3回目になりますが、今回は源平合戦の一部を推理することで、源義経と源頼朝の関係が悪化した本当の理由を考えたいと思います。
平清盛の死により、大黒柱を失った平家一門は、ここから衰退が始まりますが、この流れの中で源義経が工作を行った可能性があります。
と言うより、秦氏(日本に潜伏した西洋人)が源義経を使って、平家滅亡を逃れるように仕向けたと考えられます。
確かに平清盛の死は、出雲族側に勢いを与えました。
平清盛のせいで力を失っていた出雲族の後白河法皇ら朝廷側も息を吹き返しました。
まず、木曽で源義仲が秦氏(平家)打倒のため挙兵しますが、後白河法皇の後押しもあったものと思われます。
この人物がけっこうな乱暴者で、平家を平安京から追い出し、やりたい放題でした。
通説では、「平安京の治安が著しく悪化したことを危惧した源頼朝は、源義仲を敵と断じて、源義経を総大将として追討した。」と言われています。
しかしながら、私は源義仲討伐は、源義経による陰謀であり、源義仲を討つことを源頼朝に進言したのではないかと考えます。
源義経が、源義仲に関することで有ること無いこと源頼朝に伝えて、源頼朝と源義仲の関係悪化を謀ったものと推測します。
つまり、「源義仲が平家を打ち破ったことに憤った源義経が、敵討ちを狙った」という私の推理です。
何度も言いますが、源義経と秦氏(=平家)は繋がっています。
これを前提として、この時代に起きたことを考えなければなりません。
源義経が源義仲征伐に向かったのも、平家を守るためだったと考えた方が筋が通ります。
ちなみに、源義仲が平安京を占拠したのも、源頼朝の指示だった可能性も十分考えられます。
通説では、源義仲が源頼朝に反逆したかのようになっていますが、私は逆ではないかと考えます。
なぜならば、源頼朝と源義仲は、和睦と言いますか手を組んでいるのです。
つまり、源義仲の嫡男である源義高と、源頼朝の娘である大姫が結婚していて、なおかつ、源義高が鎌倉へ下向しているところから考えますと、源義仲は源頼朝に服従していたのではないかと考えます。
源義仲は、源頼朝を出雲族のトップと認めていたのではないでしょうか。
そうでなければ、自分の嫡男を源頼朝の元に、結婚とはいえ送らないでしょう。
何せ、人質としての意味合いもあるからです。
そこに源義経が絡み、平安京を占領した源義仲が謀反を起こすつもりだと、源頼朝を騙した可能性があるのです。
実際に、源義仲は自ら「将軍(旭将軍)」と名乗っていましたし、平安京の占領といい、源頼朝に反旗を翻したのではないかと疑う状況証拠が揃っていたと考えられなくもないからです。
源義仲が起こした治安悪化とは、つまりは乱捕りを行っていたと考えられますが、そのことはある意味当然であり、治安悪化も悪魔崇拝者の間ではそれほどの問題ではなかったはずですが、源義経が上手く利用したのでしょう。
平家をあっという間に平安京から追い出すほどの勢いがあった源義仲が、源義経率いる鎌倉軍に、これまたあっという間に討たれているところから考えますと、源義仲には思いもよらないことだったのではないでしょうか。
味方と思っていた鎌倉軍が、まさか自分を討つために来たとは源義仲は思ってもいなかったからこそ、あっけなく敗北したのではないかと思います。
源義経による出雲族潰しの工作が成功したと言えるでしょう。
しかも、源義仲の嫡男である源義高は処刑されていますから、源頼朝は源義仲が裏切ったと断じたということでしょう。
そして一旦、源義経は鎌倉に戻りますが、秦氏である平家が盛り返してきます。
平安京は源頼朝の支配下にありましたが、平家が奪還しようと攻めてきます。
手こずっていた出雲族側が、鎌倉にいる源頼朝に援軍要請します。
この時、なぜか源頼朝は源義経を、すぐには平家追討軍に参陣させていません。
もしかすると、源義仲の一件について、源頼朝は源義経に対して疑念を抱いていたのかもしれません。
しかし、平安京の戦況が一向に好転しないのにしびれを切らした源頼朝は、遂に源義経を総大将として平安京に参陣させます。
ここから、平家に対する源義経の援護射撃が始まります。
表向きは平家追討のために出陣していますので、おそらく源義経は先回りして、平家に敢えて西の方へ退くように促したものと推測します。
そうすることで、源頼朝を騙す腹積もりだったのではないかと推測します。
源義経には、鎌倉軍を可能な限り鎌倉から遠ざかるように仕向け、平家(秦氏)の総大将として源頼朝を倒す計画があったかもしれません。
そのために、平家を敢えて西の方へ追いやることをしたのではないでしょうか。
実は、似たような策を約150年後に、足利尊氏が取っています。
彼は後醍醐天皇に大敗北を喫した際、西の方(九州)へ逃れて体制を立て直し、南朝側(秦氏側)を倒して室町幕府を開きました。
まあ、私の考え過ぎかもしれませんね。
話を元に戻します。
一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いにおける源義経の武勇は、ほとんどの日本人が知ることろでしょうが、それぞれの戦争は源義経の工作だったと考えられます。
