サムネイル画像をご覧いただければお分かりいただけると思いますが、今期は残念ながら大幅赤字でした。
正直なところ、ここまでの赤字になるとは想定していませんでした。
それなりに受注もあり、従業員の給与も生活が苦しいほどの低い稼ぎになる時が頻発したというわけでもなく、赤字になる具体的な要因が見出せませんでした。
敷いて挙げますと、私が現場に出て働く頻度が前年より減少したことくらいしかありません。
前年同様、私は社長として、世の中的に経営者としてすべきこと(例えば営業活動など)は、全くしていません。
それなのに、5年目は大幅黒字、6年目は大幅赤字と、こうも結果が真逆になるのは、私自身も納得できないことではあります。
そう考えますと、やはり、霊的に考えるしかないということだと思われます。
勿論、一概には言い切ることはできませんが、そのように考えないと説明がつかないのです。
つまりは、サタンに奪われてしまった、ということです。
5年目の大幅黒字は、言うまでもなく、神様からの祝福だったと考えられます。
この6年目の大幅赤字は、サタンの攻撃によるものであり、神様もそれを許諾なさったということだと考えられます。
ちなみに、6年目の「6」はサタンを表す数字なので、今期が赤字になったのも頷ける部分はあります。※こじつけと言われればそれまでですが。
そもそも、我社は警備会社であり、警備業の世界がサタンの領域だと、過去の我社に関する記事の中でも書いています。
なぜ、警備業界がサタンの領域だと断言できるのかと言いますと、警備業を行うことで多くの人をキリスト教に導くことが出来ませんし、RAPT理論にも導くことが出来ないからです。
逆に、警備業を行うことでキリスト教の信仰者を増やすことが可能ならば、それは神様の領域と言えますし、もっと言いますと、それこそ神様が与えて下さった仕事と言えます。
勿論、私自身の判断で、取引先の相手に、私がキリスト教の信仰をもっていることを伝えたり、会話の中でRAPT理論を伝えたりすることはできます(実際に数人の方々に伝えています。)が、それは何も警備業でなくともできることです。
しかも、あまり公に伝えると、ただでさえ宗教アレルギーみたいなところがある日本人相手だと、仕事の受注に影響が出る可能性も否定できません。
「あの会社の社長は宗教かぶれだから、あまり近づかない方がいい」、みたいに思われてしまうということです。
このような考えで仕事をしなければならない環境こそ、サタンの主管圏であり、サタンの意のままだと言えます。
しかも、警備会社の運営方法も、サタン的方法と言わざるを得ません。
現に、仕事を受注しようと行動すると、取引先等に足を運んで、「仕事を下さい。」と頭を下げて仕事をもらうことをしなければなりません。
つまり、人間を頼らなければなりません。
まあ、警備業界に限らず、営業活動そのものが、人間に依り頼む手法であり、世の中に依存する手法です。
しかしながら、その行為は聖書に反逆する行為となります。
聖書では、頻繁に人間を頼ることや世の中を向くことを戒めています。
旧約聖書 歴代誌下16章7節~9節 新共同訳 ※イスラエルの王バシャがユダに攻めてこようとした際、神様に頼らずアラムの王に頼ったために、ユダの王アサが受けた裁きの御言葉になります。 そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか。主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」
旧約聖書 詩編56章12節 新共同訳 神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。
旧約聖書 詩編60章13節 新共同訳 どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。
旧約聖書 詩編146章3節 新共同訳 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
旧約聖書 イザヤ書2章22節 新共同訳 人間に頼ることをやめよ 鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか。
旧約聖書 エレミヤ書2章37節 新共同訳 主はお前が頼りにしているものを退けられる。彼らに頼ろうとしても成功するはずがない。
旧約聖書 エレミヤ書17章5節 新共同訳 主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主を離れ去っている人は。
新約聖書 マタイによる福音書22章37~38節 新共同訳 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。
新約聖書 使徒言行録5章29節 新共同訳 ペトロと他の使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。
新約聖書 ローマの信徒への手紙12章2節 新共同訳 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
新約聖書 ヨハネの手紙一(いち)2章15節 新共同訳 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
従いまして、私が人間を頼ることがあるとすれば、それは神様が頼るべき人間を与えて下さった時だけです。
多くの人達が、このことをあまり理解できないでしょうし、むしろ「御託を並べず、もっと社長らしい仕事をしろ!」と言われそうです。(笑)
