私にも旧約聖書の「出エジプト記」のような出来事が起きた!!

神様の証

私は2018年の4月に会社を設立し、経営者として今日に至ります。

実を言いますと、資金力が乏しい中で起業しましたので、とある企業に資金を提供してもらうことを余儀なくされ、奴隷状態を経験することになりました。

聖書に書かれてあること、RAPTさん(神様が指名された中心者)が仰せになったことが、そのまま私に現実となりました。

RAPTさんが御言葉の中で、「起業するに当たり、誰かに資金を提供してもらったり銀行から借り入れをしたりすると、その奴隷状態になるから、自分で起業できる資金力を付けて起業した方がいい」という旨のことを仰せになっていたことがありましたが、私はその言葉を聞いた時、自分の境遇にドンピシャだと痛烈に感じました。

それまでの私は、会社を経営するに当たり、銀行から借り入れするのは当たり前だし、そうすることで社会的信用も得られると世間でも言われていましたから、誰かに頼って資金の提供を受けたり借金するのは普通のことだと思っていました。

しかし、RAPTさんのその言葉で、私の経営手段に対する価値観が180度変わりました。

私は警備会社を経営しています。

公安委員会(警察)から認定されなければ、警備業を行うことはできません。

会社を作ってから公安委員会に申請するのですが、認定が下りるまで約1ヶ月を要しますので、それまでは警備会社としての営業はできません。

その年の5月中旬に認定が下り、本格的に警備会社として始動したのは6月中旬でした。

4月に会社を設立して約2ヶ月半の間、当然ながら会社には収入が無く、しかしながら諸経費はかかるので資金が底をついてしまい、とある会社(起業する直前に勤めていた会社でお世話になった取引先の会社)の方が支援して下さるということで、頼りました。

ちなみに、この時点で私はまだ信仰は持っていませんでしたし、RAPTさんの存在も知りませんでしたし、神様の存在も漠然としたものでした。

資金に関することで、その会社の方とお会いすることになったのですが、面識のない取締役(以下「Y氏」と表記します。)が現れました。

前の会社で10年ほど、その会社との取引がありましたが、Y氏と関わったことは一度もありませんでした。

このY氏が、それこそ悪の権化の金の亡者の様な人物でした。

どうやら元銀行員で、その会社でも金銭面を牛耳っているようでした。

結果的に、このY氏が原因でその会社と縁が切れたのですが、これも神様が、この会社と私を引き離すために、悪人Y氏と私を引合せて下さったと思っています。

さて私は、Y氏の第一印象から悪い感じを受け、資金の相談をしたことを後悔しましたが、そうも言っていられない状況だったために、その企業に我社の資金額の3分の2の資金額を提供してもらい、それと同時にY氏の紹介する銀行から借金もしました。

RAPTさんが「しない方がいい」と仰せになったことを、そのまま二つとも実行してしまったわけです。

果たして、その会社が我社の役員となり、Y氏が専属のような役割になりました。

Y氏とは年に1回、決算報告の時にしか関わることはありませんでしたが、その1回の面会がいつも最悪で精神的に辛かったのをよく覚えています。

まず、1年目の決算報告の時のことです。

我社は赤字でした。

すると「なぜ赤字になったんだ!」と詰められました。

Y氏の会社は道路工事をメインに行う会社で、我社もその会社とメインで取引をしていましたので、Y氏の会社から仕事をどれだけ貰うかが、業績に直結する状態でした。

つまり、我社が赤字になったのは、Y氏の会社にも一因があるのです。

と言いますか、Y氏の会社にしか責任がありません。(怒)

それを棚に上げて赤字になったことを一方的に責められましたので、正直なところ私は内心、怒り心頭でした。

Y氏は、我社に多くの利益を出してもらい、あわよくば配当をもらう魂胆だったのではないかと推測します。(実はこのことは推測ではなく、やがてY氏がボロを出す時がきますので、後述します。)

その場は終始、私がY氏から説教を受けている様な雰囲気でした。

もはや、我社のことを下僕扱いしていると言っても過言でない、物の言い様でした。

次に、2年目の決算報告の時です。

結果的に業績は黒字でしたが、実はこの2年目に、Y氏の会社からの受注が激減したために、2019年7月に我社は倒産寸前まで追い込まれましたが、このことはY氏には伏せました。

倒産寸前から黒字化したのですから、奇跡としか言いようの無い2年目でした。

決算報告で、私はY氏が喜んでくれるものと思いましたが、なぜか納得のいかない表情を浮かべて「なぜ黒字化したのか?」と問い詰められました。

おそらく、利益額がY氏の想像を遥かに下回る額だったのでしょう。

褒められることも無く、良い結果を出しても叱られているような気がして、相当に不快でした。

もちろん、怒りをぶつけても良かったのでしょうが、この2年間は、私さえ我慢すれば乗り切れる内容の話し合いだったので、怒りを抑えました。

そして3年目の決算報告の時に、看過できないことが起きました。

Y氏から、我社の従業員に対する発言が出たのです。

この年は、税理士の提案によって節税を行い、利益額が微々たるものになりました。

Y氏は決算書を見るとすぐに、「何か調整しましたか?」と聞いてきました。

私は節税を行った旨を伝えましたが、Y氏は終始納得のいかない雰囲気を漂わせていました。

もはや私はこの時点で怒り心頭でした。

その話し合いの中で私が「多くの利益が出たら従業員に還元してあげたいし、私自身もそれほど報酬は望んでいません。」と伝えたのですが、Y氏は「従業員には払い過ぎない方がいいですよ。社長(私)が報酬を望まないと言うなら私(Y氏)がもらいましょうか。ハハハ。」と発言しました。

