神様の助けがありました。

神様の証

私は警備会社を経営していますが、ここ最近では、成功できる運営の術に対して限界を感じるようになりました。

警備業務というのは、表向きは「請負業」と法で規定されていますが、実態はどこまでも「人材派遣業」です。

はっきり言いまして、警備業務は「労働者派遣事業」なのです。

「請負」とは、分かり易く端的に説明をすれば、「全てを自分たちで行う」ということです。

つまりは、交通誘導警備業務を行うに当たって、現場からの指示に従って業務を行うのではなく、誘導方法も規制方法も規制資器材も規制車両も、全てにおいて自社の物を使用し、自社の警備員だけで行わなければなりません。

しかしながら、警備業務を行うに当たっては、まず、取引先から工事現場の依頼を受けなければなりません。

そして、当該工事現場においては、現場責任者の依頼通りに、交通規制を行い、交通誘導を行わなければなりません。

どう考えても、警備業務は労働者派遣事業です。

今回は、その件に関してではなく、取引先から依頼を受けて行うことへの限界の話になります。

警備会社の経営方法は、契約先を確保して、契約先から受注して従業員を各箇所に手配する、という方法で成り立っています。

まあ、分かり易く端的に言いますと、契約先に依存して経営を行うことになります。

従いまして、相手に従属する形で業績を上げていくことになりますから、自分たちの努力次第で業績を伸ばすことは、まず不可能なのです。

先ほど、警備業務は労働者派遣事業だと書きましたが、パソナなどの悪徳人材派遣業と同じで、前提条件として、人を沢山雇用しなければ警備会社の業績の向上には繋がりません。

では、人を沢山雇用すれば、業績に直結するのかと言えば、先ほども申し上げました通り、相手に左右されますから、契約先に仕事(工事現場など)の需要が無ければ、仕事が入って来ることはありません。

つまりは、人を沢山雇用した上で、年間を通して工事現場を持っている取引先と契約が取れるか、というのが大きなカギとなります。

しかしながら、そうは上手くいきません。

例えば、公共工事に携わる道路舗装会社と契約をしても、その道路舗装会社に役所などから道路工事の発注が無ければ、当然ですが仕事の依頼はかかりません。

特に公共工事は、年度(4月~翌年3月の1年間)の前半はほとんど工事が無く(いわゆる閑散期)、年度の後半に集中砲火のように工事が盛んになります(いわゆる繁忙期)から、そういう建設会社と取引をしている警備会社は、年間を通して地獄を味わうのです。

安定を求めるならば、年間を通して工事現場を持っている建設会社、例えばNTT管轄の電話工事、九州電力管轄の電気工事、西部ガス管轄のガス工事といった、ライフラインに直結するような工事に携わっている建設会社との取引が必要になりますが、そこは、各警備会社の奪い合いとなり、競争率が激化するのです。

ここ数ヶ月、我社で何が起きていたかというのを説明します。

我社は、新幹線関連の工事(新幹線高架橋の修繕工事)に携わる建設会社(以下「B社」とします。)と、建築関係の工事に携わる建設会社(以下「A社」とします。)と主に取引をしています。

我社は現時点で私を含めて4人しか働き手がいませんので、対応力が全く無い中で、A社の工事現場が、同じ日、又は、同じ週に重なりまくるという現象が起き続けているのです。