一ノ谷での、崖から下って戦場に向かう有名なシーンがありますが、完全な作り話でしょう。
屋島での那須与一の話も、どこまで本当なのか分かったものではありません。
実際に、那須与一をウィキペディアで調べてみますと、以下のように書かれてありました。 『吾妻鏡』など、同時代の史料には那須与一の名は見えないため、与一の事跡は軍記物である『平家物語』や『源平盛衰記』に伝えるところが大きい。
平家物語などは、NHK大河ドラマでも取り上げられているくらいですから、インチキ書物である可能性が極めて高いでしょう。
ドラマで見るように、那須与一の屋島での活躍が事実であれば、間違いなく『吾妻鏡』にも記述があって然るべきでしょう。
まあ、那須与一のことはさて置きまして、壇ノ浦の戦いもどうやら通説とは全く異なるようです。
そもそも、壇ノ浦で平家は入水自殺などによって、滅亡はしておりません。
これは衝撃的な事実だと思います。
こうなりますと、壇ノ浦の戦い自体があったかどうかさえ疑わしくなってきますね。
源義経が平家を逃がすための茶番戦争を行った可能性はありますが、果たして海上での戦争だったかどうかは怪しいですね。
更に、平家には安徳天皇が同行していました。
なぜ、天皇が平安京に留まることなく、平家と一緒に行動を共にしたのでしょうか。
実は安徳天皇は、平清盛の孫です。
つまり、平清盛は自分の娘である徳子を、高倉天皇(後白河法皇の息子)に嫁がせています。
徳子が高倉天皇との間に産んだ子が安徳天皇なのです。
だからこそ、平家にとっては安徳天皇は特別な存在でした。
あわよくば、後白河法皇側、つまり出雲族の皇位継承を廃止して、安徳天皇側、つまり秦氏の皇位継承を作り出そうと、平清盛が画策していたのではないでしょうか。
そして、源義経にとっても安徳天皇は重要な存在だったはずで、絶対に殺すわけにはいかなかったはずです。
安徳天皇が8歳で死去したというのは、真っ赤な偽りです。
平家は勿論のこと、安徳天皇も生き延びていたようです。
安徳天皇は現在の高知県に逃れて生き延び、平家の残党も共に生き延びていたようです。
このように、平家の人達が生き延びていたという伝承が幾つも存在しているということは、勿論それが真実であれば証拠ということになり、逆に一種の攪乱工作としてであれば、それを信じさせまいとして真実から遠ざける意図も感じられます。
つまり、「日本全体に渡って平家が逃げ延びることなど不可能だ、だから平家が生き延びたというのは嘘だ。」と人々に思わせたい思惑があるとも考えられるということです。
例えば、本能寺の変での明智光秀の謀反の動機を、いくつも作っていて、その中に真実を入れる構図と同じだということです。
そして、この平家との関わり合いのことが、源頼朝と源義経の関係が崩壊することになったのです。
源頼朝の家臣である梶原景時が、源義経の平家との戦いぶりに対して痛烈に批判し、それを源頼朝に伝えていますが、おそらく源義経が秦氏(平家)と通じて裏切り行為を行った旨を伝えたものと思われます。
梶原景時は、源義経に従い鎌倉軍を率いていましたから、すぐそばで源義経の戦いぶりを見ていたということです。
もしも、ドラマのように源義経が平家を滅亡させるという大活躍をしたならば、梶原景時が批判する理由は無いでしょう。
彼らイルミナティは、どんな手を使ってでも敵を倒して勝利すればそれで良いわけで、勝ったにもかかわらず、戦争の仕方についてああだこうだ批判するわけがありません。
勿論、負けてしまえば批判されるでしょうが。
やはり、源義経が秦氏(平家)と通じているということが分かったために、梶原景時は痛烈に彼を批判したと考えた方が納得です。
通説では、源義経の無断任官などが源頼朝の逆鱗に触れ関係が悪化したと言われていますが、そうではなく、源義経の正体が秦氏の傀儡であると源頼朝に発覚したためでした。
そもそも無断任官の件くらいは、源頼朝ほどの権力を持っていれば、どうにでも出来たはずですし、無断任官などの件くらいで両者が激しく憎しみ合い、殺そうと企むほどのきっかけだとは考えられません。
イルミナティの間で殺し合い、憎しみ合う時というのは、だいたい裏切りが絡んでいるものです。
しかも、RAPT理論によりますと、出雲族は古来から天皇をそれほど重視している集団ではなく、むしろ軽んじている出雲族さえいるくらいですから、源頼朝が朝廷からの官位を重要視していたとは私は思いません。
秦氏であれば大問題かもしれませんが。※秦氏は天皇を重んじる集団です。
源義経と源頼朝の関係悪化については、源義経のウィキペディアの、「頼朝との対立」の項を読んでいただければ、源義経の乱暴ぶりが詳しく書かれてあります。
とても滝沢秀明が演じた源義経(2005年NHK大河ドラマ)と同じ人物とは思えません。(笑)
源義経が秦氏のスパイであることが分かった源頼朝は、執拗に源義経を殺すために行動を起こします。
加えて、源義経を送り込んだ奥州藤原氏に対しても、源頼朝は敵と断じて行動を起こします。
次回は、奥州合戦(源頼朝VS奥州藤原氏)に関する嘘を推理したいと思います。
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