RAPTさんの御言葉に従順に従う努力を積み重ねた結果、異性的堕落から少しずつ回復しています。

キリスト教

今回の記事は、私にとっては恥ずかしく思える内容を告白します。

私は、本当に性的な堕落がひどく、そのような私がRAPT理論に出会い、神様に出会い、キリスト教の信仰を持つに至ったことは、奇跡としか言いようがありません。

つまり神様は、人間を分け隔てなさることはなく、どんなに罪深い人間であったとしても、真理や救い、善を求める人間には等しく働きかけて下さるということです。

新約聖書 使徒言行録10章34~35節 新共同訳                                  そこで、ペトロは口を開きこう言った。神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。

新約聖書 ローマの信徒への手紙2章10~11節 新共同訳                               すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。

私は実を言いますと、幼い頃から異性的に堕落している部分がありました。

今から思いますと、私が神様に出会うことが無いように、サタンが早くから私に対して攻撃や誘惑を行っていたのかもしれません。

詳細は割愛しますが、私は幼稚園生の時や小学生の時に、隣の家に住む同い年の女の子に性的ないたずらをしていたほどの男の子でした。

ただ中学生になると、転校をしたせいもあってか、不思議とそれほど性的なことに興味を持つことはなく、それこそ男友達と遊ぶ方が楽しかったことを覚えています。

もしも転校していなければ、幼馴染の女の子と性的な関係に陥っていた可能性も否定できません。

だから神様がそうならないために、私の親を使って私が転校を余儀なくされるように導かれたのではないか、とさえ思っています。

親が家を新築して引っ越したための転校でした。

ちなみに、その女の子とはそれ以来、今日まで一度も会うことはありませんでした。

そして転校直後、私はなぜか不登校になってしまいました。

友達もすぐに出来たのですが、なぜだか今でも分からないのですが、中学校自体の雰囲気が嫌で嫌で堪らなく、登校拒否をしてしまったのです。

中学校の校舎を見た瞬間、涙が出て来て悲しくて仕方がなかったのを、よく覚えています。

物心がついてから育った場所が、無性に懐かしくて仕方がなかったというのはありましたが、今振り返っても不思議に思えます。

ある意味この出来事も、私へのサタンによる激しい攻撃だった可能性もありますね。

何とか1ヶ月くらいで改善しました。

少し話が反れましたが、中学時代になると、好きな女の子はできましたが、そこまでその子に対する執着心のようなもの、つまりは、お付き合いしたいなどの気持ちはほとんどありませんでした。

高校生になって、部活動で吹奏楽部に入ったせいもあって、恋愛をする機会が増えてしまいました。

現在でもそうかもしれませんが、吹奏楽部は意外に女性が多く、当時も男性の割合は1割か2割程度でした。

高校1年生の時、初めてお付き合いした女性が1学年先輩だったのですが、実は告白して成功した2週間後くらいに、なぜか気持ちが完全に冷めてしまったのです。

その先輩と冷めるきっかけとなる出来事があったわけでもありません。

結局はその先輩とは、自然消滅的な形で別れましたが、その後も好きな女性は何人かできましたが、お付き合いするまでには至りませんでした。

大学生になって、同じように吹奏楽部に入りましたが、高校とは違い、男性の数も多くいました。

大学時代も、一人の女性とお付き合いすることになったのですが、高校の時と同じように数日で冷めてしまい、すぐに別れてしまいました。

それがきっかけとなり、恋愛して恋人を作ることが嫌、と言いますか、怖いとさえ思うようになったのです。

気持ちが冷めると、相手のことを女性として意識することができなくなりますし、何より、一緒にいること自体が物凄い苦痛となったのをよく覚えています。

お陰で、私は今日まで恋人がいなくても平気な状態、むしろ、恋人は必要ない、という思いで過ごすことができていますが、しかしながら、その裏側ではとんでもない性的な堕落に陥っていたのです。

恋人を作らなくても生きていけるように導いて下さったのは、もしかしますと神様の御導きだったかもしれません。

だから、恋愛においては成功できないように導かれたのではないか、と勝手に思っています。

しかしながら、私を性的堕落に陥れたいサタンは、別の手を使って猛烈な攻撃を仕掛けてきました。

大学4年生の時に、暴力団の人と関わったことがきっかけで、風俗遊びを知ってしまったのです。

私がパチンコ(主にスロット)に嵌ったことを利用して、サタンが暴力団の人を使って様々に誘惑したのだろうと、今から振り返りますと、そうとしか思えません。

なぜかパチンコ屋で声を掛けられたのですが、実際に私の周囲の人たちの中で、パチンコ屋で常連客と仲良くなって会話する程度のことはあっても、暴力団と出会った人などは皆無です。

