遂に私の両親にもサタンが入りました。(その2)

神様の証

前回からの続きです。

早速、父から送られてきたメールをご紹介します。

こんにちは。

その後いかがですか。

お前の信仰するのがどんなものか分からんけど、家族縁者より大事なものとは思えない。

残念で仕方ない。

お母さんにどれだけ心配&迷惑をかけたか自覚あるはずだ。

縁切りするのはお前の勝手やけど、少なくともお母さんだけには一言お前の気持ちを伝える義務はあるんじゃない!

お前が起業する時なんかでも無理してお金出したやろ。

どれだけ迷惑かけたか判っていないんだよな!

だから平気で要られるんだろう。

此れが最後の連絡だ。

以後何があっても連絡はしない。

精々信仰するものと心中しなよ。

お母さんに出来る範囲でいいからお金返しな!

其れが最低限の誠意と思うよ。

この内容だけ見ると、いかにも私が一方的に悪く、ろくでなしのように感じますね。(笑)

それでは、このメールがサタンである根拠を説明していきます。

お前の信仰するのがどんなものか分からんけど、家族縁者より大事なものとは思えない。

これがまさしく、サタンの手口である「情」を誘っています。

神様は「理」の方ですから、絶対に「情」を使われることはありません。

「情」は善悪の判断を鈍らせます。

皆さんも、「情」にかまけて、人に施してはいけない施しをした経験があるでしょう。

人にお金を貸す行為などが、その典型です。

「情」で人を誘惑する手法は、サタンの手口だと理解して下さい。

つまり、神様のことより人間のことを考えろ、と言っているのです。

血の繋がりを第一に考えろ、と言っているのです。

聖書に書かれてある重要な掟は、第一に神様を愛し、第二に隣人を愛することです。

つまり、人間が一番ではなく、神様が一番なのです。

いかがでしょうか、サタンが父を使って、逆を言わせているのが分かると思います。

新約聖書のマタイによる福音書10章34節~39節に、以下の聖句があります。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣(つるぎ)をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

はっきり言いますが、神様の世界においては血の繋がりは重要ではありません。

ただし、誤解の無いように言いますが、ないがしろにしても構わない、ということではなく、あくまで一番ではない、ということです。

血縁関係が大事という考え方は、人間的に見れば普通と言いますか、むしろ当然でしょうが、これこそサタン的考え方なのです。

実際にキリスト教においては、信仰者同士を「兄弟姉妹」と表現します。

お前が起業する時なんかでも無理してお金出したやろ。

申し訳ないですが、私は起業をする上で、両親を頼っていません。

明らかに父が記憶違いを起こしています。

記憶違いでなければ、意図的に嘘を付いています。

お金を出すと言ったのは、両親の方からです。

私は若い時、お金で大失敗をし、両親には多大な迷惑を掛けたことがあったので、お金のことで相談することはできませんでしたし、してはいけないと自分に言い聞かせていました。

