聖書から ~金銭の欲は、すべての悪の根です。~

キリスト教

私は、2020年4月にRAPTさんから、この世の中で聖書が最も良い書物だと教わりました。

この世の中が、聖書の逆で成り立っているということをRAPTさんの読者対談からお聞きし、興味を持ちました。

聖書自体は、その存在を知らなくもないという感じでしたが、全く関心が無く、読もうと思ったことさえ、1度もありませんでした。

いざ購入してみると、まず「分厚過ぎる」と思いました。

もともと私は、読書が苦手、と言うか、どちらかと言うと嫌いでした。

30歳代後半に、ある会社で取締役に就任するまでは、本を買って読んだことは1度もありませんでした。

小学校に通っていた時の読書感想文なども適当に書いていましたし、高校生の時は、国語のテストで小説の分野がありましたが、0点を取ったことがあるくらい、読書に全く興味がありませんでした。

実は、聖書を購入してしばらくの間は、読む気が起きませんでした。

RAPTさんのブログ内の有料記事を購読する様になってようやく、聖書を読む気が起きました。

聖書内の全ての内容に興味を持てるわけではありませんが、神様の掟や考え方が書かれてある箇所は非常に興味を持って読むことができています。

現在、7回目の聖書の通読の最中ですが、私が初めて通読を行って、最も感銘を受けた聖句が、このタイトルの聖句です。

この聖句は、新約聖書の「テモテへの手紙一 6章9節~10節」です。

金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥(おちい)ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥(おとしい)れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。

まさに、私の20歳代の人生そのものであり、私が30歳代後半に取締役を務めた会社で起きたことも、ピッタリと当てはまったことに驚きました。

また、旧約聖書の「箴言(しんげん) 28章22節」には、以下のようにあります。

貪欲な者は財産を得ようと焦る。やって来るのが欠乏だとは知らない。

このように聖書には、現代に通じる戒め、自分に通じる戒めや助言(救いの言葉)が沢山書かれてある、ということを皆さんに知ってほしいと思い、ほんの一部を紹介させていただきました。

今後も、聖書の聖句を引用し、私の人生の中で起きたこととリンクさせて記事を書かせていただきます。

それ位、聖書通りのことが私の人生にも多々起きているということなのです。

神様に出会う前から、私はけっこう不思議な体験をしていますので、それも後日書かせていただきます。

ここからは私の壮絶な人生の記録になりますので、興味のない方はスルーされて下さい。

私は、大学2年になったばかりの4月(当時19歳)に突然、原因不明のお腹の調子の悪さに悩まされました。起きると微熱が出て、吐き気が襲ってくる毎日でした。(寝ている時は、熱も下がり吐き気も治まりました。)

この体調不良はその年の7月まで(約4ヶ月)続きましたが、これが原因で、大学をさぼるようになり、バイトもできなくなりました。

ちなみにこの間は、まともに食事が取れず、水分などの噛む必要のない物しか食べられませんでした。

何か固形の物を口に入れると、直ちに吐き気が起きましたし、歯磨きも辛かったです。

病院に行き、内視鏡検査やバリウム検査をしましたが、目立った異常はありませんでした。

今振り返っても、よく治ったなあ、と思います。

結局、医者に頼っても治らず、極端なことを言うと養命酒で改善しました。

と言うことはつまりは、自然治癒した、ということです。

当時は、バイトと親の仕送り(と言っても家賃程度)で生活していましたが、当然のごとく、バイトをやめたことで収入源がなくなり、生活に困窮しました。

この時、親に助けを求めていれば、叱られるだけで済んでいたかもしれませんが、私は親に叱られることを恐れ、まず、当時送金されていた学費に手を付けてしまいました。(学費については、親が私の銀行口座に振り込み、私が支払いを行っていました。)