それがきっかけとなり、私が風俗遊びにどっぷりと嵌ってしまう、性的堕落の一途を辿ることになったわけですから、サタンによる激しい誘惑としか思えないわけです。

特に35歳くらいまで、借金をしてでも風俗遊びをするくらいに堕落しまくっていましたから、その面においては本当に救いようのないクズでした。

月に2~3回遊ぶことは当たり前で、酷い時は月に5回も6回も遊んでいました。

年間にすれば、相当な回数遊んでいたことになります。

それを23歳くらいからずっと続けていたわけです。

現在私は48歳ですが、約25年間、風俗遊びに没頭していたことになります。

「信仰を持った今でも遊んでいるのか?」と質問を受けそうですが、「はい。」と答えざるを得ません。

しかしながら、その頻度は圧倒的に減りました。

月に数回だったペースが、信仰を持ってからは年に数回までに抑えることができるようになりました。

勿論、全く遊ばなくなったわけではありませんから、褒められるべきことではありません。

ただ、年に少なくとも50回以上は遊んでいた私が、年に数回(3,4回程度)に留まっているのは、神様のお陰としか言いようが無いと思うのです。

信仰を持ったのが2022年2月でしたので、もうすぐ3年になろうとしていますが、それまでは年に50回以上のペースで遊んでいたわけです。

それが3年経過しない内に、極端に減ったわけです。

完全に断つことが出来ているわけでは無いので、偉そうに言うことは出来ませんが、それでも20数年間遊びまくっていたのが、信仰を持ったことにより激減したわけです。

これほどまでに嵌ってしまった人間が、ほんの数年で劇的に改善できると思いますか。

それこそ世の中では「○○依存症」なる精神病があります。

そして、それは医者に行っても基本的には改善しません。

むしろ、精神薬によってもっと悪くなる人も多いことでしょう。

ある意味で私は「風俗依存症」という病気に近い状態だったとも言えるわけです。

例えば「ギャンブル依存症」の人は、パチンコなどのギャンブルのために多額の借金をしたり、人(主に家族)に迷惑をかけてまでもギャンブルを行うほどの精神異常者だということです。

だから私も同じで、風俗遊びのために多額の借金をしたり、人に嘘を付いてまで(例えば借金の支払いが迫っているという嘘など)お金を借りていました。

はっきり言いまして、本当にクズの様などうしようもない精神異常者だったのです。

そして様々な依存症は、人から説教されて改善できるものではありません。

私自身も、親や会社の上司など、けっこう説教され続けてきました。

もしもその程度で改善できるならば、とっくの昔に改善できていたことでしょう。

信仰を持つまでは、風俗遊びをやめたい、やめよう、という気持ちは一切ありませんでした。

私がここから抜け出したい(風俗遊びをやめたい)気持ちにさせて下さったのは、神様です。

ひたすら神様だけを頼りましたし、今でも毎日悔い改めて縋っています。

ちなみに、自分の中から欲望を抑えようと我慢や努力を重ねたわけでもありません。

と言いますか、膨らんだ欲望は、どんなに我慢しても努力しても抑えられるものではありません。

パチンコがしたいという欲望が膨らんだ人は、仕事帰りに自宅に帰るかのようにパチンコ屋に直行するほどに、寝ても覚めてもパチンコのことを考えてしまうわけです。

ゲームがしたいという欲望が膨らんだ人は、朝から晩まで暇さえあればゲームを行うのではないでしょうか。

恋愛中毒になった人は、食欲もなくなるくらい、眠れなくなるくらい、相手のことを24時間考えてしまうのではないでしょうか。

若い時にそういう友人を何人も見てきました。(笑)

そして、いずれの場合も、親や知人から諫められても説教されても、聞く耳を持てないでしょう。

つまり、人間の中にある改善できない悪い欲望を抑えられる、あるいは、無くせるのは、神様しかいないということです。

それを私が現時点で証明しているようなものです。

今でも欲情に駆られてしまうことはありますが、無理やり抑えるというよりは、お金がもったいない、時間がもったいない、などの気持ちが不思議と湧き出て、自然と控えるようにできるのです。

以前の私には、風俗遊びのためには、お金がもったいない、時間がもったいない、などの考えは微塵もありませんでした。

全くの逆で、風俗遊びのためにお金を稼いで費やし、時間を費やしていたわけです。

風俗遊びは夜がメインでしたが、今では午前1時に神様との会話を行う(祈り)ため、余計なことに時間を費やしてしまえば、それこそ1時に起きれない、あるいは、朝まで熟睡してしまう恐れさえあります。

