私は2022年1月31日から正式に信仰を持ちました。
この日から、明け方(午前1時から午前4時半の間)の祈りを始めたので、この日を信仰初日と位置付けています。
まずこの年の3月に、長年続けてきた飲酒を断ちました。
そのきっかけとなったのは、RAPTさんの以下の御言葉を読んだ時でした。 RAPT有料記事166(2017年4月24日) あなたの病は必ず治るから、心配しないで祈りつづけなさい。※ダイジェストの文章を是非読んで下さい。
その中で、「お酒とたばこは絶対にやめなさい。」と書かれてありました。
たばこは数年前にやめていました。
たばこを吸うたびに、胃の気持ち悪さなど、お腹の調子が悪くなる感じがしたからでした。
しかし飲酒については、体調不良になっている自覚がなかったために、ずっと続けていました。
それこそ、18歳の時に大学で一人暮らしを始めてからずっと、毎晩のように飲酒していましたので、約30年間、お酒を欠かしたことがありませんでした。
その時に、RAPTさんの御言葉で、お酒をやめるように宣布されました。
今でも覚えているのですが、日本酒の一升パック(月桂冠)を買ったばかりでした。
買ったばかりでしたので、飲み終えてから断酒しようとも思いましたが、『そのような意志の弱さでどうする!御言葉を聞いたその時から従うべきだ!』と心の中で思った私は、飲み干すことはせず、中身を全て捨てました。
自分でも驚いているのですが、約30年間続けてきた飲酒を、きっぱりとやめることができました。
週に1度や2度の晩酌程度の飲酒を続けてきた、というならばある程度は簡単にやめられるかもしれませんが、飲酒をする人ならば分かると思いますが、何十年と飲酒を続けてきたら、すんなりやめることはできないでしょう。
それこそ、健康を害して医者からやめるよう促された場合や余命宣告を受けた場合などは、やめられるかもしれませんが。
まあ、医者の言うことは聞いても、神様の言うことは聞けないのが人間の悲しいところですが。
医者の言うことを聞く方が、健康をはるかに害するのに。
それくらい、飲酒を断つことはお酒好きな人間にとっては難しいことだと言えるでしょう。
たばこにも同じことが言えますね。
あれから約2年半経過しましたが、当然ですが一度も飲酒はしていませんし、それほど飲みたい衝動にも駆られません。
実のところ、私はお酒は好きでしたが、酔っ払い連中は大嫌いでした。
お酒の場では必ず飲み過ぎる人がいて、所かまわず嘔吐するのが昔から許せませんでした。
自分の限界くらい把握して飲酒しろ!といつも嫌悪感を抱いていましたが、御言葉を聞くようになってから、飲酒によって自分では限界線を制御できなくなるのだと分かりました。
だからついつい飲み過ぎてしまうのです。
飲酒は確実に脳を蝕んでいます。
記憶が無くなったり、性格が変わったりしますが、脳の機能が破壊されるためにそのようになっていたのです。
そう考えますと恐ろしいですね。
世の中でも、心臓が動いていても脳の機能が停止した人間を、死亡扱いしますからね。
アルツハイマーや痴呆症になりたくなかったら、まずは断酒ですね。
何はともあれ、あっさりと飲酒を断つことができたのも、神様のお陰であり、祝福と言えるでしょう。
また、この年は特に我社のことで祝福を受けました。
結果から申し上げますと、従業員が減ったにも関わらず、逆に売上が伸びたのです。
このブログでも何度も伝えています通り、我社は人材派遣業を行っています。
つまり、売上を伸ばすためには従業員を一人でも多く増やすことが必要になります。
しかしながら、この年の我社には逆が起きました。
世間的な常識が覆される結果となったのでした。
これがまさに神様からの祝福と言えるでしょう。
この当時、我社は社長の私を含めて7人(厳密には8人でしたが、その内の1人は休職中でした。)で運営していました。
その従業員の一人を部長として2021年11月まで起用していたのですが、あまりにも素行が悪かったため、部長職を解任しました。
「素行が悪かった」というのは、世間的な感覚の態度の悪さなどではなく、RAPT理論(真実)を否定し、神様のことを否定するといった聖書の観点からの悪という意味であり、そのことが頻発したために、私の片腕としては役に立たないと判断したのです。
その彼は退職する半年くらい前から、「警備員を辞めて運送業をしたい。警備の仕事が嫌になってきた。」と言っていました。
私と、そりが合わなくなったことを彼も感じていたのでしょう。
私は彼に部長職を解任する時、「これからは自分のことだけ考えて仕事も生活もしなさい。」と伝えました。
よって彼は、ゆくゆくは我社を退職し、運送業の方へ行く道を模索していたのだと思います。
そして3月下旬、彼は私に「4月中旬から、週に半分は運送業の仕事をします。」と申し出ました。
私は、彼からの申し出の内容がいきなりだったので、少々戸惑いましたが、その場では承諾しました。
