今回は、私が正式に信仰を持つ直前の話になります。
私はコロナパンデミックが起きた2020年の4月にRAPT理論に出会い、神様の存在を知るに至りました。
しかし、それでもすぐには信仰を持つまでには至りませんでした。
2022年2月に正式に信仰を持つに至りましたが、その前年の2021年は、実に不思議な出来事(私にとって喜ばしい出来事)が頻発しました。
2021年当時の私は、聖書を購入したにも関わらずほとんど読んでいませんでしたし、祈りも朝の起床時に5分程度のものでしたし、RAPTさんの有料記事の御言葉も少しずつしか読んでいませんでした。
もともと私は読書が大嫌いで、2020年に聖書を購入した時、余りの分厚い量と文字の小ささにうんざりしてしまい、しばらく読むのを控えていました。
そのような中、2021年になると願いが叶うことが増え、それによりまず、聖書を読む決心が出来ました。
それと同時に、RAPTさんが配信して下さる御言葉(RAPT有料記事、RAPT朝会)も、真剣に学ぶ決心が出来ました。
ただし祈りだけは、神様に対してきちんと出来ていなかったのですが、私にとって嬉しい出来事が次々と起きたのでした。
聖書については、最初は毎日読むことはできませんでしたが、読んでいくうちに面白いと感じるようになり、毎日読めるようになりました。
特に、新約聖書を初めて読んだ時は、物凄く感動しながら読んだのを覚えています。
もしかすると、新約聖書を読んだことで、私の霊魂が息を吹き返したのかも、エネルギーを得たのかもしれません。
そのように、私の人生の転機ともなった2021年を振り返りたいと思います。
この年に起きた、私にとって最も大きな出来事は、2018年6月に資金の提供を受けた道路会社の奴隷状態からの解放でした。
詳しくは以下の記事をご参照ください。 私にも旧約聖書の「出エジプト記」のような出来事が起きた!!
この出来事が起きたのが2021年6月でしたが、実はそれまでに、この出来事が起きそうな奇跡的なことがありました。
2021年1月中旬、新幹線高架橋修繕の工事に携わっていたのですが、そこの担当者から「今月で工事が終わりそうで、2月以降は未定です。」と言われました。
私は仕事の受注の確保のため、資金の提供を受けた道路会社に相談をしたところ、「2月は仕事が多くて忙しいからよろしく頼む。」と言われ、我社の人員を、その道路会社に回すことにしました。
しかしながら1月後半に、新幹線工事の担当者から「1月では終わり切れず2月もずれこむ。」と言われました。
私は道路会社に人員の全てを回す約束をしていましたので、断るしかありませんでした。
そして、「3月になったら再度宜しくお願い致します。」と伝えて、その担当者に理解を得たものと思っていました。
しかし、2月下旬にその担当者に連絡を取ってみると、「今使っている警備会社を外すわけにはいかないので、しばらく御社を使えない。」と言われました。
もっともな言い分ではありましたが、その時の私は約束を反故にされたような気持ちになり、新幹線工事の担当者に対して怒りが込み上げてきました。
そして『あの会社(新幹線工事の会社)とは二度と取引はしない。道路会社と深く関わっていく。』と決心しました。
しかしながら、その道路会社も3月中旬から仕事量が激減し、辛うじて4月は年度末遺産と言われる、年度内に消化しきれなかった工事案件がありましたが、4月中旬には「5月のGW以降仕事が全く無い。」と言われました。
道路会社の担当者からそのように報告を受けた私は、部下とGW後の仕事の受注について相談しました。
部下に「新幹線工事の担当者から仕事の依頼の電話連絡でもあればいいけど、まず無理だろうからお前の知っている業者にでも連絡して仕事の受注を取り付けてくれ。」と話をした直後、私の携帯電話が鳴りました。※本当にこう話した直後でした。
