義務教育は破壊すべき!!子供の可能性を大切にする教育に変えるべき!!

RAPT理論

はっきり言わせていただきます。

日本の教育システムは、子供たちの将来や個性才能を殺すシステムです。

みんなが同じ教育を受け、同じ取り組みをし、本人が本当にやりたいことが出来ない仕組みになっています。

あるいは、本人にやりたいことがあったとしても、そのために沢山の時間を費やすことが出来ない仕組みになっています。

そうです、学校に行くことが優先されるからです。

皆さんは信じられないかもしれませんが、有名な歌手やスポーツ選手のほとんどが上級国民の血筋であり、しかもなぜあのように非常に能力の高いパフォーマンスを発揮できるのかと言いますと、彼らのほとんどが学校に行くことなく、そのことに没頭できる時間を費やしてきたからこそなのです。

端から庶民にはそのような世界で活躍できない仕組みが作られているのです。

残念ですが、これが現実です。

庶民の子供たちの中には、芸能界を目指したり、歌手を目指したり、プロスポーツ選手を目指したり、何らかの専門家を目指したりする人もいるでしょうが、まずその夢が実現不可能な仕組みになっているのです。

だから、庶民の将来は限られたもの、つまりは会社員、公務員、職人などとなってしまうわけです。

中には運が良く自分の思う通りのことが出来る子供たちもいるでしょうが、子供たちの多くは親の言うまま学校の言うままに今や将来を決められてしまう人生となっているのではないでしょうか。

RAPT理論の登場により、学校で習う国語、算数、理科、社会、英語など、そのほとんどが将来に無意味であり不必要な内容が圧倒的に多く、かつ、嘘偽りを洗脳する教育となっていることが分かりました。

実際に、小学校や中学校で聖書を、上で挙げた5教科のように必須科目として取り入れている学校がどれほどあるでしょうか。

私は40歳を過ぎるまで聖書に出会うことが出来ず、何とも勿体ない40年間を過ごしてきたことになります。

キリスト教の信仰を持つかどうか以前に、聖書の存在や内容を知らなければ不幸だと言わざるを得ません。

まあ、この世の中が悪魔崇拝者によって支配されているということが分かれば、聖書を教育の中に公に導入しないのも道理です。

まずは以下の記事をご覧ください。

RAPT×読者対談〈第116弾〉受験戦争の闇。イルミナティの裏口入学。

今となっては義務教育を完全否定する私ですが、実を言いますと私自身は、義務教育と現行の教育システムの恩恵を受けた一人でした。

小学生の頃から算数が得意で、全体的な成績も良く、勉強に関しては小中高を通して目立つ方だったからです。

しかも大学についても、中退はしたものの旧七帝大と言われる大学の一つに合格できたわけです。

しかしながらその一方で、勉強以外では世間知らずの何の能力も知恵も無い無能人間と化していたのです。

そのような人間が学校の先生になろうとしていたのですから愚の骨頂でしょう。※私は高校の数学の教師を目指していました。

学校の先生になる仕組みについても大学卒業必須ですから、世間知らずで社会のことをまともに経験していない人間が子供の教育に携わる仕組みです。

本当に馬鹿げた仕組みです。

大学生の時にバイトを経験した学校の先生もいるでしょうが、バイトでは世間を知るという意味では非常に乏しいです。

落ちこぼれと言われ(言葉が悪くてすみません。)労苦してきた人たちの方が、余程学校の先生に向いていると思うのですが。

しかも、勉強やスポーツができない子供たちは、何の取柄もない落ちこぼれと思われるような風潮がずっとあります。

こういった歪んだ風潮を生み出す教育システムこそ改善すべきで、RAPTさんも仰せになっている通り、子供たちの個性才能を生かせる教育システムが構築できれば、落ちこぼれと言われる子供たちがなくなっていくわけです。

