画像はサタンを倒す大天使ミカエルの絵です。
何度か、このブログでも書いています通り、今年に入って私は強力にサタンから攻撃を受けていると感じていますので、私の近くにいる人、及び、私と繋がっている人は、私のサタンからの攻撃の巻き添えに遭う羽目になっていると感じています。
現在の私は、神様からの練達を受けているのか、もしくは、神様からの裁きを受けているのか、はっきりとは分かりませんが、肉的には衰退しているようにしか見えないと言える状況になっています。
経営する会社が経営危機に直面していることもそうですし、私が関わりたいと思っていた人と完全に関われなくなったり、従業員が苦しい目に遭ったり、実の母に残酷なことが起きたり、実に私の周囲では、霊的なサタンが強烈に災いをもたらしているとしか思えない現象が生じているのです。
私の近くには、RAPT理論を受け入れる人、RAPT理論を否定まではしない人は結構いますが、残念なことに信仰を持つに至る人は一人もいません。
まあ、私のことを身近で見ている人は、私に神様が臨んでいるという風には、全く見えないでしょう。
私に神様が臨んでいるという確信は、私しか持てないといった状況です。
だから私がいくら「神様を信じた方がいい」と言っても、それを受け入れる人が私の周囲では皆無なのです。
しかし私は、最近になってようやく、正解か間違いかは別として、これらの出来事が神様からのメッセージであり試練と捉えられるようになってきました。
実を言いますと、詳細は割愛しますが、私が最も神様に願っている肉的な願いが2つあるのですが、その願いは全く叶えられていないのです。
毎日祈っているのですが、その願い自体は全く叶えられません。
その願いの部分的なことは叶っているものの、全体として成就することは現時点でありません。
時が至っていないのか、神様の御心に反しているのか、本当のところは分かりませんが、私が2つの願いを毎日祈っている理由は、その祈りをしていると、あっという間に時間が過ぎるからです。
1時間はすぐに経過し、時には気付くと2時間以上になっている時さえあるほどです。
つまり、その2つの願いに関する祈りが深く入っているように感じているので、毎日祈っているのです。
しかしながら、現状で成就されないということは、もしかすると数年後、数十年後、神様の使命を任されることになった時、答えがいただけるのかもしれません。
その2つの願いは、神様の使命を果たしていく上で必要なことであり、現在の境遇で成就されることではないということなのかもしれません。
実際にこの2つの願いは、神様が与えると言われている三大祝福の内の2つに、直接的も間接的にも該当しているからです。
RAPT有料記事44(2016年2月22日)神様が人類に用意した三つの大きな祝福
つまり、結婚の祝福と万物主管の祝福です。
ただ、私には若い時から今に至るまで、結婚願望は一切ありません。※やせ我慢ではありません。
それどころか、恋人すら欲しいと願ったことはほとんどありません。
しかしながら、これまでの私の人生は、なぜか定期的に女性との出会いが発生しているのです。
まあ、そのほとんどがサタンから来ているものでしょうが。
神様が、信仰者に対して与える最も大きな祝福が、霊魂の成長なのですが、私はこの霊魂の成長を実感しています。
心が平安だったり、健康を取り戻せたり、肌の艶が良くなったり、健康的に太ったりと、明らかに精神と肉体に良い変化が生じているのです。
これらの現象は、霊魂の成長無くして成されるものではありません。
勿論、世の中の人も、良い出来事があれば心が喜びに溢れるでしょうし、健康面に配慮すればそれなりに健康的になれるでしょうし、化粧品など使えば肌艶も良くなるでしょうし、ダイエットをすればスリムになったりするでしょう。
つまり、そのためにそれぞれ必要な努力(時間やお金をかけるなど)を行うのでしょうが、私は信仰によりそれらを得ているのです。
世の中的な努力は一切していません。
分かりにくい表現かもしれませんが、霊的な努力のための時間は費やしていますが、お金はほとんど費やしていません。
従いまして、私はどんなに肉的な祝福をもらっていなくても、霊的な祝福をもらっているので、神様の愛を疑うことなく、毎日感謝しながら過ごせるのです。
私は一人で信仰を守っていますが、私の境遇にあって、一人で信仰を守り続けることができる人は、そうはいないかもしれません。
神様が遣わされた中心者であるRAPTさん(分かり易く表現しますと、現代のイエス様)でさえ、25年もの間、神様から練達を受けて来られ、その間は肉的な祝福がほとんど無かったと話されています。
また、RAPTさんは幼い時から小説家になりたかったようですが、その願いが現在まで成就しなかったようです。
そしてようやく最近、RAPT理論プラスアルファのサイトで小説を書かれていますので、その願いはある意味叶えられたということなのかもしれません。
ちなみに、RAPTさんが、30年以上も小説家になる夢を諦めなかった理由は、祈る時に深く入ったからだと仰っていました。
そして、現在の私にも同じようなことが起きている、という共通点を見出しました。
勿論、私のことはRAPTさんの比ではありませんが。※私の信仰歴は高々2年数ヶ月ですから。
ただ、ほんの少しでもRAPTさんと似たような境遇を感じますと、大変心強いので、そのことも信仰の支えになっているのは確かなことです。
私の2つの願いについて、もしかすると私の誤解なのかもしれませんが、神様を信じる限り、必ず答えをもらえると確信しています。