新幹線工事の担当者からの電話でした。
私は部下に「おい、○○さん(新幹線工事の担当者の名前)から電話が来たぞ!」と伝え、電話を取ってみると、期待通り仕事の依頼でした。
本当に驚きました。
これにより、GW明けの仕事が確保できるようになりました。
ちなみに、私はこうなるようにお祈りをしていたわけではありませんでしたが、私の思いに直ちに神様が答えて下さったとしか思えませんでした。
神様からの助けだと確信した私は、その嬉しさを部下に伝えると、「たまたまでしょう。」とそっけない反応に愕然としました。
私は、その部下に対して強い嫌悪感を抱きました。
実を言いますと、新幹線工事を行う会社は、我社を救ってくれた会社でした。
もちろん、相手にはその認識は無いでしょう。
むしろ、相手の方が我社に助けられた、とさえ思っているかもしれません。
我社が道路会社をメイン取引先として運営していた2019年の上半期に、その道路会社の仕事がほとんど無く、我社は経営危機に晒されたことがあり、その時にたまたま新幹線工事の会社の方(先ほどの担当者とは別の人です。)から連絡があったことで、仕事の安定受注に繋がり助けられました。
これも神様と出会う前の奇跡的な出来事の一つでした。
そういった助かった経緯があったのに、2021年に新幹線工事の会社と疎遠になる選択をし、再び道路会社をメインとしたのですが、神様がそれを「否」とされたのではないかと感じました。
実際に私は、5月に道路会社の取締役から我慢の限界を超えた侮辱行為を受けることになり、それが修復不能な亀裂を生み、6月21日に契約破棄にまで至りました。
この流れは、私としては神様から促されたとしか思えませんでしたし、今でもそう思っています。
ただ、その道路会社との契約破棄を受けて、その当時、道路会社の工事現場に1人の警備員を手配していましたので、その件を失うことになり、7月からの仕事の確保に関する悩みの種が新たに生まれてしまいました。
そのような中、6月下旬のとある日に、従業員の一人から「そう言えば○○建設からの仕事依頼はどうなっているのですか。」と聞かれ、私は「その会社は、今は別の警備会社を使っているみたいだから、まずうちに連絡が来ることは無いよ。」という会話を交わしましたが、そのように言った直後、私の携帯電話が鳴りました。
何と、その○○建設の担当者からの電話でした。
しかも、7月からの仕事依頼の電話でした。
またしても、私の願いが叶った瞬間でした。
私の嬉しさは大爆発でした。
全く同じシチュエーション(会話の流れ)が2度も起こり、さすがに偶然の域を超えていると思いました。
神様を強力に感じた瞬間で、その従業員(先に登場した部下とは別の人です。)も鳥肌が立ったと言っていました。
ただ、その電話で依頼された内容が24時間稼働する工事現場のようで、1日に最大で6人必要になる工事現場でした。
当時の我社の在籍人数は7人で、新幹線工事に4人手配していましたので、対応不可能ということになりました。
この件を、先ほどの部下に伝えるとこう言われました。
「確かに奇跡と言えば奇跡ですし、神様と言えば神様かもですけど、まあ状況が変わって○○建設の仕事を受注できるようになったら神様と言えるかもしれませんね。」と、偉そうな口の利き方をしました。
私はその部下のことが許せないほどの嫌悪感を抱きましたが、その時の私にはなぜだか、受注できるようになるという確信がありました。
そして数日後、○○建設の担当者から電話があり、「夜は工事用信号機で対応するから警備員は昼のみの2人手配で大丈夫です。」、という連絡でした。
はい!○○建設の仕事を受注できるようになりました!
