今回は、私が大学生の時に起きた出来事をお話しさせていただきます。
RAPTさんの御言葉を復習していく中で、2019年8月30日(金)に配信してくださった内容におきまして、国税局がRAPTさんに無実の罪を着せようとして自宅に訪問してきた時の話をして下さっています。
その話を拝聴しながら、ふと大学生の時に警察から理不尽な取り調べを受けたことを思い出しました。
改めて思いましたが、本当に役所機関は警察といい国税局といい、そこで働く庶民も含めて、悪の巣窟ですね。
勿論、RAPTさんには全く疑われる余地が無いのは言うまでもありませんが、私には少なくとも疑われる余地はありましたから、その点は違いがあります。
それでは本題に入ります。
私の大学人生は、本当に堕落に堕落を重ねた人生でした。
パチンコ三昧の日々を繰り返し、まともに大学に通いませんでした。
そんなある日、パチンコ屋で暴力団の人に声を掛けられたのです。
その時点では、まさかその人が暴力団の人とは思いもよりませんでした。
始めのうちは居酒屋などで飲酒をしながら会話をしたりといった、普通の付き合い方でした。
しかしある日に、とあるマンションの一室に招かれました。
その場所が何と、暴力団の事務所だったのです。
まずいことになったなあ、と思いながらも、その人との関係を断つことが出来ずにいました。
その人は、風俗にもよく行っていたみたいで、風俗で働く女性とも知り合いが多かったようです。
このことが大事件の引き金となりました。
その暴力団の人が、風俗で働く女性の一人とプライベートでも遊ぶ仲となったようですが、その女性の妹さんをレイプするという事件が起きました。
それに憤慨した風俗の女性は、警察に通報しようと考えていたみたいですが、結局はその暴力団の人と会って示談交渉のような話し合いを持つことになりました。
相手が暴力団でしたから、下手に警察沙汰にすると報復が怖かったのかもしれません。
特に、風俗業界と暴力団とは密接に繋がっていますからね。
そして示談交渉の場所として、なぜか私の自宅が選ばれたのでした。
いきさつは覚えていません。
深夜0時頃だったと記憶しています。
私の自宅には、私と暴力団の人とその子分、風俗の女性とその同僚の合計5人で話し合いをしました。
誤解の無いようにお願いしますが、私は単にその場にいただけですので、厳密には4人での話し合いです。
あらかじめ言っておきますが、私はレイプ事件とは何の関係も無いのに巻き込まれたわけです。
ここはかなり大事な部分であり、示談交渉の場所として私の自宅を提供したことが無実の罪を着せられる発端となったのです。
その話し合いは1時間ほどに及んでいましたが、思ったよりも早く和解のほうへ進み、和やかな雰囲気にさえなっていました。
ところが、風俗の女性に1本の電話がかかってきました。
その女性の妹さん(被害者の方)からでした。
実は、被害に遭われた風俗の女性の妹さんは、一緒に車で来ていたらしく、車の中にいたまま近くの駐車場で待機していたようです。
風俗の女性が「やばい、妹が警察に連絡した!」と言いました。
どうやら妹さんは、話し合いが長引いていることに恐怖を感じて、警察に通報したようです。
妹さんは、お姉さんとその同僚の女性が、暴力団の人に乱暴されたのではないかと恐れたようです。
まあ無理もありませんよね。
相手は暴力団の一員だったわけですから。
その連絡を受けた暴力団の人とその子分は、直ちに私の自宅から立ち去りました。
風俗の女性とその同僚の女性は、妹さんが待っている駐車場まで戻りましたので、私だけが自宅に残りました。
やれやれ、と思っていた矢先、警察(刑事)が風俗の女性とともに私の自宅にやって来ました。
私にも「事情を聴きたいから」と言って、私を連行していきました。
駐車場には、驚くことにパトカーが10台以上たむろしていました。
10台以上は言い過ぎかもしれませんが、駐車場周辺がパトカーだらけだったので、そう感じました。
暴力団についての通報だったので、パトカーも異様な多さとなったのでしょう。
ある意味、刑事ドラマのような光景に、呑気な私は感動さえしていたほどでした。
まあバカですね。
これから地獄のような苦しみを味わうとも知らずに。
こうして私は東警察署に連れていかれました。
当時の私が福岡市東区に住んでいたためです。
警察署の中に入ると、私は一目見て驚きました。
