お盆休みに母の実家で過ごした出来事。

キリスト教

見出しの写真は、母と母の旦那さん(母は約25年前に今の旦那さんと再婚しまして、私も旦那さんとは面識があります。)と訪れた、鵜戸神宮から見た日南海岸の様子です。

今年のお盆の時期は、太平洋沖に台風があった影響もあり、海が相当荒れていました。

結構な高い波が押し寄せていましたが、相変わらずその美しさは、福岡の海と比べると雲泥の差です。

母の実家も父と同じ宮崎です。

以前の記事で、私は父方の身内とは断絶したことを書かせていただきました。

普通の人なら『ばったり遭遇したらどうしよう』、『誰かに目撃され父たちの耳に入ったらどうしよう』などと、色々心配や懸念をするのでしょうが、私にはほとんどその気持ちはありませんでした。

ばったり遭遇した場合も神様のお計らいだと考えますから、そこには何か意味があると捉えますので、いちいち不安や心配に苛まれることが無いというわけです。

そもそも神様が、私と父、そして父方の身内全般との関係を断ち切られたと考えていますので、偶然遭遇するような機会は与えられないでしょうし、実際に今回は、遭遇することはありませんでした。

そして、今回の帰省についても、神様がお力添えいただいたと感じる出来事ばかりが起きました。

①信仰生活を送る時間が十分与えられました。

今回、実家に戻るに当たり、私が最も考えていたことが『明け方の祈り』についてでした。

母の家は、私が幼い頃と全く変わりがなく、昔ながらの家(昭和を感じさせる家)と言いますか、部屋の数も限りがありますので、明け方に祈っていれば、母と旦那さんを起こしてしまうのではないかと考えていました。

家の中にいては、お祈りはできないと考え、外に出て祈るほかないとも考えていましたし、外で祈るにしても、都合の良い場所があるかなあ、と考えながら帰省しました。

ちなみに、『明け方の祈り』とは、午前1時から行いますので、皆さんが思う明け方の時間とは違います。

宮崎県えびの市に到着した時に、母に連絡を入れました。

あと約1時間くらいで着くと伝えました。

すると、その電話の中で母が「宿泊先を予約している」と言ったのです。

ん?と思いましたが、みんなでどこか温泉にでも行く予定なんだろうかと思いました。

そして、お昼過ぎに到着しました。

すぐに母が出迎えてくれて、旦那さんにも挨拶し、早速ホテルにチェックインのため向かいました。

その道中で、わたしのために宿を取ったと母が言いました。

思いがけない展開に驚かされました。

わざわざ私のために、ホテルを取ってくれたのです。

2拍3日の予定で帰省しましたが、2日目も別のホテルを予約したそうです。

これは、神様が祈りの時間と場所を母を使って提供して下さったと感じるしかありませんでした。

しかしながらこの出来事は、人によっては何とも寂しい話に聞こえるかもしれませんね。

なぜ家族団らんで過ごさないのだろうか、と。

人間的にみると、私と母が仲が悪いように感じなくもないですね。(笑)

しかし、そうではありません。

皆さんに忘れてほしくないのは、私は信仰者で世に属さないように努力している人間であり、母はどこまでも世の中の人間です。

このように表現すると、この人は何を言っているのだろうかと、訳が分からないといった感じになるでしょうね。

聖書に以下のようにあります。

新約聖書 ヨハネの第一の手紙 2章15節~16節                                世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。                                                      ※「御父」とは神様のことです。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章2節                                        あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

新約聖書 ヨハネによる福音書 17章14節                                      わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。                                  ※「わたし」とはイエス様、「彼ら」とはイエス様の弟子の方々、及び、信仰者のことを指しています。

