今年に入って2人目の退職者が出てしまいました。
勿論、私の方から退職させました。
何があったかと言いますと、大まかに表現すれば、私に対して不貞腐れた態度を取り、私を激しく怒らせた、ということです。
えっ??それ位の事で、と思われる方も多いと思いますが、今回退職させた彼も、これまで何度も素行の悪さを目にして、私はその都度優しく指導していました。
彼を雇い続けて3年半の間、私は相当我慢し続けて来たということで、今回、突発的に激しく怒ったわけではありません。
70代半ばの年配の従業員ですが、私が優しく指導している間にどうして修正できなかったのか、と思います。
人間というのは、なぜか優しく注意されている時というのは、本気でそのことを修正しようとしません。
それで、結果的に取り返しのつかない始末を迎えることになるのです。
本当に愚かとしか言いようがありません。
70年も生きてきて、何を学習してきたのかと呆れるばかりであります。
私の父もそうですが、本当に、呆れる年配者の多いこと多いこと、はっきり言って嫌になります。
こういう人達が人生の先輩だと思うと、恥ずかしくてなりません。
では早速、当該従業員の素行の悪さをご紹介いたします。
①現場が残業になると不貞腐れて、あろうことか現場の方々に対して文句を言い出しました。
主に8時開始の現場でのことですが、17時が残業にならない定刻となりますが、たまに残業になることがあるのですが、ひどく怒って感情を露わにし、現場の作業の方にも文句を言い出す始末でした。
このことが、年に数回はあり、私が一緒に従事している時にも、そのような態度を出したことがありました。
その際に私も「気持ちはわかるけど、堪えましょう。」と優しく注意しましたが、あまり聞く耳を持つ感じはありませんでした。
私は社長なんですけどね。(苦笑)
②仮設トイレが設置してある工事現場において、立小便をしました。
たまたま、現場視察に訪れた時に目撃したので、「立小便はまずいでしょう。」とやや笑いながら私は注意しました。
しかし彼は謝るどころか言い訳をし、「仮設トイレまで遠いですから仕方ないです。」、と開き直るかのような発言をしました。
仮設トイレが遠いと言っていましたが、高々数十メートルの距離です。
数百メートルもあるならばいざ知らず、それ位の距離は年寄りなんだから、足腰の運動と思え!!今に歩きたくても歩けなくなるぞ!!と言いたいくらいでした。
この2つの案件から伺い知れるのは、彼がどこまでも自分のことしか考えていない、自分さえ良ければいい、という考えが露わになっているということです。
これだけ取っても、素行の悪さが伺い知れると思います。
以下に紹介するのも全て、自分のことしか考えていない、自分さえ良ければいい、という気持ちの表れによるものだと理解できると思います。
③煙草を平気でポイ捨てするのです。
携帯用灰皿を所持することは、喫煙者の最低限のマナーだと思うのですが、皆さんはどう思いますか。
ポイ捨て行為は、工事現場だから許されないというわけではなく、基本的にはどの場所においても許される行為ではありません。
普段から喫煙マナーを意識していない表れです。
時代が変わったという認識をもっと持つべきです。
④彼は自家用車を所有しているのですが、従業員を同乗させて通勤の往復をする際、スピードを出して走行することが多く、安全運転に努めていないことがわかりました。
これは、私が忌み嫌う人間の行為の一つです。
つまり、自分の運転で同乗者がいるということは、その同乗者の命を預かっていることになるのです。
私は過去に、このことを全従業員に話したことがありますから、彼はそのことをすっかり忘れて、いち早く現場に着いて、いち早く家路に着きたい、という思いから、そのような危険運転を行うのでしょう。
これも私は彼に注意したことがありましたが、その時も優しく注意しましたが、「分かりました。」と言っただけだったと思われます。
⑤麻雀を行うと一層悪人となるようです。
麻雀自体がサタンの娯楽ですから、そのようになるのは自然なことではあります。
感情にブレーキがかからなくなり、相手を相当攻撃するようです。
それにより、相手によっては、彼と一緒に麻雀をするのも、仕事をするのも二度と嫌だ、という人達さえ出てしまったようです。