「ここは暴力団の事務所か」と思ったほど、数人いた警察(刑事)の雰囲気が暴力団そのものだったのです。
顔の雰囲気、身だしなみの雰囲気、それと空気感、何もかもがヤクザとしか言いようが無く、もはやそれだけで苦痛だったのをよく覚えています。
おそらく、マル暴と呼ばれる暴力団対策の部署に連行されたのでしょう。
はっきり言いますが、暴力団の事務所でさえ、暴力団の事務所という感じがしないのに、警察署のその部署の雰囲気は、警察署という雰囲気ではなく、本当にヤクザそのものであり、何か危険で異様な雰囲気さえ漂っていました。
まさに、サタンそのものだったということでしょう。
今となっては、RAPT理論によって警察と暴力団とは裏で密接につながっている悪の集団であることが暴かれていますので、当時のことがものすごく納得できるわけです。
ここからです。
私に対する警察の取り調べが始まります。
はっきり言いますが、取り調べでは無く、自白強要そのものでした。
第一声が「お前も共犯だろうが!」という言葉です。
本当に耳を疑いましたよ。
正義の味方であるはずの警察の言葉とは思えないくらい信じられない言葉であり、ヤクザと何ら変わらない口調でした。
なぜ私が居合わせたのか、その経緯から尋ねるものではないでしょうか。
あるいは、暴力団と私の関りについて尋ねてからでもいいようなものです。
確かに、私は暴力団の人と関りを持ち、有らぬ疑いを持たれる要因があったのは確かです。
しかしながら、何の証拠もないのに、ただ暴力団と関わっているからという理由だけで、私まで犯罪者扱いするのは如何なものでしょうか。
これってよくよく考えますと、基本的人権の尊重の侵害であり、警察による憲法違反行為ではないでしょうか。
皆さんもそう思いませんか。
加えて、風俗の女性とその同僚の方も、警察に「この人(私)は今回の件で何の関係もないので許してあげてください。」と何度も言ってくれたのでした。
被害者の方々が私のことを事件と無関係だと証言しているにも関わらず、その言葉を無視するように私に尋問しまくってきたのです。
つまり、事件と関係のないことまでしゃべらせようと強要したのです。
もう有り得ないでしょう。
私が犯罪を犯した、もしくは、事件に加担した、というなら私も潔く逮捕されましょう。
しかしながら、暴力団の人と知り合いだからという理由だけで、共犯者扱いですよ。
暴力団が違法な金貸しをやっているのではないか、暴力団が他にも悪事を働いているのではないか、など、本当に事件と何ら関係ないことを延々と尋問され続けました。
午前2時くらいから午前9時くらいまで警察署に拘留されました。
思い起こしますと、なぜ警察が拘留を解いてくれたかと言いますと、私が九州大学の学生であることを知ったからでした。
私が九州大学の学生だと知った後で、なぜか警察の態度が変わったのを思い出しました。
尋問中は頭が真っ白な状態でしたので、詳細は特に覚えていませんが、私の履歴を知ってから警察の様子が変わったことだけは思い出しました。
警察にとっても、九州大学というのは一種のステイタスなのでしょうか。
あるいは、九州大学の学生が暴力団と悪事を働くようなことはしないだろう、と勝手に考えたのでしょうか。
九州大学の学生と暴力団とは、相交えないとでも考えたのでしょうか。
私に尋問していた警察本人、あるいは、その上司が、九州大学出身だったのでしょうか。(笑)
皆さんは関係ないとお思いでしょうが、案外とこういったくだらないことが関係したりするものなのです。
悪なる世界とはそういったものなのです。
思えば不思議に感じますが、何はともあれ無罪放免となりました。
と言いますか、私は無実です。
暴力団と知り合ったという点においては、私の落ち度であったかもしれません。
ちなみに、強姦事件を犯した暴力団の人は、結局のところ捕まることはありませんでしたので、これをもってしても警察が如何に杜撰な組織であるかを物語っていると思います。
改めまして、被害者が哀れでなりませんね。
ただ、こういった出来事により、それから約25年経過した私にとって、警察のドス黒い部分を経験できたことが、少なからず益となりました。
こうしてブログに書くことが出来るわけですから、信仰を持った私に対して神様と繋がっていなかった過去のことまでもが、こうして益となるようになるわけです。