確かに母は、父方の身内の面々とは違って、世の中の真実を受け入れる器を持っていて、キリスト教への理解もあります。

しかしながら、信仰を持つまでには至っていませんので、厳密に言えば、私と母は住む世界が違うと言っても過言ではないのです。

しかも、私が一番考えていた『明け方の祈り』に関することが、いち早く解決したのです。

ホテルに一人で宿泊することにより、一人の時間を多く過ごすことができますので、それなりに信仰生活ができるということです。

本当にこれには驚きました。

当然ながら、父方と繋がっていた時は、このようなことはありませんでした。

母も、私が毎日欠かさずお祈りを行っていることを知っていますので、配慮してくれたのでしょう。

また、夏の暑い時期ですから、母の家で寝泊まりさせるより、ホテルなどの環境が整っている涼しい場所で過ごさせてあげたいという、親心もあったかもしれません。

いずれにしましても、神様のお力が働いたとしか私には思えませんでした。

②私が行きたい場所へ、自然と向かう流れになりました。

その日は、昼の12時半頃に到着し、ホテルの手続きを済ませてから、昼食を取り、母と二人で母の車でドライブを満喫しました。

しかも、私が帰省した時には毎回行っている場所(幼い頃に過ごした場所)にも、自動的に向かう感じになりました。

私が過去に帰省した時には、毎回欠かさず、その場所を訪れていました。

それくらい、幼い頃に過ごした場所が、私にとっては不思議と特別な場所なのです。

私が向かってほしいと母に要望したわけではなく、たまたま母が行こうとした場所が、私の行きたい場所の延長上にあった、ということでした。

帰省した時の、私の一番と言っていいほどの希望が、その日のうちに叶えられたのでした。

③私が霊的に少しは感じ取れるようになってきているのではないかという出来事がありました。

宮崎滞在2日目です。

この日は、母の旦那さんも交えて、午前中からドライブでした。

草団子を買うために、少々遠出をしましたが、その途中で急に耳がふさがったような、そして耳鳴りのようなものがしてきて、何か変だと感じましたが、次の瞬間、右手に比較的広めの墓地がありました。

この時期はお盆の真っ最中でしたから、悪霊がうようよしていたのでしょう。

特に墓地周辺は、霊的に状況が極めて悪くなっているはずです。

それを私が感じ取ったのかもしれません。

本当に、感じが悪くなりましたから、驚きました。

そして、昼食を食べてから、鵜戸神宮へ行こうということになりました。

私は断ろうかと思いましたが、自分の霊感を試したい気持ちもあり、同意しました。

神社にいる間は、それほど体調不良等を感じることはありませんでしたが、帰る頃になると頭が重くなり、ついには頭痛が起きました。

通常の頭痛ならば、バファリンですぐに痛みが治まるのですが、この時は、全然治まらず、1時間後にもう一度服用したほどでした。

それでも効きませんでした。

もしかすると、一時的にサタンや悪霊の影響(もしくは攻撃)を受けたのかもしれません。

祈りの時間(午前1時ごろ)になっても頭痛が残っていましたので、再度バファリンを服用したら、今度は30分もしたら治りました。

多少は、祈りによって悪霊を退散させられたのでしょうか。

まあ、実際のところは何とも言えません。

サタンや悪霊が原因だったのか、昼に食べたチキン南蛮が原因だったのか、私は小麦粉アレルギーがあるので、腹痛が起きたり頭痛が起きたりしますので、単にそれが原因だっただけかもしれません。

食物アレルギーが関係無ければ、頭痛は霊的な症状だと言えるでしょうから、私の霊感は以前より鍛えられているという証拠になるでしょうが、はっきりとしたことは言えません。

また、機会があれば試してみようと思います。

④いつもの帰省時と比べると、ほとんどお金がかかりませんでした。

以前、父方の方に帰省していた時は、まず、お土産だけで約1万円ほど費やしていました。

父方の身内は、明太子が大好きだったので、各家庭ごとに買っていました。

明太子は、けっこう高いのです。

一方で、母はと言いますと、明太子はいらない、と言われました。

何も買って帰らないというのは気が引けましたので、母に他で何かいらないのか尋ねると、せんべい類でいいよ、と言われました。

せんべいは、明太子に比べればはるかに安いですから、3箱買っても、3千円かかりませんでした。(笑)

結局、帰省の際に費やした費用は、往復の交通費(高速代とガソリン代)、お土産代、くらいなもので、母がホテル代や昼食代など、全て払ってくれました。

勿論私も、昼食代くらいは払おうとしましたが、母が頑なに拒んだので、出しませんでした。

母の胸中を察するに、母にとってみれば、私が小学生の時に分かれて以来、親として何もしてあげられなったことを申し訳なく思っているのかもしれません。

だから、私と繋がったこの時を大切にしたくて、数万円費やしても、惜しくも何ともなかったのでしょう。

更には、母から1万円、旦那さんから1万円、合わせて2万円をお小遣いとして渡されましたが、流石に断りました。

しかし、前回、母が福岡を訪れた時もそうでしたが、旦那さんは「ガソリン代や高速代にしてほしい」と言って、どうしても受け取ってくれ、と言われましたので、仕方なく受け取りました。

結果的には、私が今回の帰省に費やしたお金は、それこそお土産代くらいなものでしたから、5千円前後でした。

このように、父方の時とは明らかに違った状況が生まれたのです。

父方に帰省していた時は、平均的に5万円前後は使っていました。※何と10倍ですね。(笑)

年末年始などは、甥っ子姪っ子たちのお年玉もありましたから、10万円前後は費やしていました。

薄情者と言われそうですが、本当に無駄遣いしたものだと、つくづく実感しました。

神様の御心のために、また、神様が繋げて下さる人達のために、数万円使うのは惜しくも何ともありませんが、よくよく考えれば彼ら(父方の身内)の堕落に対してお金を出していたわけですから、そういう意味で無駄遣いと表現していますが、多くの人からは理解されないと分かっています。

やはり、母と再会させて下さったのは、神様のお導きであったと確信しました。

しかも、2拍3日過ごした日々が、すごく充実感で溢れていましたから、神様のお計らいで間違いありません。

改めまして、神様に心から感謝申し上げます。

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