今の私にとっては、神様との対話の時間が何よりも重要なので、遊ぶくらいならば睡眠を少しでも取りたいと考えるようになったわけです。

それでも時々誘惑に負けそうになりますから、年に数回、つい遊んでしまい、神様から裁かれる目に遭っているのを実感しています。

今の私にとって叶えてほしい祈りが、なかなか叶えられないからです。

ただ、神様は私が信仰を持つ前から、私が救われる道を少しでも残して下さっていたような、そんな感じがしなくもありません。

実は、私は若い時からなのですが、特に性的関係を持った女性とは、必ず縁が切れるという出来事が起きているのです。

恋愛をすれば気持ちが冷める、というのもそうですし、風俗関係で仲良くなった女性(連絡先を交換した女性で10人位)とは一切関わることが無くなるように導かれてきました。

連絡先を交換すると、全ての女性で概ね半年以内で関係が切れるという、不思議なことが起き続けました。

風俗以外でも、8年前に男女の関係を持った女性が1人いましたが、その女性とは6年前に突然音信不通になり、関係を終わらせざるを得なくなりました。

それほど神様は、信仰を持つ前から私が犯してしまう異性の罪に対して厳しくなさっていると同時に、密かに守っていただいていたのではないかと思うのです。

だからこそ、親しくなった女性とはことごとく関係を裂かれたのではないかと考えています。

何より聖書は、アダムとエバの異性の堕落から始まっています。

彼らの堕落により、神様の御心が破壊されてしまい、現代にまで影響が及んでいるわけです。

このように書くと、神様は人間が恋愛をすることや性欲を抱くことを禁じられているように感じる人もいるかと思いますが、決してそうではありません。

信じない人も多いと思いますが、人間には霊魂があり、この霊魂を成長させることにより、悪い欲望が無くなっていくのです。

現に私が性的堕落から一定程度回復できているのは、紛れもなく私の霊魂が成長している証拠です。

霊魂を成長させた男女が恋愛をして結婚し、少しでも清い血を持った子孫を増やしてほしい、というのが神様の人間に対する願いの一つなのです。

これが正常な性欲であり、それ以外の異性と性的な関係を持つことやみだらな思いを抱くことは汚らわしい不潔極まりない、と思えるくらいでなければいけません。

勿論、その場合も自分で勝手に相手を決めてはなりません。

必ず神様が結び合わせて下さいます。

アダムとエバも、実は神様が結び合わせて下さった関係なのですが、それぞれの霊魂が成長できていない段階でサタンに騙されて性的関係を持ったために堕落したのです。

世の中でも霊魂が堕落したままの男女(過激な言い方をしますとサタン的な男女)が勝手に恋愛し勝手に結婚するから、肉体的にも精神的にも苦労が絶えず、むしろ不幸を感じながら生きるしかなくなるわけです。

まあ、世の中ではそれ以前に、神様のことを知らない人が沢山ですし、結婚前に性的関係を持ち、恋人同士でなくても性的関係を持つようなことが当たり前になっていますから、ほとんどの人達の霊魂は堕落して、それこそサタンの様な醜い姿をしているそうです。

RAPT有料記事282(2018年6月4日)                                       人類を救う者はその霊魂が天使のようになり、人類の救いを妨害する者はその霊魂がサタンのようになる。

RAPT有料記事284(2018年6月11日)                                       我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。

RAPT有料記事654(2022年5月28日)                                      人の顔は、その人自身の心のあり方が全て反映される。だから、その人の顔を見て、少しでも悪い印象を受けたなら、間違いなく悪人だと思って警戒しなさい。

勿論、罪は性的なことだけではありませんが、性的な罪は最も霊魂の救いを失う要因となりますので、肝に銘じて生活しなければなりません。

霊魂が救われなければ地獄に行きます。

そして、聖書には地獄について以下のように書かれてあります。

新約聖書 マルコによる福音書9章44節 新共同訳                                     地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

何ともおぞましい世界ですが、神様と通じることなく死んだ人は地獄行きです。

しかも、死んで肉体がなくなれば、霊体として永遠に霊界(天国か地獄)で生きて行くことになるのです。

「前世」はない。「輪廻転生」もない。その確固たる証拠。

今を生きている人生は、霊体を成長させ天国に入る資格を得るための人生だということです。

要するに、肉体が死んでからが本当の人生となる、ということですが、これを悟ることの出来る人がなかなかいないのです。

肉体が死んでみないと本当かどうか分からない、のはその通りですが、蛆や火が尽きない世界が本当だった時、後悔しても時すでに遅しです。

だから、真実かどうか分からない、と考えるのではなく、真実だったらどうする、と考えるべきでしょう。

私もまずは完全に異性の堕落から回復できるように、これからもRAPTさんの御言葉に従順に従い、義の条件を立てる努力を積み重ねたいと思います。

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