11月11日の祝祭の日の日記です。

キリスト教

この日まで、実を言いますと、ずっとサタンから攻撃されている感じを受けていたことが、明け方の祈りでした。

深夜の1時から祈り始めるのですが、10月くらいからずっと、1時に起きるのが辛くて、1時半や2時過ぎといった時間から祈り始めることもしばしばでした。

ところが、この日は1時前には目が覚めて、眠い感じも一切なく、久しぶりに4時半まで祈ることができたのでした。

つまりは、明け方の祈りの時間から、それまでとは違った感覚を受けました。

実際に、4時半までの3時間半が、あまり長く感じることなく祈ることができたのです。

私は未だに霊的には鈍感な方だと思いますが、目覚めも良く、深く祈ることができたということは、霊界の状況がより清められていたのではないかと感じました。

サタンを全く感じなかったとも言えます。

そしてそれから2時間ほど睡眠を取りました。

この日は、神様がRAPTさんを通して、「普段行かない所に行き、普段食べない物を食べて過ごしなさい」、と仰せになっていましたので、私は下関に行くことにしました。

自宅を出て間もなくのことですが、何気なく東の空を見ると、以下の写真の光景がありました。

青く囲った箇所に注目いただきたいのです。

拡大した写真が以下になります。

皆さんは何に見えますか。

太陽が、うっすらと顔を出しているように見えるかもしれませんが、実は太陽の位置は、1枚目の写真の右側のマンションの裏側に隠れているのです。

つまり、2枚目の写真は太陽の光ではなく、太陽の光に反射しているような光なのです。

写真ではオレンジ色に写っていますが、目にした光景は虹色の光でした。

けっこう珍しい光景だったので、信号停車中にスマホで撮影しました。

物凄く小規模のオーロラ的なものなのか、と思いましたが、このことも何か神様からのメッセージが隠されているのではないかと考えました。

結論から先に言わせていただきますが、この1日は、結果的には大きな恵みを感じたという1日ではありませんでしたが、恵みを受けたことは確かでした。

おそらく、私が積んできた義の条件は、まだまだ神様から認められていなかった部分が多かったのだろう、と私は判断しました。

では、裁きを受けた1日だったかと言いますと、そんな感じは無く、嫌なことも特別起きませんでした。

実際に、仕事関係の電話は一切かかってきませんでしたし、それだけでなく、メール以外は電話1本かかってきませんでした。

実に静かな1日で、一人で過ごす時間を満喫できた、もっと言えば、神様と過ごす時間を満喫できた1日でした。

誰にも邪魔されませんでしたからね。

もしかすると、それこそが恵みの賜物だったかもしれません。

実を言いますと、朝一だけ納得できないことが起きたのですが、個人的な都合で寄り道をしたことで、神様に叱られたような感覚を抱きました。

つまり、「今日1日だけは私(神様)のことだけ考えて、他の人間達のことは一切考えるな。」と。

詳細は割愛しますが、実際に、私の願い事があって寄り道をしたのですが、叶えられませんでした。

ところで、上の写真の意味は何だったのか、と私なりに推測しましたが、神様の私に対する祝福の度合い、即ち、私の立てて来た義の評価の度合い、だったのではないかと考えました。

神様は光の御方です。(逆にサタンは闇です。)

太陽以外の部分から、あたかも光が発せられているかのように見えたので、神様からのメッセージなのではないかと考えたわけです。

つまり、光の強さが強いほど、今日1日神様が共にする時間が多く評価の度合いも高い、という意味合いだったのではないかと勝手に推測しました。

私の神様からの評価は、残念ながら小さいものだと思いました。

その理由は後述します。

ちなみに、普段行かない場所として下関を選んだ理由は、今から約25年前、大学生の時に塾でバイトをしていたことがあったからです。

10年位前に、一度ドライブで下関まで行ったことはあったのですが、再度行ってみようと思いました。

当時は電車で通っていたのですが、下関駅の雰囲気は、当時の名残は全くありませんでした。

こんな光景だったかな?という印象でしたから、相当様変わりしたのでしょう。

まあ、25年も経過していれば、駅もその周辺も変化するのは当然と言えば当然ですね。

私がバイトでお世話になった塾も健在ではありました。

「能力開発センター」という塾でしたが、業界のことは詳しくないので何とも言えませんが、何十年と続いているということは、やはり大手の塾だったのでしょうか。※当時は大手の塾といった印象は感じませんでした。