両親から送金するよと言われたとき、私は逆に要らないと断ったくらいです。

こんな言われ方をする位なら、やはり受け取るべきではなかったということです。

新約聖書のルカによる福音書3章14節に、以下の聖句があります。

ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ。」と言った。

もっとも、だまし取るような真似はしていませんが、給料以外の物を受け取ると、得てして結果が思わぬ方向へ傾くということです。

また、新約聖書のヘブライ人への手紙13章5節に、

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。

とあります。

二千年前の人が現代にも通じることを言っていることが驚愕ですが、これこそ神様なのです。

つまり、神様の考え方の基本は、その昔から現在に至るまで、全く変わらないということです。

しかし、サタンはその時、その場面に応じて、コロコロ考え方も言っていることも変わります。

朝令暮改ということわざは、まさにサタンを表しています。

ちなみに、この文面からは、見返りを求めてお金を出したかのように感じ取れなくもないですね。

これもサタンの手口で、先にお金を工面した上で、後になって返せだの、恩知らずだの、とののしって、私を責めているのです。

そもそも事実に反する書き方をしている時点で、サタンと言わざるを得ません。

どれだけ迷惑かけたか判っていないんだよな!だから平気で要られるんだろう。

なぜ、私が平気で要ると決めつけるのでしょうか。

これも、サタンと言わざるを得ません。

私の気持ちを一切聞かずに、自分勝手に私の気持ちを解釈しているということです。

どれだけ迷惑を掛けたか分かっていたので、父の日、母の日、両親の誕生日、年始のお年玉など、その機会に応じて送金していました。

せめてもの、私の感謝の気持ちでした。

なぜ、物を送らずにお金を送っていたかと言いますと、その時点で両親が望むことをしてあげたいと思ったからです。

お金を送れば、美味しい物を食べたり、趣味に費やしたりなど、自分たちがしたいことのために使えるからです。

残りの余生を少しでも楽しく過ごしてほしくて、お金を送っていたのです。

そういう思いでいる私が、どうして平気で要られたことでしょう。

私は両親を含めた身内が、世の中の真実に目覚め、私を受け入れてくれることを願っていました。

そのような私の思いを理解しようともしない両親たちに、私の方こそ愕然としました。

此れが最後の連絡だ。以後何があっても連絡はしない。

私は父のメールを読んで、強烈にサタンを感じたので、同じように強烈な言い回しで返信しました。

少々、感情的に返信してしまい、過激な言い回しも使いましたが、それは、父に返信したというより、サタンに返信したという意識だったからです。

サタン相手に容赦はできません。

すると、父から返信が来ました。

もう、笑っちゃいましたよ。

何があっても連絡しないのではなかったのか?と思いました。

私の挑発めいたメールに怒って返信してきたのです。

このように、サタンが関わると、矛盾を露呈することになるのです。

お母さんに出来る範囲でいいからお金返しな!

実は、この発言こそ、サタンが言わせています。

前回の記事で、私はRAPTさんの教会宛に献金を始めたと書きましたが、これを妨害しようとしているのです。

つまり、サタンが「両親にお前の面倒を見たお金を返す方が先だ。神様に献金する余裕があるなら両親に金を払え。それをやらないならお前は恩知らずの屑だ。」と言っているのです。

どうですか、献金に対するサタンの妨害と考えると、辻褄が合うと思いませんか。

もっとも人間的に考えると、サタンの言う通りと思って考え直すでしょうね。

しかしながら、いくら父がサタンに使われているとはいえ、私はこの発言にショックを受けました。

そもそも両親には、このような心根(見返り的)があったということです。

ちなみに、自分たちが稼いだお金、工面したお金で私を育てたし助けた、と両親は思っているでしょうが、残念ながら違います。

神様が両親を使って私を育て下さり、助けて下さったのです。

私を育てる、又は、助けるために必要なお金や時間、物質などを神様が両親を使って与えて下さったのです。

その両親を生んだのも、その両親であり、即ち、全ての人間の誕生は、神様がなさった事なのです。

皆さんも、今の自分があるのは両親のお陰であると思っているでしょうし、そのこと自体は間違いのない事実ですが、そもそも神様がその誕生を許されない限り、皆さんはこの世に誕生できなかったのです。

神様にまずは感謝し、その次に両親に感謝、となるわけです。

当然ですが、そのように考えられる人は、まずいないでしょうし、お前は頭がおかしい、と言われるのがオチでしょう。

従いまして、神様に恩返しをする方が先で、献金を行う方が先だと言えるのです。

今回の件で、親が子のために使ったお金を、恩着せがましく言うことや、貸したという感覚を持っていること自体に人間性を見ましたし、だからこそ、サタンに使われてしまうのです。

我が両親でありながら、恥ずかしくて情けなくてなりません。

だいたい、縁を切ると言いながら、お金を返せと言うのも矛盾しています。

どっちなんだ、と言いたくなりますね。

お金を返している間は、縁が繋がっていることになります。

もはや、支離滅裂状態であり、完全にサタンに掌握されています。

ちなみに、今回のメールからは、父が母のことを執拗に気にしているようにも感じられます。

お母さんに心配と迷惑を掛けた、とも書いてあります。

実を言いますと、私と母は血の繋がりがありません。

つまり継母(ままはは)なのです。

私のために赤の他人(継母)がお金を出したということです。

だから、父としても肩身が狭く、継母に対する後ろめたい気持ちもあるために、継母にお金を返せと言っているのでしょう。

もしかすると、父の精神状態は地獄なのかもしれません。

そうだとしたら、間違いなく父は神様に裁かれています。

ちなみに私は父のことを全く可哀想だとは思いません。

むしろ、自業自得としか言いようがありません。

実際に父は過去に私が幼い頃、実の母と離婚した後、別の女性と交際していましたし(不倫)、その女性と交際している最中も、今の継母とも交際していたようです。

異性の堕落故の末路です。

そうとしか私には思えません。

私も異性の堕落については他人のことは言えませんが、私は、それを悪だと認めて、悔い改めて、二度と同じ過ちをしないようにもがいている点において父と異なります。

このように異性の堕落が激しかったため、最後に一番一緒になってはいけない女性、つまり、継母と一緒になったため、人生最後の局面で裁かれたと言えるのではないでしょうか。