神様のお導きに改めて驚き入るばかりです。
このように警察は昔から冤罪をしかけることが当たり前になっていたわけです。
と言いますか、警察の本当の仕事は冤罪を作り出すことかもしれませんよ。
根拠ですか?私を自白強要した第一声が根拠ですよ。
おそらく、無実の罪を着せられた人たちはたくさんいることでしょう。
私が受けたような自白強要の目に遭えば、誰だって「私がやりました」と言うしかなくなります。
私の場合は、被害者の方々が庇ってくれたので助かったというのもあると思います。
普通ならば、被害者が庇ってくれる偶然なんて起きませんからね。
このことについても、私のことを神様が守ってくださっていたのかもしれません。
自白強要などドラマでの世界だと思っていましたが、現実に起きていたことなのです。
それこそ、RAPTさんを教えてこられた牧師先生も、冤罪によって命を奪われているわけですから、警察の悪はここに極まれりというわけです。
警察という機関は憲法違反機関として、直ちに裁かれるべきです。
実は、聖書にも取り調べ(裁判)に関する聖句があります。
旧約聖書 申命記19章15節 口語訳 どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。
6千年前から、現代に通用する掟を神様はモーセを通して伝えていらっしゃったわけです。
こういった内容を知らない連中が警察をやっているわけですから話になりません。
もっとも警察のトップは悪魔崇拝者(イルミナティ)である可能性が高く、聖書の内容を熟知して、意図的に聖書に反逆していることは十分考えられます。
ちなみに、イエス様は申命記19章15節の掟に反する形で殺されたのです。
新約聖書 マルコによる福音書14章55~56節 口語訳 さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。
この聖句はまさに、イエス様に冤罪を仕掛けた場面になりますが、このように昔も今も悪人たち(警察官や裁判官)のやっていることは全くもって同じだということです。
皆さん、警察は本当に悪なる巨大な力の味方であり、つまり、イルミナティや暴力団(ヤクザ)の味方であり、我々庶民を助ける気持ちなど微塵も持ち合わせていませんから、絶対に頼る真似をしてはなりません。
このブログでも何度も書いていますが、くだらない交通取り締まりなど、その典型と言えるでしょう。
この世の中、危険運転をしている人たちがほとんど捕まることなく、たまたまうっかりした人たちが捕まっているのです。
だからいくら交通取り締まりを実施しても、危険運転を行う人たちが後を絶ちません。
少々話が反れましたが、実害なる悪を放置するのが警察の実態です。
警察は事件が起きないと動いてくれない、と言われる所以ですね。
事件が未然に防がれてしまうと我々の仕事がなくなる、というのが警察の考え方です。
私が神様から使命をいただいた時には、絶対に警察の仕組みを変えます。
どのような使命をいただくことになるかは分かりませんが、絶対に警察を滅ぼし、真っ当な組織に変えて見せます。
警察の皆さん、証拠もないのに犯罪者扱いするのは、基本的人権の尊重に反する行為であり、憲法違反行為であると認識すべきです。
警察の皆さん、証拠が十分そろっているにもかかわらず、証拠不十分として犯罪者を無罪認定するようなことも重大な憲法違反と認識すべきです。
一人でも多くの警察官が正義に目覚めて、本当の意味で悪を退治する組織となってもらいたいものです。
警察の実態は、聖書で言うところのファリサイ派や律法学者のような偽善者だということです。
警察の皆さん、人前でいい人ぶるのは止めましょう。
警察の皆さん、あなたがたこそ聖書の掟に逆らっている悪人であり、罪人だということを認識しましょう。
聖書に書かれてある善悪を知らない人たちが警察官になっているわけですから、彼らに世の中を悪くすることは出来ても、正すことは絶対に不可能です。
そうです、我々義人こそが警察の役割を果たすべきですし、更には警察(庶民も含む)によってむしり取られた税金を彼ら(庶民も含む)にこそ払い戻してもらい、彼ら全員の悪の報いを受けてもらう必要があると考えます。
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