私の部下は、さすがに返す言葉がなかったようです。※この部下は2022年4月に退職するまで神様のことは信じていませんでした。
このように2021年の前半は、我社にとって奇跡的な出来事が相次いだのでした。
更に、ここからは書こうか迷ったのですが、もう一つの不思議な出来事がありました。
2021年7月に、一人の女性との出会いがあったのです。
コンビニのパートさん(人妻さん)でした。※2ヶ月後にそれと分かりました。
私は人生で初めて、一目惚れしてしまいました。
普通に考えますと、神様が異性との出会いを与えるというのは考えにくい(厳密には、信仰の無い女性との出会いを与えるというのは考えにくい)のですが、彼女との出会いは奇跡的なものだったのです。
と言いますのは、詳細は割愛しますが、その女性との出会いは、6月に起きた道路会社との契約破棄、GW後の新幹線工事の受注、7月から始まる○○建設の受注、2018年に新規契約した取引先の存在、2020年2月に雇用した1人の従業員の存在、といった条件が全て揃っていたために起きたことでした。
つまりは、その5つの出来事のうち、どれかひとつでも欠けていたならば、その女性との出会いは実現していなかった可能性が高い、いや、出会いは無かったでしょう。
しかもその女性がパート勤務していたコンビニは、7月から始まる○○建設から受注した工事現場の場所に近いコンビニだったので、滅多に立ち寄ることの無いコンビニでした。
例えば自宅近くのコンビニや、勤務先近くのコンビニであれば、そういった出会いはあるかもしれません。
しかも、その女性は私が2回か3回訪れた(連続ではなく期間は1ヶ月くらい空いていました。)だけで、客である私を認識したのです。
きっかけは、私が2番目にレジ待ちをしている時に、何気なく彼女の方を見ると、既に私を見てニコニコされていて、私と目が合うなり会釈してくれたのです。
コンビニの店員さん達の中にも愛想のいい方もいらっしゃいますが、その多くは当たり障りのない接客をされていますし、レジ待ちしているお客さんにまで愛想を振りまく店員の方を、あまり見たことがありませんでした。
しかもその当時、私は女優の深田恭子が好きで、彼女を見た時、目元が深田恭子に激似だったため一目惚れしてしまったのです。
マスクをしていたために、鼻と口の様子が分からないのに、一目惚れしてしまったのです。
ただ、聖書には異性との交際について厳しく書かれてありましたので、『絶対に私からは話しかけないようにしよう。』と心に思っていましたが、その裏では『どうか彼女と会話できますように。』と祈っている私がいたのも事実です。
すると数日後に、彼女の方から私に話しかけてきました。
私も馬鹿だから滅茶苦茶舞い上がってしまい、神様が出会わせて下さったと決めつけて(サタンの誘惑の可能性もあるのに)、神様に物凄く感謝しました。
私も本当に愚か者で、嬉しさのあまり彼女から話しかけられた次の週もコンビニに立ち寄ったのですが、今度は思うように関わることができませんでした。
それまでは、立ち寄れば必ず彼女と関われていた(レジの対応)のですが、関われなかったことになぜか強いショックを受け、逆に神様を激しく恨んでしまいました。
今振り返ってみても、あの時の私はイカレポンチ(高校の時の国語の先生が、ふざけた生徒に使っていた表現です。)でした。
そうしますとやはり、その1週間後に神様から裁かれてしまいました。
口内炎(舌に出来物)ができて食事をするのもしゃべるのも辛くなり、挙句の果てには、高熱(最高で39度後半)にうなされ、1週間熱が下がらなかったのです。
このような高熱となかなか下がらない熱は、人生初でした。
聖書には、神様の裁きとして、皮膚病や高熱のことも書かれています。
明らかに神様からの裁きだと感じました。
本当にきつかったですし、このまま死んでしまうのではないかと考えたほどです。
これまで体調不良で動けなくなることは記憶になかったのですが、その時はさすがに動けませんでした。
普通の人なら病院に行くのでしょうが、神様の裁きだと確信していた私は、病院に行っても無駄だと思い、「許してください。」とひたすら祈り続けました。
また、病院に行ってしまったら、コロナと診断され兼ねないとも思い、病院へは行きませんでした。
しかし私は思うのですが、神様が私を裁かれたということは、彼女との出会いは神様から与えられたものなのかもしれません。
もしもサタンが与えたものであるならば、神様もそこまでお怒りになるのかな、と思いました。
神様が与えたものだからこそ、神様はお怒りになったのではないかと思いました。
私がサタンから与えられたものでないと感じたのには根拠があります。
サタンは人間を罪の中毒に陥れ、人間が神様と通じて救いを得ることを妨害し、地獄への道連れにすることが目的です。
ということは、彼女の存在はサタンからすれば、私が永遠の救いを失う絶好の道具となります。
ましてや、彼女は人妻さんです。
聖書には不倫を禁じる戒めがはっきりと書かれてあります。 旧約聖書 出エジプト記20章17節 新共同訳 隣人の家を欲してはならない、隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。 旧約聖書 レビ記18章20節 新共同訳 人の妻と寝て、それによって身を汚してはならない。 新約聖書 マタイによる福音書5章28節 新共同訳 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
私との関りで、彼女が私を誘ってくることは一度もありませんでした。
不思議と私も、プライベートまで彼女と関りたいとは、あまり思いませんでした。
従いまして、彼女との関係には、私の中にも理性がしっかりと保たれていたのです。
皆さんは、好きな異性が出来て、相思相愛かもしれないと感じた時、理性が働きますか?