このようにサタンの娯楽は、それによって様々な面に悪影響を及ぼすということです。
基本的に、根が悪なる人間は、麻雀を好みます。
麻雀とパチンコは、暴力団が物凄く好む娯楽ですし、その2つの娯楽により、人生を破滅させることさえ可能です。
そのような娯楽を積極的に行おうとする人間が、善良であるはずが無いのです。
そもそも、麻雀とは他人を騙して蹴落として勝利を得る娯楽ではないでしょうか。(私の認識が間違っていればすみません。)
まともな人間が行う娯楽ではありません。
ちなみに、ここでは割愛しますが、彼はパチンコ店でも騒動を起こしたことがありました。(本人談)
もはや、救いようのないレベルと言っても過言ではありません。
⑥自分の思い通りにならないと、必ず顔や態度に出します。
はっきり言って、こういう人間は始末に悪いです。
注意して改善されるものではありません。
人生の中で、自分の思い通りにならないことの方が圧倒的に多いはずです。
自分を何様と思っているのでしょうか。
自分のことを誰よりも偉いと思っているのでしょうか。
であるならば、なぜあなたは警備員という小さい仕事をしているのですか。
総理大臣とか大企業の社長とか、大きなことを成しうる人間になっているはずですよね。
億万長者になっていても不思議ではありませんよね。
つまり、自分の思い通りの人生を歩めていないから、今を迎えているのではないでしょうか。
どこまで高慢なのだと言いたいです。
顔や態度に出すのも、私は彼に優しく注意してきました。
それでも全く修正されませんでした。
まあ、とどのつまりは、私の事さえ見下していた、なめていた、ということです。
だったらあなたが社長をやりなさい、ということなのですが、経営者にさえなれないのなら、身の程をわきまえよ、ということなのです。
⑦忙しい現場では、パニックになり、感情的に業務を行うことも頻繁でした。
つまりは、頭の回転が悪いということです。
臨機応変さに乏しいということです。
それなのに、評価してくれる現場の方がいらっしゃるので、本人も調子に乗って高慢になるのです。
はっきり言って、私から見れば、彼の仕事ぶりは100点満点中、良く言って50点くらいでしょう。(いや0点と言っても過言でありません。)
なぜ彼が評価されるのか、今に至るまで全く理解できません。
真にできる人というのは、先を見越して行動できますから、どんな仕事を行うにしても、忙しいからと言って混乱することはありません。
彼の仕事ぶりは、はっきり言って下手糞です。
よくそんな仕事ぶりで評価されるなあ、と不思議でなりませんでした。
神様の仰せの通り、謙虚さを兼ね備えるということは、極めて重要です。
⑧自分が大切にしている取引先の仕事なのに、露骨に嫌な顔をすることがありました。
私が問題にしているのは、その取引先の方に、素直に自分の気持ちを言わない点です。
その取引先は、主に土木工事を行っているのですが、時々、道路舗装工事を行うことがあります。
彼は、道路舗装工事を極端に嫌がっているのです。
嫌がる理由は、単純に大変だからです。
その取引先のため、自分を犠牲にする精神までは持ち合わせていません。
道路舗装工事の現場の事となると、「私も年ですから。」と言うのですが、年齢は関係ありません。
やる気の問題です。
それを正直に取引先の方に言えないのです。
それを見て私は、決して彼がその取引先と真に良好な関係を築くことができていないと確信しました。
真に良好な関係とは、相手が嫌がるような頼みごとでさえ相談できること、相手が嫌がるような意見も正しいと判断すれば伝えられること、自分の気持ちを正直に伝えられること、こういったことができるかどうかだと思うのです。
だから私は彼に「道路舗装工事の現場は嫌だと伝えなさい。」と頻繫に言ってきましたが、結局言えなかったようです。
裏では嫌だと言いつつ、取引先の方を目の前にすると、頑張ります、みたいな発言をするところを目の当たりにしますと、正直不快感しかありませんでした。
卑怯者であり偽善者だと思いました。
いかがでしょうか、ざっと8件ご紹介しましたが、神様が私に「彼を捨てなさい。」と仰せになる理由もご理解いただけたと思います。
これらのことを何度も指導したにもかかわらず、最終的に私に対して、不貞腐れた態度を平気で取るようになったので、私も激しく叱らざるを得なくなり、彼にとっては取り返しのつかない始末となったのでした。