大学生の時も博多に住んでいたのですが、何故下関まで行ってバイトをしたのかと言いますと、一つは、高校(宮崎の高校です。)の時の同級生がバイトをしていたからです。

数学の先生が足りないということで、けっこう強く懇願されました。

大学では落ちぶれましたが、高校までは数学が得意だったのです。

もう一つは、お金(時給)が良かったからです。※こっちの理由の方が大きかったです。(笑)

当時の私はお金を追い求めていましたから、「同級生の力になるため」と言えば聞こえは良いでしょうが、そんなまっすぐな純粋な気持ちではなく、どこまでも卑しかったということですね。(笑)

お昼時は、壇ノ浦パーキングエリアに立ち寄り、ふくフライ定食を食べました。

普通の魚のフライといった感じでした。

壇ノ浦と言うと、歴史に詳しい方ならご存じでしょうが、平氏が源氏に敗れ、滅亡した場所と言われている場所ですね。

そして、海には平氏の武将たちの屍が沈んでいるのでしょうか。

いいえ、実は、平氏は壇ノ浦では滅亡していないことが、RAPT理論でも暴かれています。

少々雑談になりますが、平氏が壇ノ浦で入水自殺を行った話は大嘘のようで、死んだと言われている安徳天皇や平時子(平清盛夫人)も生き延びていたというのが真実のようです。

源義経が平氏を九州などに逃がすための戦いが、壇ノ浦の戦いだったというわけです。

そして、その裏切り行為(源義経と平氏が裏で繋がっていたこと)が兄の源頼朝に発覚して、源義経との関係が最悪となり、頼朝と義経が争うことになったのです。

この辺りの歴史の話は、別の機会に出来ればと思っております。

つまりは残念ながら、壇ノ浦には歴史的なものは何も無いというのが真実でしょう。

しかしながら、その光景は絶景でした。

大した写真ではないですが、一応添付します。

見出しの写真も、実は壇ノ浦パーキングエリアから撮影した写真です。

ちなみに、夕方、サニーで久しぶりお寿司を購入して食べたのですが、これまで感じたことの無い美味しさを感じながら食べられました。

本当に、「こんな美味しかったっけ?」と感じました。

申し訳ないですが、サニーのお寿司を食べて、それほど美味しいと感じたことは、今までありませんでした。

では、私が神様の祝福がわずかなものだったと推測した理由を説明しますと、神様が私に対して罪と認定しているものに、私が未だに未練を持っているからです。

明らかに神様が捨てるように促していることが分かっているにもかかわらず、私が完全に捨て切れていないからです。

例えば、一万の義を積んだとしても、たった一つの罪のために、その義が台無しになるというわけです。

それくらい、罪はまずいものだと認識しなければなりません。

しかも、その罪は神様が重く見られる罪ですので、それを握っている間は、どんなに義の条件を立てても、真に認めて下さることはないし、祝福も奪われてしまうわけです。

分かっていてできないのは、それもまた大きな罪ですね。

従いまして、私もこの日を境に、まずは捨てるべきものを捨てる決心をし、罪を無くして多くの義を立てるようにしなければならないと決意できた1日でもありました。

実際に、その日を過ごした翌日の明け方の祈りの時に、その罪について悔い改めて、「捨てる決心をします。」と神様に伝えましたら、ものすごく聖霊が下って来たような感じを受けました。

ある意味、罪のことも認識させていただいた1日だったと言えます。

確かに肉的な祝福は小さなものだったかもしれませんが、明らかにサタンを感じることの無い1日でもあり、霊的にはそれなりの恵みを受けていたのかもしれません。

「小さい」と表現しては、高慢な奴だと裁かれるかもしれませんね。

神様への感謝を忘れることなく、神様に喜んでいただけるように毎日を生きていかなければならないと改めて決心しました。

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