高校生の時に起きた暴力事件から救われた体験

神様の証

ちなみに、この写真は雲の隙間から太陽の光が差し込んでいる様子になりますが、当時の私の救われた心境を写真で表現しようとしたものですが、伝わりにくいかもしれません。

本当は、もっと強力な光が差し込む様子を捉えたかったですが。

高校1年生の時の秋ごろの出来事になります。

私は突然、同学年の男子生徒から恨みを持たれ、体育館の裏に呼び出されて暴力を振るわれる、という出来事が起きました。

彼から暴力を受けるような何かを働いた、という思い当たる節は全く無く、本当に突然の出来事でした。

とある日のことでした。

私は吹奏楽部に所属していたのですが、女性の先輩から「男子が二人窓の外にいるけど、○○君(私)を見ているんじゃない?」と教えられたことがありました。

見てみると、二人の男子が吹奏楽の部室を向いの教室から、何やら執拗に見ていました。

そのうちの一人が彼でした。

彼がなぜ私に暴力を振るったのか、私を呼び出した時に彼が言った理由はこうでした。

体育祭の全体予行練習の際に、運動場で私が彼に向かって石ころを投げつけてへらへら笑っていた、と言うのです。

私はさっぱり意味が分かりませんでした。

そもそも全体練習の時に、彼のクラスとは全く関わっていませんし、彼自身とも関わっていませんし、だいたい、運動場にはそれほど石ころは転がっていませんでした。

私を殴る理由を無理やり作ったとしか言いようがありませんでした。

実を言いますと、暴力を振るわれた本当の理由は、高校3年生になって発覚するのですが、それは後述します。

本当の理由を私に伝えるのは、彼にとって屈辱だったのでしょう。

簡単に説明しますと、彼は、私が彼と付き合っていた彼女を奪った、と思ったようです。

まあ、振られた腹いせに私に暴力を振るった、というわけですが、当時の私は、そんな事情を知る由もありませんでした。

話を元に戻します。

最初に呼び出されて殴られた時、三人掛かりで私を襲いましたから、当然抵抗できませんでした。

抵抗しなかった理由は、多勢に無勢だったから、というのもありますが、彼には高校内で一番喧嘩の強い3年生の先輩が背後にいることを聞かされたいました。

その話は、彼の彼女から聞いていました。(彼の付き合っていた彼女は、私の中学からの友人で同じ吹奏楽部でした。)

その先輩は、下手をすると相手を半殺しにするくらいの奴だ、という噂があったほどの人でした。

そんな先輩が彼の背後にいると思うと、恐怖心でいっぱいになりました。

願わくは、その1回限りで暴行沙汰は終わってほしいと思ったのもあり、無抵抗を装ったのですが、当然ながら1回で終わるわけありませんでした。

二週間くらいの間に、何度も(4度か5度)呼び出され、ボコボコにされました。

顔はほとんど殴られることなく、お腹や足といった、外見上目立たない箇所を殴られ、蹴られました。

いつ解決するのか、見通しの立たない状況に、さすがに精神的に参ってしまい、学校に行くことさえ嫌というか恐怖になりました。

このまま行けば、いつか殺される、そう思って絶望していました。

また、誰かに相談でもすれば、それこそ報復される、つまり、高校一喧嘩の強い先輩にやられてしまうのではないか思い、日に日に追い詰められていきました。

さすがに精神的に持たなくなり隠し切れなくなって、父親に相談しました。

「俺、殺されるかもしれない」と。

高校を辞めることも視野に入れて父親に相談したのですが、ここから奇跡的なことが起きるのです。

父親に相談したことによって、あっという間に解決に向かうことになりました。

その経緯を説明します。

暴力事件が起きる直前に体育祭が行われたのですが、私は体育祭の応援団のリーダーに選ばれました。

各クラスから男女1名ずつ選ばれるのですが、私は体育祭の応援団のリーダーに選ばれるようなスポーツマンタイプの生徒ではなく、自分で言うのも何ですが、どちらかと言えば生徒会長に選ばれるタイプの生徒でした。