もしも、我社の活動が、神様と通じる活動であるならば、私もそこに尽力します。
しかし、我社の活動に尽力することは、神様の御心に反していると言わざるを得ないのです。
そこに時間や労力を投資することが、反しているということです。
つまり、神様の方を向かず、世の中の方を向いている、ということであり、霊的な投資でなく、肉的な投資をしている、ということなのです。
だからと言いまして、我社を運営すること自体が、神様の御心に反しているとは考えていません。
なぜならば、他人が経営・運営する会社で働けば、間違いなく多くの時間を会社のために費やすことを余儀なくされ、それこそ世の中の方を向かざるを得なくなり、霊的に投資する時間を持つことが出来なくなるでしょう。
反対に、自分の会社を経営・運営することで、それほど多くの時間を会社のために費やす必要がありませんから、自分次第でいかようにでも時間を使うことが出来、結果として、霊的に条件を立てられます。
この違いは、物凄く大きいのです。
ただ誤解してほしくないのは、私も我社のことで行動することは、当然ながらあります。
あくまで、世の中の経営者のように振舞うことは滅多にありませんし、世の中の価値観や経営者の価値観などは私には通用しないと言っています。
それに、我社の従業員も取引先の方も、キリスト教の信仰者は誰一人としていません。
つまり、私一人がみんなとは違う世界で生きているということになっています。
同じ環境下にあっても、私は神様の領域で、その他のみんなはサタンの領域で生きているということです。
従いまして、我社の業績が黒字になったり赤字になったりするのも、ある意味必然と言えます。
実際に、サタンは神様が人間に与えたものを奪っていきます。
RAPT朝の祈り会 2024年5月3日(金) 神様は常にあなたに豊かに祝福を与えようとするが、サタンは常にあなたから祝福を奪おうとする。しかし、サタンが奪えるのは「6」までだから、「7」まで条件を立てて「7」の祝福を受けなさい。そうすれば「1」は必ず残り、あなたは絶大な恵みに満たされる。 ※「7」は神様の数字であり「6」はサタンの数字です。
先ほども書きました通り、5年目に生じた我社の利益を、6年目にサタンが奪いに来た、と考えることもできるのです。
このように、同じことをしていて結果が正反対になる理由を、霊的に考えると腑に落ちますが、これを理解できる人は少ないでしょう。
実のところ、今回の6年目の赤字により、我社は窮地に陥っているのは確かです。
私にも不安や心配は迫ってきます。
しかしながら、そのような私の心境、状況を神様とRAPTさんから見透かされているかのような御言葉が次々と宣布されているのに驚きと感動でした。
RAPT朝の祈り会 2024年5月24日(金) サタンから攻撃されたとき、自分がどんどん落ちぶれていくように見えるものだ。しかし、その中でもきちんと信仰をもって祈り、義の条件を立てつづけるなら、あなたは確実に霊的な高みに昇っている。だから心配するなと主が仰った。
実際に今の私は、どんどん落ちぶれていっている感じがあります。
RAPT朝の祈り会 2024年5月27日(月) 祈る人が信仰が強くなっていく。そして、信仰が強くなった分、神様の力がその人に強力に働くようになる。だから神様は、敢えて私たちを艱難苦難に遭わせ、私たちが切実に祈るしかない状況に導かれることがある。
実際に私は、我社の件に限らず、定期的に艱難苦難に遭い、これまでに何度か信仰を失いかけたことがあるのも事実です。
これらの御言葉の中で、RAPTさんは「どんな苦境に陥っても、自分の考えで繫栄の道を行こうとしてはいけない。どこまでも神様に縋りつきなさい。」と仰せになっています。
今の私の状況が、まさに「自分で何とかするしかない。」と思うしかないような状況なのです。
まさに、サタンの思う壺です。
詳細は割愛しますが、赤字となった6年目の中においても、その時々で神様から助けがありました。
残念ながら結果には繋がっていませんが、神様のお陰で我社は今も何とか存続できているわけです。
おそらく、我社の状況(私を含めて働き手は4人)で警備業を継続できる経営者は一人もいないと思います。
我社がサタンの領域にある以上、ものすごく繫栄する可能性は極めて低いと考えています。
我社の繁栄とは、従業員数が増えて(50人前後、いや、もっとでしょうか。)、仕事の受注も安定する、ということになるのでしょう。
万が一、我社が繁栄してしまうならば、それこそ、人間サタンども、即ち、信仰をもっていない人達が大量に群がって来て、私の霊的な命が奪われる恐れがあるでしょう。
つまり、会社のことに追われる日々になってしまい、信仰生活どころで無くなるということです。
信仰者でなくても私のことを心から慕ってくれる人達ばかりならばまだいいですが、退職した4人も言わば、信仰をもった私の考えについていけなかったわけです。
長年付き合ってきた連中でさえ、こうなのに、まして、私のことをよく知らない連中が従業員として私のことを理解することは、かなり難しいと言えます。
だから、私が霊的に倒れないことは勿論、肉的にも倒れない程度に、神様が我社を継続できるようにして下さっている、と私は考えています。
我社を立ち上げた2018年から、神様に幾度となく助けられて今日を迎えることが出来ています。
その時の感謝の気持ちを忘れず、再び助けて下さると信じて、毎日を生きて行こうと思います。
今期は7年目、まさに、神様の数字である「7」年目ですので、何か大きな祝福があるような予感がしています。
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