだ?ということです。
おそらく、今のベテランたちは3年後は現役でも、5年後は引退しているでしょう。
いや、今のような無様な成績ならば、3年後といえど引退しているかもしれません。
そのように先の無い選手よりも、将来性のある選手を積極的に起用して、数年先のチーム作りを考えるべきだと思います。
そのためには、一時的に補強に頼ることも必要でしょう。
プロの世界というのは、毎年同じようなことをしていては結果が出せない、それどころか劣化してしまうとよく耳にします。
つまり現状維持は劣化の始まりなのです。
実は現状維持も神様への反逆となります。
つまり、新井監督は補強を一切否定し、現有戦力で結果を出す方法を選択していますが、これは言葉を換えれば「現状維持で戦う。」という意思の表れと言えるでしょう。
どこまで、ベテラン選手たちが大切なんでしょうね。
日々、新たにされなくてはならない、というのがキリスト教の考えです。
昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、というように毎日次元を上げていきなさい、というのが神様の教えなのです。 RAPT有料記事243(2017年12月18日) 自分の存在価値を発揮したければ、全人生を懸けて主につながる努力をしなさい。
だから、それに反逆するような真似をすればどうなるか、答えは明らかです。
今年の阪神タイガースが良い例です。
昨年、リーグ優勝、日本一となったために、補強をせず同じ戦力のまま今年を迎えましたが、現時点では大失敗しています。
広島東洋カープも、現時点で頑張っているとは思いますが、補強をしなければ、夏場にかけて失速するでしょう。
私の予想が外れることを期待したいですが、新井カープは、ことごとく神様の法則に反したことを行っているので、なかなか難しいと思います。
最後に、新井監督のことを「名将」という人達も少なくありませんが、優勝してから言えよって話です。
確かに、広島東洋カープの現在の戦力は、決して優勝争いをできる戦力とは言い難い部分がありますので、それを現在の位置で戦っているわけですから、新井監督は一定程度評価されるべきです。
しかしながら、現時点で名将と言うには早計過ぎます。
昨年でさえ、途中までは阪神と優勝争いを広げていましたが、9月に大失速し、ギリギリの2位でした。
9月に大失速させたのは、お粗末としか言いようがありません。
将来のビジョンがなかった、もっと言いますと、ベテランに頼り過ぎたツケが回り、揃いも揃って怪我離脱による大失速でしたから、危機管理の無さを露呈した新井監督は、名将どころか愚将と言わざるを得ません。
組織のトップに絶対に必要なのは危機管理だと私は考えていますので、それができないトップは、無能と言うしかないのです。
ただし、優勝した場合は私は謝罪もので、新井監督は名将と言えるでしょう。
広島東洋カープ、特に新井カープは悪魔崇拝集団の色が濃いですから、優勝争いはしても優勝は無理だと考えています。
まずは護摩行を一切やめることです。
更に、護摩行が悪魔崇拝儀式であることが、世間に認知される日を強く願います。
馴れ合い集団から逸脱し、危機意識を強く持って、先を見据えたチーム作りと戦い方をしてほしいものです。
以上、好き勝手書かせていただきました。
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