実のところ、小学校、中学校を通して、運動会、体育祭で応援団のリーダーに選ばれる経験が全く無いくらい、スポーツ面は音痴でした。

それなのに、なぜか高校1年生の時だけ選ばれたのでした。

体育祭の応援団のリーダーは立候補者がいない限り、推薦による選出を行うのですが、当然立候補する人はいません。

自ずと推薦になったのですが、私は推薦にすら名前は挙がらないと思っていました。

すると、クラスの誰かが私を推薦したのです。

「はあ!?何で俺を推薦するんだ」と内心思いました。

まあでも選ばれることは無いだろう、と自信を持って思っていました。

4,5人くらい推薦されたと記憶しています。

そして投票が行われました。

意外にも私に票が集まるのです。

「嘘だろ」と思いながら、「まさか選ばれるのではないか」と感じ、胸騒ぎがしました。

そして、案の定、選出されてしまいました。

もう、絶望でした。(暴力沙汰の時も絶望を味わいましたので、同じ時期に二度も絶望を味わうという貴重な体験をしました。笑)

嫌で嫌でたまりませんでした。

明日から登校拒否したいくらい嫌で嫌でたまりませんでした。

泣きたい気持ちでした。

クラスのみんなを恨みました。

クラスメイトの多くが、中学からの知り合いでしたから、私のこと(運動音痴であること)はみんなよく分かっていたはずでした。

私自身は絶望に苛まれていましたが、体育祭の応援団のリーダーに選ばれるという出来事は、絶対に無くてはならない出来事だったのです。

基本的に放課後に毎日、3年生の教室に行って応援の練習が行われました。

実を言いますと、この当時の私は、自分が所属する吹奏楽部に、好きな女性の先輩がいましたので、部活動を楽しみに学校に通っていたようなものでした。

部活動を犠牲にしなければならなかった(好きな先輩に会えなっかた)ので、尚のこと、応援団の毎日の練習が憂鬱でした。

そのような中でも、嫌々やっていることを決して態度には出さず、とりあえずは一生懸命、応援団の練習に励みました。

単に先輩たちが怖かったから一生懸命やっただけかもしれませんが。(笑)

