遂に私の両親にもサタンが入りました。(その1)

神様の証

今回の記事はものすごく長くなり、読む側の立場を考えますと、途中で読むのが苦痛になると感じましたので、数回に分けて記事を書きたいと思います。

その前に、神様のことを誤解されるといけないので、先に書かせていただきたいことがあります。

今回の記事を読んでいくと、「信仰を持ってしまうと、身内などの大切な関係とトラブルになったり、関係を失う目に遭うのではないか。」と考えてしまう方がいると思われます。

これは大きな誤解です。

神様は人間が信仰を持つと、その人にとって真に有益な人間関係を教え導いて下さる、ということです。

ちなみに異性についても、素敵な異性と出会って結婚したいと思うならば、信仰を持つべきなのです。

勿論、それを期待して信仰を持つことは動機が不純ですから、むしろ裁かれます。

その人にとって身内が真に有益であれば、神様がその関係を断つことはありません。

逆に、その人にとって身内が無益であり、むしろ害になると神様が判断されれば、その関係を断つように促される、ということです。

本当に幸せになれる道をお示し下さる、ということなのですが、残念ながら人間にはそれが理解できません。

ちなみに、私にとっては後者の方(身内が害)が起きた、ということです。

私は今年(2023年)の2月から、RAPTさんの教会宛に献金を送ることにしました。

すると、やはりサタンからの攻撃が激しくなってきたのを感じました。

なぜ「献金」を行うとサタンの攻撃が激しくなるかと言いますと、献金は伝道行為だからです。

伝道とは、一人でも多くの人達に真実を伝えて、神様へ繋げてあげること、ですが、サタンが最も嫌がる行為がまさに伝道なのです。

伝道を阻止するためにサタンは活動していると言っても過言ではありません。

私が具体的な伝道のための行動を起こしたので、サタンが攻撃の標的にしてきた、ということですね。

そして2月から3月にかけて、詳細は割愛させていただきますが、私に対するサタンの攻撃が激しくなったと感じたのですが、私が全く影響を受けていない様子に憤慨して、遂に両親を使ってきた、ということだと考えます。

では、なぜそのように言えるのか、私と両親を含めて身内に何があったのか、その経緯からお伝えしたいと思います。

2020年になってすぐに、世間ではコロナパンデミックが起きました。

その影響で、私も実家に戻れなくなりました。

ある程度終息した2021年の年末年始(年始は2022年)に2年ぶりに帰省しました。

その際に、両親にはクリスチャンになったことを伝えました。

それと同時に、コロナのことも少し話をしました。

私は帰省する前から、コロナのワクチンは打たない、と両親に伝えていました。

当然ながら両親はワクチンを打ちなさいと言っていましたが、私がコロナは嘘だからワクチンを打つ理由はない、と伝えても、嘲(あざ)笑う感じで馬鹿にしていました。

私はこの時点で不快感を持ちました。

そして帰省した際に、改めて両親から、なぜワクチンを打たないのか、尋ねられました。

そこで私は、現実に死者が出ていることを説明しましたが、両親は気にも留めていませんでした。

身近でコロナワクチンによって被害を受けた人が全然いなかったためです。

そして母は、「コロナワクチンで死ぬ人は少人数だから気にする必要はない。」と豪語しました。

私は少々憤(いきどお)ってしまい、「それならもしも俺がワクチンを打って死んだ場合、運が悪かったみたいに思うのか?」と少々語気を強めて問い返しました。

「その時は仕方がない。」という返答でした。

もう、愚かでしょう。

おそらく現実味を感じないから、そういう返答になったのでしょう。

「死んでから後悔しても遅いんだぞ!」と伝えても、あまり響いていませんでした。

ただ、話がコロナウィルスの変異株の話になると、呆れることを母は言いました。

「コロナの変異株で重症化する人は少ないらしいけど、重症化したらヤバいから気をつけんといかん。」と。

?????。

皆さんは、この言葉の矛盾に気付きますか?

母は、コロナワクチンの話の際には、少数の死者のことは気にしなくていい、と言っていて、コロナの変異株の話の際には、少数の重症者のことを気にしなくてはいけない、と言っているのです。

「おい!どっちだ!!!」と私は思わず言いました。

自分が矛盾したことを言っていることに気付いていないのです。

なぜ、こういう考え方になるのかと言いますと、コロナワクチンは良い物、コロナの変異株は悪い物、と思っているからです。

私が説明しても母はあまり理解していない様子でしたが、傍で聞いていた父は薄っすら笑みを浮かべながら聞いていました。

父は、多少はその矛盾に気付いていたということですが、母を説得できるほど理解していたわけではありませんでした。

つまり、この時点で両親の中にサタンが入り、矛盾が理解できないように仕向けられていたということです。

それ位、両親の知能レベルは低いということなのです。

だからサタンが使いやすい人間だということです。

今回の記事は、このことを踏まえておいて下さい。

つまり、随分以前から両親の周辺にはサタンがうようよしていた可能性が高く、かつ、サタンが入るほど堕落した人生を過ごしている(大罪が多い)、ということを踏まえておいて下さい。