私は社長ですが、普段の私を見て、一企業の社長だと認識できる人はいないと思います。
それだけ普段の私は、謙虚に振舞うように努めているということです。
聖書にもこうあります。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕(しもべ)とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。」(マルコによる福音書 第10章 42節~45節)
しかも我社は人数が少ないので、サークル活動的な組織であり、和気あいあいとしていますから、ともすると、従業員はみんな、私が社長であることを忘れてしまっている時さえあるのではないでしょうか。
RAPTさんも、十二弟子や他の使命者に対して、普段は友人に接するように行動しているようですが、そのためにRAPTさんのことを軽んじる人も出てくるようです。
本当に人間というのは、相手(立場的に上の人)が下手(したて)に接していることを良いことに、道理をわきまえず自分が偉くなったかのように高慢になる生き物なんだとつくづく実感しました。
特に、今月(2023年の10月)は、私もサタンの攻撃を強烈に感じる日々を過ごしていましたので、結果的にサタンが彼に入って私を攻撃してきたのかもしれません。
彼にはサタンが入り込む隙があり過ぎた、ということでしょう。
実際に、最近のRAPTさんの御言葉では、サタンに関する御言葉が続々と宣布されています。
2023年10月29日(日) サタンに負けてもいい日は1日もない。あなたが当たり前のようにサタンに負けて日々を生きるなら、あなたはいずれサタンの体となり、神の御心を破壊して、あなた自身も破滅するだろう。(今の時代も、サタンはイスカリオテのユダのような人間を立てようと目論んでいる。)
しかも彼は、我社に入社してきた際に、それまで働いていた会社で嫌な思いをしていたのです。
それで私を頼って来たのですが、その時の恩も忘れて、現状が当たり前化して、感謝の気持ちを忘れて、少々自分の思い通りにならないことが続いただけで不貞腐れて、反抗してくる始末でした。
私も自分で言うのは何ですが、いかに我社が他社と違って、全ての面で恵まれているか、彼も思い知れば良いのです。
そもそも、自分の思い通りにならないことが立て続けに起きたということは、彼は完全に神様から裁かれています。
聖書にも以下のようにあります。
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、おなたの燭台をその場所から取りのけよう。(ヨハネの黙示録 第2章 4節~5節)
つまり、初めて神様に出会った時に大変な祝福を受けておきながら、感謝の気持ちを忘れて、不平不満などを言い出して逆らっていることを反省しなさい、と戒めておられるのです。
まさに、彼に相当する聖句だと言えなくありません。
そして今回も、御多分に漏れず、彼を退職させた後で、彼に対する悪い話が出ました。
つまり、退職させて正解だったと思える話を耳にしたのです。
不思議なもので、私が退職させた従業員については必ず、その後で何らかの悪い話が出てくるので、これまで一度も退職させたことを後悔したことがありません。
やはり、神様から来た霊感を受けたこと、つまり、「退職させなさい。」と言われた感じを受けたことは、現時点で正しいと言うほかありません。
ただし、これにより、我社は私を含めて4人となりました。
これからやっていけるのだろうかと、心配になりがちですが、神様からは我社を続けることを許諾されている様な霊感を受けました。
その霊感が正しいかどうかは、もう少し時間が経過してみないと分かりません。
もしも、思うように状況が上手くいかなくなった場合は、我社を捨てる時が来たと判断できると思いますが、現時点では、そこまで状況が悪くはなっていません。
仕事の受注がある間は大丈夫だろうとは思いますが、それでも油断せず、毎日祈り求めて、神様から正しい道を示していただけるよう、努めていかなければなりません。
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