ほとんどの人が理性を保てず、その相手と付き合いたい、連絡先を交換したい、プライベートまで過ごしたい、性的な関係を持ちたい、などと思うものでしょう。
私には、不思議とそのような感情がほとんど芽生えませんでしたし、芽生えそうになった時にも『いかんいかん。』と自分を抑制する気持ちがあったのです。
サタンからの攻撃・誘惑であれば、彼女を使って私を不倫などの不貞行為に突き進むように誘導していたはずです。
もしも彼女の方からアプローチされていたら、私も欲望を抑制できていなかったことでしょう。
実は彼女とのことについては、それ以後もけっこう奇跡的なことが起きたり、ちょっとした願いは叶えられているのです。※詳細は割愛します。
もしもサタンの罠であったならば、神様も彼女と出会わせることは成されなかったと思いますし、コンビニに立ち寄ることさえ駄目だと私が感じ取れるように導いて下さったはずです。
このように、2021年を振り返りますと、神様から与えられた1年間だったと言えると思います。
私が信仰を持つように、強く促して下さった1年間だったように思えます。
我社にとっても私個人にとっても充実した1年間でした。
私の2021年は、神様が人類に与えて下さる三大祝福を感じさせて下さった1年間だったかもしれません。 RAPT有料記事44(2016年2月22日)神様が人類に用意した三つの大きな祝福
そうすることで、私を信仰へと導いて下さったのかもしれません。
あれから3年が経過しようとしている現在(2024年7月)は、実を言いますと、2021年とは真逆で、我社は窮地に陥り(売上激減)、彼女はコンビニのパートを辞めました。
2021年の祝福を、サタンに根こそぎ奪い取られたかのように、状況が真逆になっています。
さすがに凹みそうになることもしばしばですが、霊的な恵みは未だに失われていないと感じています。
もしかすると、私には大きな使命が与えられるのかもしれず、そのために艱難苦難を起こされていらっしゃるのかもしれないと前向きに考えることで、何とか救われています。
神様の使命を成すということは、それほどまでに簡単なことでは無く、命がけとなるために、私を鍛えていらっしゃるのだろうと考えています。
世の中の人間も、甘やかされて育った人間ほど、質(たち)が悪いし、人間性も最悪ですし、何より精神的に軟弱です。
2021年の祝福の内容を振り返ると、神様が我社を捨てるように促しているとは思えないのですが、これも祈って答えをいただくしかありません。
とにかく、神様と出会った時の感謝を忘れないことが大切だと感じ、今回の記事をしたためました。
RAPT朝の祈り会 2024年2月1日(木) サタンからどんなに攻撃されて痛めつけられても、神様からどれほど愛されてきたかを絶えず思い起こして感謝し、神様に恩返しする者となりなさい。(サタンが私たちを攻撃してくるのは、私たちが幸福を感じて生きているのを見て嫉妬しているからだ。)
RAPT朝の祈り会 2024年2月4日(日) 神様は、ご自身がしてあげたことを忘れることなく、絶えずそれらを思い起こして感謝を捧げる人を、誰よりも尊んで愛し、大事に育てられる。神様のその深い心情を悟りなさい。(感謝の絶えない人がサタンに勝利した人であり、千年王国に入る資格のある人だ。)
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