ここ最近、特に感じるようになりました。
交通流の停滞や渋滞を招いているおおよその原因は、右折車両にあるということを。
事例1 片側一車線の道路において、交差点で右折する車両、または、道路の右側にある店舗や自宅に右折で進入しようとする車両が原因で、後続車両が進行できず、停滞や渋滞を招いている。
事例2 片側二車線以上の右折レーンが設けてある道路で、そこでしか右折する場所が存在しないかのように右折待ちの車両で溢れ、右折レーンに収まり切れず、後続車両の停滞や渋滞を招いている。(以下の写真は後続車両の渋滞までは起きていないようですが、違った危険が潜んでいますね。)
事例3 片側二車線以上の道路で、走行中の右側にある店舗や自宅に右折で進入しようとする車両が原因で、後続車両が進行できず、停滞や渋滞を招いている。
事例4 脇道や店舗などから本線に出ようとするとき、本線の交通量が多いのにも関わらず、遮二無二右折しようとする車両がいるために、必要以上に待たされてしまう。
おおよそ、この4パターンで右折車両が後続車両の進行妨害を引き起こしています。
場所によっては、たった数台の右折車両が原因で、有り得ないくらいの長蛇の列(渋滞)になっている場合があります。
そのような場所では、本来は右折禁止に指定すべきですが、基本的に警察は無能集団なので仕方ありません。
従いまして、以下のように右折を禁止する、もしくは、右折待ちを禁止する道路交通法に変えてほしいと願います。
全ての車両は、後続する車両の進行を妨害する恐れのある場合は、右折をしてはならない。(右折待機含む。)
全ての車両は右折をする場合において、右折レーンのある道路上においては、右折をすることも右折のための待機をすることもできる。ただし、指定された右折レーンをはみ出して待機してはならない。
私の無知で既に法として規定されているのであれば、取締を強化してほしいですね。
原付などの捕まえやすい下らない取締より、余程益となりますよ。
加えて、罰則を強化してほしいと思います。
配慮に欠けた(マナーの悪い)右折車両というのは、状況によっては駐車違反よりたちが悪いです。
考えようによっては、配慮に欠けた(マナーの悪い)右折待ちは、駐車違反のようなものです。
私は後続車両がいる場合、たとえ交差点であっても、たとえ脇道から出る時であっても、右折待ちをすることに対して、非常に申し訳なく感じます。
なので、私は基本的に対向車がいない時だけ、あるいは、右折を実行するのにそれを妨げる走行車両がいない時だけ、右折を実行するようにしています。
つまり、停止することなくスムーズに右折できる時に(一旦停止の標識のある箇所は除きます。)、右折をする運転を心掛けています。
ちなみに、後続車両がいる場合でも、それほど迷惑にならない状況下においては、右折を実行する場合はあります。
「それほど迷惑にならない状況下」というのは、例えば、再度信号停車させてしまう心配のない場合などが該当します。
工事現場においても、現場に出入りする際は、左折入場左折退場をルールとして定めている現場がありますが、これがまさに周辺交通に対する配慮の典型であります。
事例4においては、私は常に左折をしてUターンするように心掛けています。
ほとんどの運転者が、この「左折をしてUターンする方法」を選択しません。
無知なのか、面倒くさいだけなのか分かりませんが、大変失礼な言い方をしますが、前者であれば無能で単細胞な者、後者であれば人間性に問題ありな者、ということになるでしょう。
このような話をしますと、私が暴論を唱えているように聞こえる方々もいるでしょうね。
私が言いたいのは、もっと周囲に配慮する運転を心掛けてほしい、ということです。
ほとんどの運転者が、自分の意向通りの運転をしていることでしょう。
だから、どんなに渋滞や混雑を招こうが、遮二無二右折をしようとするのでしょう。
私は、毎日このような右折車両に出会います。
更には、片側一車線の幅員の広い道路で、中央車線に可能な限り寄せて右折待ちする車両については配慮を感じますが、幅員が広い道路であるにもかかわらず、道路の真ん中で右折待ちする馬鹿がいるので困ってしまいます。
すみません、敢えて「馬鹿」と少々汚い言葉で表現させていただきました。
だって、馬鹿だもん!!
腹立たしいですもん!!
何も高レベルの運転技術を求めているわけではなく、ほんの少しの、誰にでもできる配慮でいいんですよ。
ちなみに、右折のために道路の中央車線に寄せる運転方法は、自動車学校で教わるはずなんですが。
だから、後続車両に配慮しながらハンドルを握っている人のことを、私は尊敬に値すると思います。
これって簡単にできそうなことなのですが、実はものすごく難しいことなんだなと実感しています。
そのように自分さえ良ければいいと思っている人間ばかりだから、煽り運転をするし、譲り合うことも出来ないし、横断歩道で歩行者自転車の横断のために停止することさえできないわけです。
そのような光景を目の当たりにするたびに、残念でなりません。
まあ、ちょっとした愚痴ブログになりました。
一人一人が、ほんの少しの配慮、と言いますか、余裕を持って運転してくれるといいのになあ、とつくづく思う今日この頃です。
今回の記事は聖書でいう「隣人愛」(自分より他人を優先する思いやり)のひとつだと私は考えます。
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