はい、彼の本音(ボロ)が出た瞬間でした。

やはり配当金(報酬)欲しさがY氏の根底にあったと確信しました。

私は従業員に起きる災いを感じて我慢の限界に達し、さすがに堪忍袋の緒が切れまして、その場では込み上げてきた怒りを抑え、後日、Y氏の会社に対して怒りをぶつけました。

「資金を返して取引も破棄したい。」と投げかけ、絶縁を突き付けました。

Y氏の会社は、何があったのかと大変な騒動になりました。

我社は優秀な従業員に恵まれていますので、Y氏の会社としては現場に我社の警備員が来てくれなくなることは、相当な損失なわけです。

Y氏はお金のこと以外、そのような現場事情は何も把握していません。

そして私は、Y氏の会社の社長と直接談判することになったのですが、その社長に対して、Y氏自身とその会社の運営の在り方を強烈に批判しました。

果たして、資金を返して取引も破棄となり、Y氏の会社との縁は切れました。

これが2021年6月の出来事でした。(この時には、私は信仰を持たないまでも、神様に辿り着き、RAPTさんに辿り着いていました。)

資金を返したことにより、Y氏の会社の奴隷のような状態から抜け出すことに成功しました。

すなわち、旧約聖書の出エジプト記のようなことが起きたと思える瞬間でした。

※「出エジプト記」とは、モーセがイスラエル民族を、エジプトにおける400年の奴隷生活から解放させた話のことです。

なお、この件により、Y氏の会社から嫌がらせや圧力等の行為はありませんでした。

神様も御言葉の中で、人を頼るな、人を恐れるな、と仰せです。

聖書にも以下の様に書かれてあります。

人間に頼るのをやめよ 鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか。(イザヤ書2章22節)

神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。(詩編56章12節)

友人であるあなた方に言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。(ルカによる福音書12章4~5節)

地獄に投げ込む権威を持っている方とは神様のことです。

実に神様の御言葉、並びに、RAPTさんの御言葉通りのことが私に起きたわけです。

Y氏の会社に怒りをぶつけるに至ったのは、決算報告の日(2021年5月中旬)に怒りを抱いてから約2週間もの間、その怒りが収まらなかったからでした。

どんなに腹の立つことがあってもほとんどの場合、一晩寝れば怒りの感情は消えるのですが、その時だけは何故だか怒りが全く収まらなかったのです。

精神衛生上良くないと感じ、また、神様から「戦いなさい」と言われているような気がしたので、行動に至りました。

振り返ってみれば、会社を立ち上げてからの3年間は、Y氏の会社のことばかりが気になって、本当に精神的苦痛を味わうことが多かったです。

今では、誰に気兼ねなく会社の運営を行うことができ、これほど有難いことはありません。

やはり、あの時の収まらない怒りは、神様からの感動だったと私は考えます。

実際に、Y氏の会社との取引が無くなったお陰で、従業員の体力的負担が相当軽くなりましたし、他の取引先の受注も得易くなりました。

神様に感謝しかありません。

しかしながら皆さん、誤解してはいけません。

何でもかんでも怒りに任せて行動を起こしてはいけません。

それは、神様の世界では罪に該当しますから、基本的には失敗の道へ進みます。

私は、Y氏からにじみ出る強烈な悪が許せなかっただけです。

自分を守ろうという気は一切無く、むしろ我社は消滅してもいい、というくらいの覚悟で向かいました。

先ほども書きましたが、私はその当時、信仰までは到達していませんでしたが、神様を意識するように毎日を過ごしていたのも事実です。

だから神様が、私が信仰を持つように導くために、用意して下さった出来事の一つだと感じています。

実際にこの約半年後(2022年2月)に、正式に私は個人で信仰を持つに至りました。

我社は現在も小さい企業ですが、従業員共々、生き生きと仕事に取り組んでいます。

※私が勝手に感じているだけかもしれませんが。(笑)

それは私が、神様の仰せかもしれないと思って行動した結果でしょうし、何より現在は、神様に頼って神様に祈りながら経営しているからだと考えます。

ちなみに見出しの写真は、大雨直後に日が差して虹が現れて、あまりの美しさに事務所から撮影しましたが、当時の私の心境にピッタリの写真だと思いました。

一人でも多くの人に、神様のお力の偉大さを知ってもらいたいと思っています。

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