何か得意とする分野や興味を持った分野がそれぞれの子供たちに一つでもあれば、優秀だと評価してもらえる社会になるべきです。

得意分野は何も勉強やスポーツに留まらず、料理や図画工作など、何でも良いわけです。

それをメインとして、補助的に国語算数などの5教科を習えばいいのです。

これまでの世の中は、この真逆であり、5教科がメインで補助的に習い事などを行うといった具合です。

RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ。

116弾の対談の中でRAPTさんは、国語のことで小説の点数が全く取れなかったとお話をされています。

しかも、小説の作者が、その小説の問題の正解を間違うといった滅茶苦茶なことが起きているようです。

作者本人が正解できない問題を、平気で受験生に解かせているわけです。

有り得ないでしょう。

実は私も高校生の時に、小説は大の苦手で0点さえ取ったことがありました。

約30年前になりますが、大学受験の国語の内容は評論文(現代文)、小説、古文、漢文の四種類から構成されていましたが、どれも全く理解できませんでした。

私の考えですが、義務教育は撤廃し自由教育にすべきです。

学校に通いたい者は通えば良いし、通いたくない者は通わなくて良いシステムに変えるべきです。

それだと学校の存続が出来なくなる可能性もあると思われる人もいるでしょうが、それを税金で賄えばいいのです。

国が庶民から取っている税金のほとんどが、庶民のために使われていない現実をご存じでしょうか。

イルミナティなどの上級国民が潤うために、我々の税金が使われているのです。

そもそも、義務教育にお金が必要になること自体もおかしな話です。

義務教育とは、国が強制的に行うように仕向けている教育のことです。

つまりは、拒否できる権利が原則として我々庶民には無いということになります。

それなのに、どうして小学校や中学校に通うのに、お金がかかるということが起きているのでしょうか。

皆さんは、このことをおかしいと考えたことはありませんか。

当然だと思っているのでしょうか。

むしろ、理不尽でしょう。

強制的に小学校と中学校に通わせられているのに、教科書代や給食費が必要になることがそもそも理不尽極まりないことなのです。

なぜ買わせるのだ!!という話です。

そう言えば給食費の問題が社会問題化していたこともありましたが、そのような問題が発生すること自体が変な話なわけです。

この問題については、保護者側にも問題があるように思えますが。

ちなみに、私には子供を養う必要のある家族もありませんから、私にとってはどうでもよい話です。

しかしながら、RAPT理論を知りキリスト信者となった私にとっては、どうでもいい話ではありません。

なぜならば、悪魔(サタン)によって作られた教育システムだからです。

だからこそ、理不尽が生じているのです。

ところで消費税とは、何のために取り入れた税金でしょうか。

社会保障の充実など、我々庶民のために取り入れた税金なのではないでしょうか。

子供たちの教育についても、立派な社会保障だと私は思うのですが。

そういった我々庶民に益となるどころか、害とさえなっている消費税です。

本来であれば、消費税によって義務教育を賄うべきでしょう。

そのために税金が使われるならば、我々庶民の益となるように使われるならば、消費税が15パーセントになろうが一向に構わないわけです。

話が少々反れますが、消費税が何に使われているか、皆さんは御存じでしょうか。

政治家や大企業を潤すために使用されているのです。

政治家や大企業とは、詰まるところ、悪魔崇拝者たちのことです。

「消費税増税」と「郵政民営化」はトヨタの元社長「奥田碩」によって進められ、トヨタの懐を潤しました。

話を元に戻しますが、教科書も給食費もランドセルも制服も全て支給にすべきです。

つまり、小学校や中学校に通うのに必要なもの全てを国や県や市などの自治体が用意すべきだということです。

何のために市県民税を払っているのでしょうか。

そうでなければ義務教育を撤廃すべきです。

と言いますか、義務教育は必要ありません。

学校に馴染めない子供たちや、友人たちと関係が上手く築けない子供たちなど、無理に学校へ通う必要は無いのです。

無理やり説得させられる子供たちは憐れでなりません。

単なる子供のわがままの場合もあるでしょうが、現実として無理強いのせいで自殺に追い込まれた子供たちがいるのも確かなことです。

ただ現状の教育システムの中で、私の意見は保護者にとって同意できない部分も多いでしょう。

それは、学校に通わせない選択をした場合の、子供に対する将来への不安から学校に通わせない選択ができないのだと考えられます。

しかしながら、学校とは別の、子供たちの教育のための機関が存在すれば、その不安が解消されるのではないでしょうか。

実は私は、多くの子供たちを救うため、子供たちの可能性を増やすために、そのような機関を作ることが出来ればという理想を思い描いています。

国語や算数といった勉強は、世の中を生きていく上で必要な内容を最低限学べば良いのです。

勿論、5教科の中で強い関心を持つ子供たちもいるでしょうから、学問を極めたい子供たちは学問を熱心に行えばいいのです。

スポーツを極めたい子供たちはスポーツを熱心に行えばいいのです。

とにかく、何でも興味を抱いた分野を熱心に行うことが出来る教育を目指すべきです。

受験を目的とした学問やスポーツを撤廃し、個性才能を磨く目的に変えるべきです。

そうすることで、「落ちこぼれ」という言葉が存在しない世界を作ることができます。

RAPT理論を勉強し、聖書を勉強し、可能ならばクリスチャンとなって神様の力に頼ることで、自分の個性と才能を見つけ出して将来を設計する、そういった教育機関を作るべきだと考えています。

学校をそのような機関に変えればいい、と考える人もいるでしょうが、学校にも少なからず既得権益が存在しているようです。

ましてや学校とは、悪魔によって作られた機関ですから、システムを変えることは困難でしょう。

従いまして、別の機関を新たに作るべきです。

そうすれば、親も自分の子供に対する将来の不安を抱えずに済むでしょうし、何より親にとって子供が生き生きと育ってくれることほど嬉しいことはないでしょう。

それこそ、子供たちが非行に走ることも無くなるでしょうし、親に反抗することも無くなるでしょうし、素直に育つ子供たちが増えることは必定です。

義務教育は、かえって子供たちを非行や反抗心に向かわせていると言えるのではないでしょうか。

義務教育は、親の子供への教育に対する責任さえも堕落させているのではないでしょうか。

大学に行ったからといって、将来が約束される時代では無くなりました。

これからの時代を生きていくためにも、義務教育は破壊すべきです。

義務教育は悪魔によって庶民を奴隷化するために作られたシステムですから、そのシステムを破壊し、我々義人によって作り変えなければなりません。

私は少しずつではありますが、再び教育の世界に踏み込みたい気持ちが生じています。

やはり私は人に教えるという作業が好きなんだと、改めて感じています。

まずは、学校に通いたくないと思っている子供たちを助けることから考える必要がありそうです。

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