すると、結構多くの先輩達から覚えられ、認められるようになり、1週間くらいもすると可愛がられるようになり(もちろん良い意味です。)、仲良くなることができました。

しかも、体育祭の応援団を行うような先輩達は、それこそスポーツは得意、喧嘩も強いという方々が揃っていました。

最初は嫌で嫌でたまりませんでしたが、このように先輩達と触れ合う中で、不思議と楽しくなっていきました。

そうです。

喧嘩の強い先輩達と仲良くなった出来事も、無くてはならない出来事でした。

話を元に戻します。

再度、書かせていただきますが、時系列は、体育祭が行われた後に暴力事件勃発です。

先ほど、父親に相談したところから奇跡が始まったと言いましたが、ここから、信じられないと思うほど全てが繋がっていくのです。

まず、父親が勤務先の同僚に相談しました。

その同僚の方に、私と同じ高校に通う2年生か3年生になる息子さんがいるということを、父親が知っていたからです。

すると、偶然にもその同僚の方のお子さんは、私と同じ高校に通う3年生だということが分かり、しかもその3年生が、私のことをよく知っていると言うのです。

そうです。

体育祭の同じ応援団の先輩の一人でした。

しかも、偶然にもその先輩は、応援団の中でも一番喧嘩が強いと言われている方だったのです。

実のところ、私の評判は先輩たちの間でも良かったようで、嫌々ながらも応援団の活動に一生懸命携わって良かったと、本当に思いました。

更に、偶然にもその先輩が、私に恨みを持った男子生徒のこともよく知っていたのです。

早速、その先輩が動いてくれて、彼(私に暴力を振るった男子生徒)に話をしてくれることになりました。

更に、偶然にもその先輩は、高校一喧嘩が強いと言われていた先輩とも仲が良かったのです。

そして、この件で彼(私に暴力を振るった男子生徒)が頼ってきても相手にしないように、と説得し了承を得た、ということでした。

その結果、暴力沙汰はすぐに収まりました。

彼もそれからというもの、私を見かけても目を合わせなくなりました。

そうです。

完全に解決したのでした。

読まれた方はお気付きでしょうが、偶然がかなり重なっているのです。

果たして、こんなに都合よく偶然が重なり、人間関係が繋がりまくるということが起こり得るでしょうか。

偶然(たまたま)と表現できるのは、せいぜい2回まででしょう。

神様の世界においては、偶然は一切無く、即ち、全てが必然的に起きている、とRAPTさんが仰せになっています。

つまりは、この一連の出来事は、神様のお力が働いたとしか言いようが無い、奇跡的な出来事だったと言えます。

神様は、私が暴力事件に巻き込まれ、精神的に追い詰められると分かっていたからこそ、体育祭の応援団のリーダーに選出させて、喧嘩の強い先輩達と繋げることで、私を救って下さったのです。

もっと言いますと、神様が神様の存在を私に示すための出来事だった、とも言えるでしょう。

ちなみに、2年生と3年生の時には、体育祭の応援団のリーダーに選ばれることはありませんでした。

通常は実績のある人が続けて選ばれることが多いのですが、確か2年生の時は推薦されましたが票が集まらず、3年生の時は見向きすらされなかったと記憶しています。

当然ながら、当時の私は神様が助けて下さった、という風には考えず、どこまでも先輩(人間)に助けられた、と考えていました。

実のところ、神様がその先輩を使って私を助けて下さったのです。

ところで、私がなぜ暴力事件に巻き込まれたのか、本当の理由を少し説明します。

当時、彼(私に暴力を振るった男子生徒)には付き合っている女性がいました。

その女性は、私の中学の時からの友人で、私と結構仲が良く、しかも同じ吹奏楽部に所属していました。

実はその頃、その女友達が彼に別れ話を持ち出したらしく、その際に、他に好きな人がいるから別れてほしい、と彼に言ったらしいのです。

そして、事もあろうに、それが私だと言ったらしいのです。

彼を振るために都合の良い男子がいなかったから、私の名前を使ったというのです。

もう、いい迷惑ですよ。

それが原因で、私は彼に恨みを持たれてしまったわけです。

実際に傍(はた)から見れば、私とその女友達とは親密そうに見えたでしょうから、彼が彼女を私に取られたと誤解しても仕方がなっかたと思います。

本当にたまったものではありませんが、2年経過してようやく、暴力を振るわれた理由が腑に落ちました。

私はその女友達と恋愛関係は一切なく、どこまでも友人関係の域は超えていませんので、この暴力事件は、無実の罪を着せられ、獄に入れられ鞭を打たれたに等しい出来事でした。

その女友達には、お前の軽はずみな言動でとんでもない目に遭ったんだ、ということを怒りながら伝えたことを覚えています。

ちなみに、暴力事件の数ヶ月後、彼(私に暴力を振るった男子生徒)に天罰が下ったと思うような出来事が起きます。

彼が自転車を盗んだことがありました。

その自転車の持ち主が、私とも仲の良い野球部の同級生でした。

当時の野球部は喧嘩が強い連中が揃っていました。(今もそうかもしれませんが。)

そして彼は、私と同じような憂き目に遭いました。

そうです。

今度は彼が野球部の連中に呼び出され、トイレで暴行を受けたようです。

思いっきり顔面を殴られたようで、相当流血していたようです。

私も彼から暴力を受けましたが、流血するような暴行は受けませんでしたから、明らかに彼には天罰が下っています。

旧約聖書にも、盗んではならない、という聖句(モーセの十戒)がありますから、自転車盗難という悪に対する報いを彼は受けたということです。

神様の教えに逆らうとどうなるかが実証された出来事とも言えますね。

後日、その野球部の友人が、事の一部始終を私に面白そうに話をしてくれてました。

私は、何やら胸がスッとしました。

ちなみに、その野球部の友人は私が彼から暴行を受けていたことは知りません。

神様がその友人を使って、彼を裁いて下さったとしか思えません。

この出来事も神様のお力が働いた出来事と言えるでしょう。

今にして、私はこの当時の出来事を神様に感謝しています。

これからも、私が体験した奇跡的な出来事、つまり、今振り返ると神様が臨んでいるとしか思えない出来事を紹介していきたいと思います。

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