前回、豊臣秀次切腹事件は、朝鮮戦争が引き金になったのではないかとお話をしました。
ちなみに推測ですが、この時代の明と李氏朝鮮は、秦氏の勢力下にあったのではないかと考えます。
勿論、明にも李氏朝鮮にも出雲族勢力は存在していたと思われますが、秦氏の支配権が強かったのではないか、ということです。
そして今回は、豊臣秀吉(以下、「太閤」と表記します。)VS豊臣秀次(以下、「関白」と表記します。)の争いについて推理してみます。
※豊臣秀吉、豊臣秀次と表記すると、混同して読んでしまう可能性があると考えたからです。
結論から申し上げますと、太閤が出雲族として、関白が秦氏として争った、ということです。
イエズス会(秦氏)は、何としてでも日本における支配権を奪いたいと企み続けていたのだと思います。
何せ日本には天皇がいます。
秦氏は天皇を神として祀っている人達です。
天皇は、悪魔の最高神である国常立尊(くにのとこたちのみこと)つまり、ルシファーから啓示を受けられる唯一の存在だった可能性が高いと言われています。※RAPT理論より
しかも、そもそも日本は悪魔崇拝の聖地(聖地という表現が適切かは分かりませんが。)でもあるのです。
従いまして、悪魔崇拝者が日本における支配権に拘るにのには十分な理由があるのです。
秦氏にしても出雲族にしても、拝んでいる悪魔の最高神は変わらないようですので、両者とも日本での支配に固執するということでしょう。
そこで、イエズス会が目を付けたのが、関白だったのではないでしょうか。
太閤に対抗できる存在としては、やはり関白が筆頭だったと考えられます。
ではなぜ、イエズス会が関白に急接近したのではないか、と私が考えたのかと言いますと、朝鮮戦争が休戦となった同じ時期に豊臣秀頼が誕生しているからです。
豊臣秀頼は太閤の実子と言われています。
最近の説では、豊臣秀頼は太閤の実子ではない、と言われていたりもしますが、私は実子であったと考えています。
もしも、太閤の側室である淀(織田信長の姪であり、浅井長政の娘)の産んだ子が太閤の実子でないと仮定すると、周囲も豊臣秀頼を関白の後継ぎとして育てることに反対していたと思われます。
それこそ、関白の実子を、豊臣家の後継者として考えるでしょう。
やはり、血縁のある者に後を継がせたいと考えるでしょうし、血縁者でなければ、後の世に別の氏族に乗っ取られる可能性すらあります。
ましてや、家臣を使って(特に石田三成を使って)側室の淀に子を産ませ太閤が自分の後継者にする、という説を唱えている専門家もいるようですが、絶対に有り得ないでしょう。
話を元に戻します。
私が考えるに、豊臣秀頼が誕生した当初は、関白も喜んでいたのではないかと考えます。
そして太閤は、早くから豊臣秀頼の成長した時のことを考えて、動き出します。
豊臣秀頼と関白の娘との婚約を成立させ、更には、日本国内の統治権について、5分割したうえで、4つを関白が、1つを豊臣秀頼が統治することを決めました。
私は、これらの過程の中で、関白に有ること無いこと吹き込んだ者がいて、太閤と仲が悪くなるように仕向けようとした、と推測しました。
私はその者を、ルイス・フロイスではないか、と考えています。
ルイス・フロイスのことは一旦置いておきまして、関白について書かれたウィキベテアの記事を見ていただき、「切腹事件」の項を読んでいただきたいのですが、実に様々なこと(説が複数ある)が書かれています。
朝廷に献金を行ったり、多数派工作を行ったりと、明らかに戦闘態勢を取っているような記述が見受けられました。
興味深い説として、毛利輝元と密約を交わした、という内容が書かれてありました。
その説は事実無根と書かれてありますが、その後の関ヶ原の戦いで、毛利輝元はイエズス会側(秦氏側)として戦っていますから、関白と毛利輝元の密約は事実ではないかと私は考えます。
太閤の下、NWOが成し遂げられて安定しているようでしたが、その実、いつでも崩壊する危険性をはらんでいたということでしょう。
NWOが成し遂げられても、秦氏と出雲族の両方が存在していたわけですから。
ウィキベテアの記述によりますと、突然、関白に謀反の疑いが生じていますが、「突然」というのは有り得ません。
必ず、何らかの背景、根拠があって、謀反嫌疑が掛かっているのです。
大まかに説明しますと、イエズス会が豊臣秀頼誕生に伴い関白を取り込み、太閤を排除し、出雲族中心のNWOから秦氏中心のNWOを実現しようと企んだ、ということではないかと推理します。
謀反という表現は、あくまで太閤の方が実権を握っていたために使用されていると思われますが、太閤がいち早く察知したのでしょう。
まあ、いつの時代も悪魔崇拝者の間では、内通や裏切りは日常茶飯事に横行していたでしょうから。
実際に、豊臣秀次切腹事件の後、彼の身内(主に妻子たち)は全員処刑されています。
つまり、太閤が甥である関白の血縁者をことごとく殺害しているところを見ますと、太閤の関白に対する憎悪は半端なかったと推測できます。
太閤自身の血縁者を殺害しているのですから、尋常ではありません。
しかも、後先を考えない行動、つまり、自ら豊臣家の力を削ぎ落す様な行動を起こしているのですから、余程の事だったと考えられるわけです。
身内と言えども許せない余程の事と言えば、真っ先に思い浮かぶのは「裏切り」でしょう。
だから私は、関白がイエズス会とグルになって太閤を倒そうとして未遂に終わった事件、それが豊臣秀次切腹事件の真相ではないか、と考えたわけです。
事件後の結果から考えてみても、関白が太閤に対して戦争を仕掛けた(謀反を企んだ)、と考えた方が自然なのです。
ちなみに、関白のウィキペディアを読んでいただくと、「秀次の罪状」という項に、ルイス・フロイスのことが書かれているのですが、彼は関白のことを好意的に書いて、太閤のことを憎しみを抱いているかのように酷評しています。
そしてルイス・フロイスをウィキペディアで調べてみますと、イエズス会士と書かれてありました。
即ち、イエズス会士=イエズス会のスパイ(工作員)であった可能性が高いということです。
どうですか?