私との関係も崩壊したという点も、父への神様からの裁きと言えるでしょう。

最近判明しましたが、継母も実は若い時に不倫をしていた可能性が浮上しましたが、こういうことをしていれば裁かれて当然だと言えます。

実際に継母は、約20年前に実の息子を交通事故で亡くしていますから、よくよく考えますとこの事も神様からの裁きと言えるかもしれません。

継母本人と過去に私は色々昔話などしたことがありますが、父の悪口や私の身内の悪口、私の妹(実の妹)の旦那の悪口、継母の娘(私にとっては義姉)の悪口などがもっぱらで、本人の不倫の話などは一切聞いたことはありませんでした。

他人の悪口も、神様の世界では罪に当たります。

自分の最大の罪を隠して、他人をののしれば、それは裁かれて当然と言えます。

また、メール全体を通して、過去のことにこだわっていますが、これも実はサタンなのです。

サタンの世界では、やたらと伝統を重んじたり、過去の栄光にすがったり、過去の失敗を持ち出したり、過去のやり方にこだわったりします。

皆さんも、そのようなことをしたり、されたりといった経験がありませんか。

逆に神様は、常に新しい自分を作り、日々次元を上げなさい、と仰せになります。

つまり神様は、常に新しいものを求めていらっしゃるのです。

神様は人類の救いを目的とされ、サタンは人類の破滅を目的としています。

従いまして神様は、人類が義に立ち返るなら、過去の罪や過ちをお許しになります。

もしも神様が、その人の過去の過ちに固執される方だとしたら、人類は誰も救われません。

罪のない人間、過去に過ちを犯したことの無い人間は、一人もいないからです。

一方でサタンは、過去のことを持ち出して、人類を苦しめ、そもそも「許す」という考え方がありません。

いかに神様が前向きな方であるかが分かりますよね。

⑥精々信仰するものと心中しなよ

この言葉は、もはや神様への冒涜であると私は受け止めました。

完全にサタンの仕業です。

たとえ父がキリスト教のことを知らないとしても、決して許されるべき発言ではありません。

知らなければ許される、ということはなく、むしろ、神様の世界では「無知」は罪です。

「無知」であるが故に、騙されやすくなり、サタンに知らず知らずの内に、都合の良い様に使われてしまいます。

いかがですか。

このように、メールのほぼ全文がサタンから出たものであると理解できることでしょう。

ただ、私は今回の件で両親を恨むようなことはありません。

ただし、サタンに使われて私を攻撃するような人間になり果ててしまったことは事実であり、神様に両親の裁きを祈っています。

神様の御心を行おうとしている私を迫害したからです。

ただ、両親の裁きを祈るとしても、両親(特に父)が考え直してくれることを期待して裁きを祈るのです。

このように聞くと、矛盾しているように感じるかもしれませんが、両親が私と縁を切った後で裁かれることで、その後から災いや辛いことばかり起きるようになったと気付いてほしいと願う故に、裁きを祈るということです。

私は、両親が再度話し合おうとか、歩み寄る態度を示してくれれば、当然ながら応じます。

もしも私が両親に対して恨みの気持ちを抱いていれば、何があっても応じることはできませんよね。

また、人を恨む気持ちも神様の世界では罪に当たります。

新約聖書のローマの信徒への手紙12章19節に、以下の聖句があります。

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

従いまして、人に対して怒りや恨み、憎しみを抱き続けるのではなく、神様に委ねましょう。

新約聖書のマタイによる福音書18章21~22節に、以下の聖句があります。

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら、何回赦(ゆる)すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

皆さんも、他人のことを許せる寛大な人を目指しましょう。

次回は、神様が私の父や継母との関係を捨てるように促された、私なりに考えた理由(主観ではなく神様の観点から考えた理由)、更に神様からの祝福もあったことをお伝えしたいと思います。

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