基本的に、A社からの依頼は、生コンクリート打設時とクレーン作業が行われる上棟時に警備員の依頼がかかりますが、一つの現場当たり、月に4回か5回程度です。

生コンクリート打設で多くても3回か4回程度、上棟については家が何棟建つかで上棟の回数が変わります。

1棟なら1回、2棟なら2回、3棟なら3回、警備員が必要となります。

従いまして、一つの建築案件について、毎日のように警備員依頼があるのではなく、飛び飛び日程での依頼がかかることになります。

それなのに、なぜか同じ日に、又は、同じ週に各現場の上棟日が重なったり、各現場の生コン打設日と上棟日が重なるといった現象が頻発して起きているのです。

たまたま重なること(例えば月に数回程度重複すること)は理解できますが、わざと同日、同週に設定しているのではないかと疑いたくなるレベルで日程が重なるのです。

意図的でないとすれば有り得ないレベルで重なっているのです。

しかも、この現象が起きないように、私は以前から何度も神様に縋り祈っていますが、全然改善されません。

それどころか、以前にも増して、ここ数ヶ月は特にひどい状況になっているのです。

だから、月で見てみると、とある週はA社の依頼はほとんどなく、とある週はA社の依頼が集中する、といった現象が起きて、我社の売上に影響が出てしまう始末なのです。

上手く日程が分散されれば、むしろ、その建築会社との取引だけで売上が見込めると言っても過言では無い位ですが、残念ながら上手く日程が分散されたためしがありません。

私は、神様が私に悟らせたい何かがあるのではないかと考えましたが、祈っても祈っても同じことが必ず繰り返されたのです。

そこで一つ、私なりに結論(悟り)を出しました。

RAPTさんの過去の御言葉に、情を捨てなさい、という御言葉があったのを思い出しました。

つまり、我社は4人しかいないのに、断ることをしていなかった、ということに気付きました。

私は、A社からの依頼を、ほぼ全部受注しようとしていたのでした。

これが、RAPTさんの仰せになる「情」の部分だと感じました。

断るという作業は、たとえどのような言い回しをしたとしても、相手の感情を悪くします。

相手は、「受けてくれることが当然」と思っているからです。

これは、私に責任があると感じました。

これまでのA社に対する私の対応は、どうにか受注できるように手立てを講じてきました。

おそらく、人間的に考えると、そのこと自体の何が悪いのか分からないでしょうが、よく考えてみると、相手が危機意識を持てないように誘導しているということです。

自ずから我社の手配対応力に限界があるのにも関わらず、私が全部を何とかしようと努めるために、相手が私の対応を当たり前と思うようになっていたということです。

できないとはっきり断ることで、私も相手に嫌われるかもしれませんが、道理を理解できず現実を見ようとしない相手との関係は捨てればよいだけです。

そうです。

相手の立場も理解しようともしない人間に、まともな人間はいないからです。

それにA社も、我社以外に警備会社を数社契約すべきなのです。

A社の予定がきれいに分散される、もしくは、現場予定の変更など講じて、分散されるようにA社が行ってくれるなら今のままでいいでしょう。

しかし現実は、その日の警備員の手配が不可能だから工程の変更をする、という対応をしてくれることはまずありません。

そうであるならば、A社も我社以外の警備会社との取引を模索すべきなのですが、その手段を私が阻んでいたのだと悟りました。

そして、神様の助けがありました。

その悟りが正解だったかどうかは分かりませんが、段取り的に窮地に追いやられていた、とある週の予定のうち、B社のキャンセルが発生し、上手く段取りできるようになったのです。

B社のキャンセルの理由は、B社内でコロナが蔓延してしまい、別の現場を優先しなければならない状況が発生したため、我社に予定されていたB社の予定が1週間ずれたのです。

これこそまさに、神計らいではなかったかと感じました。

旧約聖書にも、神様の裁きの一環として、神様の御使いが民たちに疫病をもたらすシーンが書かれてあります。

神様の御使い達が、コロナという疫病を蔓延させて下さった、と考えられなくもありません。

それ位、タイミングが良過ぎる出来事でした。

私は嬉しさのあまり、事務所で一人で仕事をしていたのですが、声を上げて少々踊ってしまいました。(笑)

実を言いますと、これまでも何度も、我社の窮地を神様は救って下さいました。

しかし今回は、なかなか祈りが叶わなく、私に間違いがあり、罪があり、知らず知らず神様に反逆している何かがあるのではないかと探しまくり、尋ねまくりました。

裁きであれば、甘んじて受けるしかなく、仕方なく思っていましたが、直前で助けて下さいました。

本当に神様に感謝すると同時に、神様の偉大さを痛感しました。

おそらく今後も同じような状況が繰り返されると考えられますが、もう迷いません。

ちなみに、私が経営している警備会社の業界は紛れもなくサタンの世界であり、もっと言えば、建設業界がサタンの世界です。

サタンが活発に活動している領域なのですから、むしろ、上手くいかない方が道理なのです。

A社の予定が同じ日、同じ週に重なりまくるのは、サタンの攻撃と考えて間違いないでしょう。

実のところ、A社と取引のある企業さんは、私と同じように悩まされている方も少なくないようです。

このように多くの人が迷惑を被る状態になっていることが、何よりサタンの攻撃の証でしょう。

しかも、この業界がサタンと言えるもう一つの根拠は、悪を行えば儲かる商売だからです。

では、「悪」とは何かと言いますと、パソナがやっていることと同じです。

人材派遣業はピンハネ業とも言われていますから、人を多く雇用し、派遣元から多額の金額をもらい、働き手にはわずかしか払わない、これが確実に儲ける悪なる方法で、警備会社を経営するほとんどの会社が行っていることでしょう。

私のように真っ当なやり方を目指すと、限界にぶつかり易くなるという、何とも不条理な世界なのです。

実際に我社は、赤字と黒字を繰り返しています。

これといった正攻法が無いと言えます。

従いまして、この業界はどこまでもサタンの業界だと言わざるを得ません。

私もそれが分かっていながら、あまりにも一方的に神様に頼り過ぎて、自分で何か策を講じる、つまり、戦う、という点が疎かになっていました。

自分が考えて行動し、戦った上で神様に縋りつく、この基本的な部分を忘れていました。

今回の件で改めて様々なことを悟ることができ、一歩前進できたような気がしています。

我社の経営が上手くできることが御心かどうかは分かりませんが、信仰生活を行う上で我社の存在が現時点で私にとって必要なことは確かな気がしています。

そうでなければ、幾度も我社を、そして私を助けて下さらないと思うのです。

いつまで続けられるかは分かりませんが、神様が許諾なさる限りは、続けて行こうと思っています。

逆に言いますと、神様が「我社を捨てなさい」、と仰せになるなら、いつでも捨てる覚悟を持っている、ということです。

従業員達も、いつその時(我社を捨てる時)が訪れるか分かりませんから、悔いの残らないように今という時間を大切にしてもらいたいと思います。

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