そのように考えますと、辻褄が合ってくるように感じませんか?
太閤が行った伴天連追放令も、言葉を換えればイエズス会追放令ですし、関白がイエズス会と手を組んでいたと考えても、十分有り得ると思いませんか?
だからルイス・フロイスは、太閤を酷評し、関白を褒めているのです。
ちなみに、ルイス・フロイスと行動を共にしているアレッサンドロ・ヴァリニャーノという人物も怪しいですね。
彼も御多分に漏れず、イエズス会士と書かれてあります。
従いまして、これらの人物が中心となって、日本においてスパイ活動を行っていた可能性が十分に考えられるということです。
彼らのことを徹底的に調べると、もしかするともっと真相に近づけるかもしれませんね。
ルイス・フロイスは、1592年から1595年まで日本に滞在していないかのような記述がありますが、これも事実かどうかは分かりませんね。
何せ1595年というのは、関白が死んだ年だからです。
だからルイス・フロイスは関白事件とは無関係、ということにしたいだけなのではないかと疑ってしまいますね。※あくまで私の勝手な推測です。
ちなみに、1992年のNHK大河ドラマ「信長」では、このルイス・フロイスが進行役として全話に登場します。
これも意味があって、すなわち、我々庶民を真実から遠ざけるため、ルイス・フロイスを使っているとしか思えません。
やはり、この時代の真相のカギを握る人物の一人なのかもしれません。
だからこそ大河ドラマを使って、ルイス・フロイスのことを庶民に洗脳する必要があったのだろうと考えます。
伴天連追放令を行った1587年から、関ヶ原の戦いの1600年に至るまでの13年間は、日本国内でイエズス会が激しく動き回ったと考えられるのです。
実際に、伴天連追放令以降、様々な出来事が起きているのです。
小田原征伐、豊臣秀長暗殺(表向きは病死)、千利休処刑、太閤実子の鶴松暗殺(表向きは病死)文禄の役(第一次朝鮮戦争)、関白処刑、慶長の役(第二次朝鮮戦争)、太閤死去、関ヶ原の戦い。
これらの出来事が、イエズス会が暴れ回ったことによる出来事と考えると、真実に近づきそうな気がします。
何せイエズス会は、織田信長に裏切られ、太閤にまで裏切られたのですから、日本国内で暴れ回る動機は十分にあるのです。
イエズス会の動きがあまりにも激しかったので、その動きがエリザベス一世の知るところとなり、関ヶ原の戦いに向かっていくというシナリオでしょう。
最後に、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも、豊臣秀次切腹事件を描いていましたが、はっきり言って駄作としか言いようがありません。
以下のリンクを見てみて下さい。
まあ、この新説も馬鹿馬鹿しいですが、本当に専門家か??と疑うレベルですよ。
ちなみに、関白は高野山に追放になり、明らかに太閤から罪人扱いを受けています。
高野山に送られるという行為は、当時としては罪人に対して行う方法でした。
従いまして、上記の記事のように、太閤が関白に切腹命令を下す予定は無かった、ということは有り得ません。
むしろ、高野山に送られた時点で、いずれ処刑命令が下されるか、下されないにしても許されることは無いでしょうから自殺するか自然死するかしかなく、つまりは、どうであれ「死」を意味するものであったということです。
しかもこのドラマでは、関白が勝手に切腹をしたから関白が太閤に謀反を起こしたことにして、関白の身内(妻子)を処刑する、といった支離滅裂のような訳が分からない展開を描いていました。
謀反をカモフラージュするなら、何も関白の身内を本当に処刑せずに獄の中に閉じ込めておいて、ほとぼりが冷めたところで解放すれば済む話でしょう。
無理やり新説など唱えて、無理やり採用するからおかしなことになるのです。
いかがでしたか。
あくまで私の勝手な推理ですが、有り得ないと感じた部分は、真っ向から否定させていただきました。
次の日本史の記事は、戦国時代を離れて、奥州合戦(前九年の役、後三年の役)の真相や、源平合戦の真相、鎌倉幕府の滅亡~観応の擾乱の真相、といったところのいずれかを推理できればと考えています。
コメント