ある程度使い込んでしまってから、事の重大さに気付き(時すでに遅し!)、親に正直に伝えることをせずに、あろうことか銀行から借金する道を選択してしまいました。

つまり、親に学費の使い込みがバレないように、銀行から借金をして隠そうとした、ということです。

聖書では、嘘をついてはいけない、と戒めてありますし、隠されたことであらわにならないことは無い、とも書かれてあります。

嘘と隠蔽工作により、聖書の戒め通りに私の人生の崩壊(破滅)が始まりますし、やがて隠蔽(借金した事実)も発覚することになります。

借金をすることで、使い込んだ学費の補填にするつもりだったのですが、生活費に困窮していた私は、当然のごとく生活費に使ってしまい、補填どころか散在してしまいました。

当たり前ですが学費の使い込みは親に発覚します。

大学から学費の入金が行われていない旨の連絡が親に入ったからです。

こっぴどく叱られ、そこで体調不良に陥った事情を話しますが、肝心の借金したことは伏せていました。

結局のところ、親は学費の補填をしてくれました。

この頃になると私の体調も回復していて、働けば何とかなると考え、借金のことは黙っていました。

しかしながら、この頃からほとんど大学へ行かなくなり、バイトやサークル活動、及びパチンコにハマってしまいます。

大学の同じ学部の友人からスロットを教わり、世間で言う「ビギナーズラック」に当たり、ハマってしまいました。

これが、借金地獄に突入する大きな要因となりました。

当時の銀行や消費者金融は、学生であっても仕事さえしていれば、結構な金額を貸してくれる時代でした。

10万円借りても、月々の支払金額は4,000円でしたから「余裕で返せる」と安易に考えたのです。

しかし、パチンコなどしていると、10万円などすぐになくなり、借金額が100万円になるのに、それほど時間はかからなかったと記憶しています。

そんな時、人生の破滅に追い打ちをかける出来事が起きます。

パチンコ屋でなんと、暴力団の人に声を掛けられました。

換金後、私が出てくるのを待っていたようで、「にいちゃーん、いつもよー出しよるねえ。」と声を掛けられ、近くの居酒屋さんで食事をしたことで仲良くなってしまいました。

ただ、今考えても不思議なんですが、パチンコ屋で暴力団の人と出会う経験など、ほとんどの人が無いと思います。

パチンコ屋でいつも勝っていそうな人などゴマンといるでしょうに、ピンポイントでなぜ私に、といった感じです。

この縁が契機となり、女遊びまで覚えてしまう始末となりました。

もう完全に、堕落人生、破滅人生の幕開けです。

ギャンブル(パチンコ)と女にハマり、お金を湯水のように使うようになり、借金に借金を重ね、大学も全然行かなくなり留年をしてしまう事態になりました。

卒業する気はないのに、卒業できる見込みはあると親に言い続けて騙し、学費を送ってもらうという、やっていることが極悪人そのものでした。

とにかくお金を追い続けて散在した挙句、当然ながら生活にも困るほどになり、日銭を求めて警備会社でバイトをするようになりました。

こうなると完全に大学へは行かなくなり、バイト三昧の日々となりましたが、やがて天罰が下ります。

とうとう借金が払えなくなり、自宅に借金の取り立て屋がやって来ました。

そして、目の前で「親に電話しろ」と言われ、遂に親に発覚します。当時26歳でした。

隠されたことであらわにならないことは無い、という聖書の言葉が実現した瞬間でした。

数日後、父親が私の自宅に来ます。

当然、激高していました。

父親に人生初のグーで殴られました。

と言うか、殺されてもおかしくなかったです。

「お前を殺して俺も死ぬ」と言われた記憶があります。

実はこの時父親は、母親と一緒ではなく、なんと不倫相手の女性と私の自宅に来ていたのです。

おいおい、もはやこの親にしてこの子あり、というコントみたいな話ですよね。

当時の私の借金総額は250万円ほどありました。

何だかんだで結局、親が全額支払ってくれました。

大学も中退することになり、熊本県の親が決めた会社で働くことになりましたが、実は2年後にそこでも同じ失敗(ギャンブル、女遊びによる借金まみれ)を繰り返してしまい、夜逃げしました。

それで親を含めた身内と絶縁状態になりました。当時28歳でした。

このように、自分の欲望や欲情を満たすために、お金を追い求めてきたばかりに、人生を崩壊させてしまう結果になりました。

パチンコをするにもお金が必要です。

女遊びをするにもお金が必要です。

生活するためにもお金が必要です。

電気も止められ、ガスも止められ、挙句の果てには水道をも止められる経験をしました。

さすがに水道は止められてはいけないと思いました。

多くは書きませんが、水道がストップしたら本当にヤバいです。

まあとにかく、金!金!金!といった20歳代を過ごして、聖書の言葉通り、滅亡と破滅に向かいました。

そんなどん底人生を経験したことが、現在に大きく生きています。

私は、将来の夢として、高校の数学の先生になりたいと思い、大学進学したのですが、順調に人生を送っていたら、間違いなく世間知らずの人間でした。

これほどまでに堕落して、破滅した人生を送りましたが、これらの壮絶な経験により、世間を知ることができました。

更に、若い時は大変に高慢な性格で、特に勉強のできない人達を見下していました。

塾でバイトしていた時も、知らず知らず、見下すような態度が出ていたようで、成績の良くない生徒たちから反発を受けたことさえありました。

実は聖書には、神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる、と書かれてあります。

実のところ、大学では勉強についていけず、勉強ができない人達がよく言う「分からないところが分からない。」という気持ちが初めて理解できるようになりました。

勉学においては、とことん落ちこぼれになりました。

これも、神様が私の高慢をへし折るために挫折させたのだ、と私は考えています。

多くの人達に迷惑を掛けてしまった20歳代でしたが、忘れかけていた大切なことを思い出させてもらった時間だったかもしれません。

今は思います。

あの当時の経験があったからこそ、今の自分があると。

私は、神様からそのような人生を経験させられたのではないか、とさえ思っています。

神様の世界では、どんな経験も(良いこと悪いこと関係なく)必ず益となって自分に返ってくる、とRAPTさんが仰せになっています。

ある意味、あの20歳代の出来事は、神様が悪の世界を私に見せて下さった、とも考えていますし、神様の教え(聖書の言葉)に反する生き方をするとどうなるか、と教えていただいたとさえ考えています。

聖書に書かれていることが、まさに私に起こった、と言えるでしょう。

ちなみに今の私は、お金に対する執着は一切ありません。

酒、たばこ、パチンコも一切やりません。

会社経営をしていますが、儲けを第一に経営はせず、少しでも、人の役に立つこと人に喜んでもらうこと、を第一に考えています。

ただ、性的な堕落からは完全に脱却できていないので、私にとってはこれが最後の砦です。

が、必ず克服してみせます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

30歳代後半の出来事については、また機会があれば書かせていただこうと思います。

一人でも多くの人が、この聖句のような顛末を迎えることが無いよう願います。

また、この聖句のような経験をした人が、一人でも多く回復できるように願います。

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