しかしながらその後、私の中に「このような中途半端なことをするよりは、いっそ彼を退職させ、運送業一本でやっていくように促すべきであり、それが彼のためではないか。」という考えが浮かびました。
それと同時に、あまりにも彼の身勝手過ぎる決断に、腹が立ちました。
何が身勝手なのかと言いますと、普通ならば我社に迷惑が及ぶかどうかを考え、自分で決断する前に、まずは雇い主である私に相談するのが筋というものです。
そのような道理や礼儀さえ弁えなくなってしまった程、彼の知能は低下したということです。
本当に自分の事しか考えなくなった、ということですね。
彼は完全にサタンに主管されてしまいました。
まともな人間ならば、自分のことを一番に考えるにしても、そのことで周囲に害が及ばないかを考えてから判断するものです。
このような人間を自分の右腕として起用していたのかと思うと、人を見る目が無い自分が情けなく感じました。
明け方の祈りの時に、神様に「彼をどうしたらいいでしょうか。捨てるべきでしょうか。」と尋ね求めると、すぐに神様から「捨てなさい。」という霊感が来ました。
体中に電気のようなものが強烈に走ったのです。
よって私は、何の躊躇もなく決断し、彼に退職を促しました。
当然ながら彼は、まさか私から退職を促されるとは夢にも思っていなかったのでしょう。
びっくりして少々戸惑っていた様子でしたが、彼から「ちょっと待ってください。私の話を聞いて下さい。」というように、私と話し合いを持とうとするかな、と思っていましたが、彼からは何の反応もなくあっさりと承諾しました。
祈りの中で感じた私の霊感は、正しかったと確信できました。
もしも彼を捨てることが神様からの霊感でなかったならば、私が退職を促した時に、もっと話をしようと彼から行動してきたことでしょう。
話をすることも無く、あっさりと承諾したということは、彼にもその意思があり、かつ、神様からの霊感であったと確信しました。
そして、正式に彼を5月いっぱいで退職させましたが、その直後の7月に、我社にとって奇跡的なことが起きました。
7月は夜間がメインとして稼働していたのですが、昼間も稼働がコンスタントに発生したのです。
在籍人数に応じたコンスタントな稼働の発生は、この業界では本当に難しいことなのです。
1ヶ月を通して、余剰人員が発生したり、人員不足に陥ることが全く無かったということです。
これ自体がもはや奇跡的なことです。
それにより、この月は売上が、8人いた時の最大売上と同じくらいの数字になったのです。
従業員が1人退職し、1人は休職中でしたので、6人で回していたのですが、奇跡的な数字になりました。
彼を退職させたことによる、神様からの祝福としか思えませんでした。
人材派遣業を行う上で、従業員を減らす決断は、普通なら出来ません。
一人でも多く雇う方が、業績を伸ばせると誰もが思うでしょうから、たとえ私のような霊感を受けたとしても、従業員を退職させることには躊躇する人がほとんどでしょう。
これが神様と人間の考え方の大きな違いと言えるでしょう。
どんなに自分にとって不利益となりそうに思えても、神様の御考えに従えば成功し、人間の考えに従えば失敗するということです。
神様の指示されることは、人間の感覚からすると一見うまくいきそうにないと感じることも少なくないのですが、こういった時に信仰が試されるということです。
結局のところ、この7月に稼いだ貯金が大きかったので、この1年間の我社の業績は大きな黒字となりました。
本当に神様のお陰としか言いようがありません。
また神様の祝福と言えるもう一つの理由に、私は社長としての業務をほとんど行っていなかったことが挙げられます。
世の中の社長の業務と言えば、人間関係の構築、取引先への営業や接待、資金繰りなど、会社の業績に直結するような仕事をしなければなりませんが、私はこれらのことを何一つやりませんでした。
勿論、それが神様の目から見て正しいことなのか、私には分かりませんが、一つ言えることは、神様のために時間を費やすことを優先した、ということです。
もしも、我社の業務が神様の願いを叶えることに直結するならば優先してもいたでしょう。
残念ながら、我社を取り巻く人たちは、キリスト教は勿論、RAPT理論さえまともに把握していませんので、我社の業務を優先する行為は、どこまでも神様とは無関係な行為となってしまうのです。
2022年は、神様が望まれること(4つの信仰の柱を立てること)を優先した結果、得ることのできた祝福だと思います。
しかしながら、翌2023年からは私にとっていよいよ艱難苦難の訪れとなる神様からの練達が待ち受けていましたが、それも近いうちに記事にしたいと思います。
結論から申し上げますと、2021年と2022年に受けた肉的な祝福を、サタンにゴッソリと奪い取られるという旧約聖書のヨブ記のようなことを体験することになるのです。
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