正直なところ、私の願いが成就するかどうかはどうでもよくて、答えをもらいたいために祈っているということです。
しかも、現在の私の境遇を見透かされているかのように、RAPTさんの御言葉が実にタイムリーなのです。
RAPT朝の祈り会 2024年4月5日(金) サタンや人間サタンから攻撃されたとき、神様がいつもいつも助けて下さらないのは、私たちを練達して神様・聖霊様のように育てるためだ。どんなときも最後まで耐え忍び、神様の愛と力を信じて祈り求める人がサタンに勝利し、神様・聖霊様のようになることができる。
ある意味で信仰生活は、毎日がサタンや人間サタンとの戦争です。
周囲の人達には理解できないと思いますが、私は四面楚歌の状態なのです。
信仰者が私の周囲に一人もいない状態ですから、私に近くしている人達のことも、サタンと思って警戒する日々だということです。
以上のように、現在の私はサタンから強い攻撃を受けている可能性が高く、そのためにタイトルのようなことが起きていると考えています。
前置きが長くなりましたが、タイトルのことを具体的にお伝えします。
ちなみに、サタンの祝福があるのかと考える方もいらっしゃると思いますが、RAPTさんが過去の御言葉で宣布して下さっています。
RAPT有料記事125(2016年12月3日)神様が与える祝福とサタンが与える祝福の違い
また、これとは逆のことも宣布されています。
RAPT有料記事18(2015年10月23日)サタンの攻撃と神様の裁きとの違い。
ではまず、私から離れていった人達の近況です。
従業員だったT君は、軽運送業界で働いていますが、どうやら大成功を治めているようで、収入も潤っているようで、仕事のパートナー的な人と、新たな事業のことまで計画しているようです。
従業員だったN君は、身内と一緒に楽しく仕事をしているようで、彼は異常なほど身内大好き人間で、四六時中、身内の一部と過ごせるわけですから、ある意味、希望が叶えられていると言えるでしょう。
従業員だったHさんは、彼と親しい取引関係者との関係が一層良好になっているようで、我社と同じ交通誘導警備員の仕事をしていますが、我社にいた時以上に充実していると思われます。
縁を切った両親(父は実の親、母は育ての親)は、今でも健康的に元気で過ごしているようです。
あたかも、私から離れたことでサタンに祝福され、私に嫉妬させようというサタンの魂胆かもしれません。
サタンにとっては残念なことでしょうが、たとえサタンの魂胆でないとしても、彼らのことを羨ましく思い、嫉妬や悔しさといったサタン的感情が湧いていることはありません。
どうぞお幸せに、といった感じです。
サタンからの祝福が、後でどれほどの地獄をもたらすかを、私はRAPTさんの御言葉により把握しているからです。
だから、私は彼らのことを、可哀想とさえ思っています。
負け惜しみに聞こえますかね。(笑)
では、私の近くにいる人達の近況です。
我社に在籍している従業員達は、仕事が少なく収入も少なく、他の会社のように賞与も無く、不安定な生活を余儀なくされ、不安心配に苛まれている者さえいます。
実の母は、私と繋がって間もなく(8ヶ月後)、旦那さんを病気(コロナ)で失いました。※私と再会を果たした時点では、持病があったものの、私に会うために宮崎から福岡へ来れるほど、大変お元気な様子でした。
私と古い知り合いの一人(以前私が働いていた会社で私の部下だった方)は、私と繋がるようになってからというもの、年々、会社内で待遇が悪くなり、現在では退職するかどうかの瀬戸際に追い込まれていますし、しかも、私が在籍していた時、彼が今でも嫌っている私から低い評価を受けていた者が、今では高待遇を受けているようです。
私に親近感を持ってくれていたコンビニ店員の女性(人妻さん)の方は、経済的に困窮し始めたのか、約3年前に出会った頃は週に3日くらいのパート勤務だったのが、退職する1年前くらいから週に4日、5日勤務するようになり、現在ではパート収入では追い付かなくなったのか、コンビニを退職し、病院で正社員として勤務しているようです。
残念なことに、私に近くしている人で、幸せそうな人が一人もいません。
これらのことが、果たして偶然に起きていることでしょうか。
はっきり言いまして、信じようが信じまいが、霊界から操作されていますので、決して偶然の産物なんかではありません。
そして、特に前者の人達は、人間の力(己の力)で成功や幸せを得たと思っているでしょうが、実はそうではなく、神様やサタンという霊的な存在により、動かされているに過ぎないのです。
即ち、人間の力では何もできないと言っても過言では無いのですが、それを信じることのできる人は少ないでしょう。
この時代、特に、昨年の2023年以降、すでにサタンの滅亡が決定しています(勿論、いついつで全滅というものではありません。)から、最後の悪あがきとしてなりふり構わず人間達を、義人とか悪人とか関係なく、滅亡の道連れにしようと暴れまくっているそうで、このような現象が起きていると考えられます。
もしかすると、私にも決断の時が迫っているのかもしれません。
つまり、私が現在抱えている肉的なもの、世の中的なことを、一切捨てることを。
RAPT有料記事120(2016年11月14日)神様を愛する資格がある者は誰か。本当の愛とは何か。なぜ種の前では多くのものを捨てなければならないのか。
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