ここ最近、同業他社から仕事の受注を受ける機会がありましたが、その同業他社とは、数年前に我社を誹謗中傷した人物が運営している警備会社です。
まさか、その会社から警備員の要請の連絡が来るとは考えてもいませんでした。
我社を誹謗中傷した人物とは、以前私が勤務していた会社の部下だった者(以下「Oさん」とします。)です。
誹謗中傷の内容とは、我社が赤字だから危ない、といった内容で、そのことを周囲に伝えまくっていたのです。
確かに、我社は赤字になったり黒字になったり、決して安定した業績を残すことはできていませんが、Oさんが周囲に言いまくっていた時は、我社は黒字だったのです。
事実に反することを言われていたので、誹謗中傷と表現させていただきました。
その時点で我社が赤字であることが事実であれば、Oさんの発言や行動に対して私は何とも思いません。
たとえ我社に対する不利益と思われる事だったとしても、それが事実であれば受け入れるべきことですし、言われたくなければ、黒字化できるようにすればいいだけのことですから。
それに、もしも我社が仮に赤字であったとして、私がそのことを隠して従業員を雇用したとすれば、それこそ悪となります。
しかしながら、Oさんは明らかに我社を貶める(おとしめる)ことが目的だったのですが、それには理由がありました。
少し背景をお話しさせていただきます。
数年前の私は、キリスト教の信仰を持っていませんでしたので、我社を上手く運営するために、在籍人数を増やすことに躍起になっていました。
その当時Oさんは、私が以前在籍していた会社に所属していたのですが、待遇に不満を持ち、退職を決意し、自分たちで新たな会社を立ち上げようと試みていました。
従業員達の多くも会社に対して不満を抱き、退職しようとする動きが活発化していました。
そしてOさんは、一人でも多くの人を、その会社から自分が立ち上げる会社に誘いたかったようです。
実を言いますと、私もその当時はOさん達と繋がっていまして、その動きに便乗し、あわ良くば一人ないし二人ぐらい我社に雇用できれば、と甘い考え、いや、悪なる欲望を抱いていました。
その私の行為が、Oさんにとっては脅威に感じたのでしょう。
彼は表向きは味方を装っていましたが、裏では明らかに敵意むき出しといった感じでした。
自分で言うのも何ですが、私にはその会社での実績が十分にあり、人望もOさんと比較すれば格段にありますので、私が動けば私に追従する人達が多く発生する恐れがあると考えたのでしょう。
そこで、彼は従業員達が我社に流れることを阻止するため、我社を誹謗中傷したのです。
「○○(我社のことです。)は赤字だから○○(我社のことです。)に行くのは危ない。」と周囲に言って、我社に人が流れないように阻止したのです。
そのことを、私の知人(以前の会社で私の部下だった人)が教えてくれました。
そのことを知った私は、Oさんとはそれ以降、一切の連絡を絶ちました。
彼から連絡が来ることもありませんでした。
そして数年ぶりに彼から連絡が来て、彼の運営する会社から受注しましたが、普通であれば、おそらく多くの人達が、そのような目に遭わされた相手と二度と関りを持ちたくないと思うことでしょう。
どの面下げて連絡してきたんだ!!と、いきり立つことでしょう。
しかし私は違います。
神様がもたらされたことなのかどうかが重要だからです。
彼の運営する会社から受注すれば、従業員の仕事(給料)も確保できますし、我社の業績向上にも繋がります。
私個人のくだらない意地のために受注を断ることが最善なわけがなく、一方で、私に不利益を与えた相手と再び関わるように促されたのも何か理由があるかもしれない、と考えた私は、躊躇なく受注し、Oさんと関わる道を選択しました。
そもそも、恨みを持つことも神様の世界では罪だから、というのもあります。
すると先日、Oさんと直接話をする機会が訪れて、色々な話をする中で、彼の方から次のような話がでました。
「○○(我社のことです。)さんはどのように上手く運営しているのですか。うちは立ち上げて3年になりますが、ずっと赤字続きなんです。」
Oさんが運営する会社は、Oさんが社長というわけでは無く、知人から既存の会社を紹介されて、その会社が警備事業に新規参入し、Oさんが運営を任されているという状態で、経営者は別にいるということです。
その会社の社長さんから、毎年のように赤字だと指摘されて、少々参っているようです。
ここに神様の裁きがあったと私は感じました。
Oさんは、私に行った誹謗中傷の報いを受けた可能性が無きにしも非ずなのです。
ちなみに、数年前の誹謗中傷の件について、未だ彼から謝罪はありません。
神様が私の無念さを慰めるため、彼に赤字の本当の辛さ、地獄を味わわせているのではないか、と勝手に感じています。(笑)
聖書にはこうあります。 新約聖書 ローマ人への手紙12章17~19節 口語訳 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたはできる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が復讐する」と書いてあるからである。
Oさんが私に対して行った誹謗中傷は、私が信仰を持つ直前の出来事でしたが、神様がそのことを憐れんで下さったのではないかと感じ、感謝の気持ちで溢れました。
そう思いますと、Oさんから謝罪が無いことなど、とても小さいことに過ぎないと感じ、どうでもよくなりました。
しかも、彼が警備事業を立ち上げた際は、15人前後の従業員を集めることに成功したようですが、今では半分の7人まで減少しているようです。
新人も思うように入ってこない状況のようで、雇用しても、いい加減でろくでもない人間ばかり集まってくるようです。
人材派遣業を運営する上で、このような人間達ほど厄介な存在はありません。
何せ、人の抜けた穴は人でしか解決できないのが人材派遣業ですから、無断欠勤や急な欠勤をされたら、場合によっては、にっちもさっちも行かなくなるわけです。
ひどい場合は、損害賠償や契約破棄にまで発展しかねないのです。
つまりOさんは、会社が赤字だけでなく、普段から上手く運営をできていないわけで、それもある意味神様からの裁きと言えるかもしれません。
Oさんからすれば、私を頼ることは屈辱だったかもしれませんし、そうせざるを得ないくらい、助けてくれる相手に恵まれなかったということなのかもしれません。
しかも、「働いても働いても赤字だと言われたら、どうすればいいのか分かりませんよね。」とOさんは言っていましたから、社長との関係も上手くいっていないように見受けられました。
挙句の果てに、「○○さん(我社のことです。)は、なぜやっていけているのですか。」と聞かれましたが、私は当たり障りのない回答をしました。
答えは一つだからです。
神様に頼ることです。
しかし、このことをOさんに伝えたところで、まともに伝わらないし、理解さえできないでしょう。
なぜならば、Oさんは昔からお金のことしか考えていませんでしたし、今もそのようです。
聖書にもこうあります。 新約聖書 マタイによる福音書6章24節 口語訳 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
また、RAPTさんの有料記事にも同じような内容があります。 RAPT有料記事107(2016年10月1日) 神と富とに仕えることはできない。
お金を一番に追っている者に、神様のことは絶対に理解できません。
いずれにしましても、Oさんに起きていることは、神様の裁きかもしれませんし、神様の裁きでないとしてもサタンの領域(主管圏)で起きることの典型であると言えます。
実を言いますと私は、最近こそOさんの裁きは祈っていませんでしたが、数ヶ月前まではOさんの裁きを祈っていました。
私の願いを神様が叶えて下さったとも言えますが、彼に起きていることは明日は我が身と思い、誹謗中傷でないとしても、他人の悪口は慎むように心掛けなければならないと再確認できた出来事でした。
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