このような話をしても、一般の人には何のことかさっぱり分からないでしょうが、分からなくていいのです。
我々信仰者のみが分かっていればそれでよいのです。
そして、明日は我社の仕事も一切入らず、休日として祝祭の日を過ごせそうです。
私にとっては、仕事の受注が無かったことが、ある意味祝福と言えますが、従業員にとっては残念なことかもしれません。(笑)
しかも、本日を持ちまして、RAPTさんの有料配信であります、朝の祈り会の過去の配信を全て拝聴し終えました。
これもある意味、一つの区切りを迎えたと言えると思います。
朝の祈り会の有料配信とは別の有料記事がまだ残っていますので、完全に追い着いた、区切りだ、ということにはなりませんが、とりあえず、御言葉自体は全て聞き終えました。
神様やRAPTさんには申し訳ありませんが、聞き漏らした御言葉が大半であろうと感じています。
従いまして、明日からまた一から御言葉を学びなおす再スタートの日、と個人的には位置付けて、明日の祝祭の日を過ごそうと考えています。
正式に信仰を持って、私にとっては2回目の祝祭の日を迎えるのですが、この日は実は特別な1日を過ごせるようで、義の条件をしっかりと立てて来た信仰者については、サタンの攻撃が封じられるといった、祝福に満ちた1日を過ごすことができ、一方で義の条件が足りていない信仰者については、裁きの1日にもなり得るそうです。
昨年の私は、この日に特別な何かを感じることがありませんでしたので、私の義は、神様からご覧になり、不十分と判断されたのだろうと思いました。
もっとも、2023年になった今年からは、サタンがこの地上の支配権を失い、神様が支配する世の中になっていますので、義の条件をしっかりと立てている信仰者は、毎日が祝福で満たされた日々を過ごすことができるようです。
私には、恵みを受けていると感じる日と、サタンの攻撃を受けて恵みを失っていると感じる日と、混ざり合っていますので、まだまだだと感じています。
とりあえずは、明日がどのような1日になるかで、私が過ごしたこの1年間を、神様がどのように評価されたかが分かると言っても過言では無いと思っています。
最近では、サタンの攻撃を感じる日々が続いていますので、何とかすばらしい1日を過ごせることを願いたいと思います。
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