私は、話が通じない両親に対して、これ以上コロナのことを話しても無駄だと感じ、RAPT理論のことも教えることを控えました。

更に、キリスト教の信仰を持ったことについても、両親から「コロナのことも含めて周囲に押し付けたらいかんぞ!」と言われました。

私は「分かっている。」と言いながらも、内心は不快感でいっぱいでした。

あんたたちが俺に押し付けている、と思ったからです。

もはや世間の常識が通用しなくなった私に対して、両親は世間の常識を私に押し付けていたのです。

私が、テレビは嘘しか言ってない、と伝えても小馬鹿にしていました。

勿論、私の伝え方にも問題はあったかもしれませんが、相手(両親)に受け入れる器が無かったら、どんな伝え方をしても同じでしょう。

受け入れる器が無いとは、知能レベルが低いことと同じ意味です。

誤解しないでほしいのですが、「知能レベルが低い」と表現していますが、決して馬鹿にしたり見下しているわけではなく、真実を受け入れる力がない何が本当で何が嘘かを見分ける力、聞き分ける力がない、という意味です。

そして、2022年の盆の時期に、私と身内が疎遠になる出来事が起きます。

先ほども書きましたが、私の身内のみんなは、コロナのことを信じ切っています。

私は、昨年(2022年)のお盆も実家へ戻るつもりでいました。

この頃も世の中では、再びコロナ感染者が増えて来て、実家へ戻る数日前に姉から電話がありました。

どうやら私にPCR検査を受けてほしかったようで、姉が、身内を代表して連絡した、と言ってました。

わざわざ家族会議のようなことをした、ということです。

もはや、尋常ではありません。

何を今更と感じた私は憤りを覚え、姉に「それは俺に対して、死を覚悟しろと言っているようなものだよ。」と言いましたが、当然ながら本気で相手にしてもらえませんでした。

PCR検査を受けることが、死を覚悟することと言われても、身内のみんなには理解出来ません。

それどころか、私の言っていることが常軌を逸しているとさえ感じていたようです。

それで私は、実家へ戻ることを取り止め、かつ、姉に私を受け入れる用意ができるまで連絡を絶つように伝え、身内の考え方や対応の仕方が変わるのを待つことにしました。

実は、姉から連絡が入る数日前、父から連絡があり、「お前(私)の懐かしい写真が大量に見つかったから、送るよりも直接渡した方がいいから帰って来なさいよ。」と言われていたのです。

ちなみに私は、かなり以前ですが、父に、私の過去のアルバムなど写真が無いかを問い合わせたことがありました。

私は、自分の懐かしい写真を欲していたのです。

この一連の流れ、皆さんはどう考えますか?

私が思うには、サタンが「お前は写真が手元に欲しいだろ、だったらPCR検査を受けてから戻って来い。」と促されているような気がしました。

そもそも写真など、わざわざ手渡しでなくても送ってくれればいいと思いませんか?

何故だかわかりませんが、その後、現在に至るまで、父が写真を送ってくれることはありませんでした。

そう考えても、写真が罠としか思えません。

実際に、この時の私は、神様から、身内と距離を置くように言われているような気がしたのです。

再度書きますが、神様は、神様を取るのか人間を取るのか、その時々の状況に応じて試されることがあります。

改めて書きますと、神様がひどい方のように感じるかもしれませんが、その人にとって害になる人間関係だからこそ、どう選択するのか試されるのです。

害になるとは、霊の救い成長が妨げられる、という意味です。

実際に私の実家でも、御多分に漏れず、偶像崇拝を盛んに行っています。

詳細は別途説明します。

まして時期がお盆でしたから、尚更、サタンや悪霊がうようよしているわけです。

そのような所に私が足を踏み入れ様ものなら、明らかに私の霊魂が悪影響を受けて、霊の成長の妨げになり、大きな害を受けかねませんでした。

それを神様が未然に防いで下さったのかもしれません。

ちなみに、身内のみんなは、私がおかしくなった、と思ったようです。

まあ、仕方ありませんね。

私は、向こうから柔軟な姿勢を見せてくれれば、いつでも応じるつもりでいました。

つまり、話し合おうとか、私の考えを聞くとか、コロナのことを聞くとか、信仰を持つに至った経緯を聞くとか、向こうから歩み寄る姿勢さえあれば良かったのです。

しかも、身内のみんなは、私に「死ね」と同義語を話したわけですから、私からは歩み寄ることはできません。

皆さんは、自分に対して「死ね」などの暴言を吐いた相手に対して、自ら和解しようと歩み寄りますか?

どこまでもまずは、相手の謝罪や誠意、歩み寄りを求めるはずです。

自分たちにそのつもりがなくとも、大切なことは相手がどう感じたか、ということではないでしょうか。

自分たちには何も悪い点は無く、一方的に私が悪い、おかしくなった、と思っていたからこそ、連絡をしてこなかったのだろうと感じます。

自分に落ち度はなく、どこまでも相手に問題がある、という自分中心の考え方がまさしく、サタンの考え方なのです。

勿論、相手が一方的に悪を働いた場合は別です。

私の方が先に謝れ、と言いたかったのでしょう。

そのようなことがあり、約8か月ほど連絡を取り合っていなかったのですが、2023年4月15日に、久しぶりに父からメールが来たかと思えば、突然、喧嘩を売るような、関係断絶のメールが送られてきたのです。

先ほど書きましたが、2月から4月前半にかけて、私が打撃を受ける様子もなかったので、サタンがいよいよ最終兵器と言いますか、両親を使ってきたということだと私は考えています。

私は父のメールを読んだ瞬間、強烈にサタンを感じ、同時に強烈に父に対して怒りの感情が湧き、しばらく冷静さを欠いてしまいました。

それでは次回、父からのメールをご紹介し、その内容がサタン的である根拠を説明していきたいと思います。

ちなみに、私は今回の出来事を家族からの迫害と捉えています。

最後に、神様のことで迫害を受けることは幸せなことだと聖書に書かれてありますので、その箇所を紹介して締めたいと思います。

新約聖書のマタイによる福音書5章10~12節です。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

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