ドラマ制作と悪魔崇拝(その2) 世の中は不倫を肯定しているのか否定しているのか、さっぱり理解できない。

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今回は、悪魔崇拝というよりは、姦淫についてのお話です。

私は恥ずかしながら、RAPTさんに出会うまでは「姦淫」という言葉を知りませんでした。

「姦淫」とはどういう意味なのか調べてみますと、性にかかわる不道徳な事である男女が不倫な肉体関係を結ぶこと、と書かれてあります。

「不倫」という言葉が世間一般ではよく使われていますが、正確には「姦通」と表現するようで、社会・道徳に背いた不貞行為・性交渉のことである、と説明されています。

「不貞行為」とは、配偶者としての貞操義務違反行為(自由な意思に基づいて配偶者以外の者と性的関係を結ぶこと)を意味している、ということです。

貞操義務とは結婚のことです。

そこで、私が最近気になっている、と言いますか、不快感極まりないことをお伝えします。

テレビ朝日系列の深夜のドラマ「離婚しない男」のことです。

御存じの方も多いと思いますが、完全なる不倫の話のようです。

しかも、平気で不倫現場を放送し、平気で卑猥な言葉を放送しているようです。

私はテレビを処分して自宅にありませんので視聴してはいない(もっとも、放送時間帯には就寝しています。)のですが、ネットを開くと記事の中に出てくるので知るようになりました。

記事のタイトル文章を目にするだけでも、なんかもう、物凄く不潔な感じがして、不快感極まりないのです。

以前から私は疑問に感じているのですが、世の中は「不倫」に対して肯定的に捉えているのか、ということです。

恋愛ドラマも数多くありますが、その中でも「不倫」を扱うドラマも数多く存在します。

私の両親も恋愛ドラマはよく見ていましたし、両親ともに不倫経験者です。

もう、救いようが無いでしょう。

私は幼い時から恋愛ドラマ自体があまり好きではなく、コメディドラマを好き好んで見ていました。

恋愛ドラマは、どろどろした人間模様が描かれることが多く、幼心にも気持ち悪いと感じていました。

一方のコメディドラマは、笑いがあるし、人間関係がどろどろしていません。

私が好きなNHK大河ドラマでも、ドラマによっては恋愛的な場面を描くことがありますが、『こんなの必要ないだろう』と思いながら見ていました。

そうそう、思い出しました。

NHK大河ドラマの中でも、田向正健が脚本を務めるドラマは最悪です。

必ず不倫をドラマに取り入れているのです。

1988年の武田信玄、1992年の信長、1998年の徳川慶喜、と少なくともこの3作品は全て、不倫が描かれているのです。

頭おかしい、狂っているとしか言いようがありません。

ご丁寧に、架空の人物を作ってまで、不倫を描くという熱の入れようです。

私のように歴史に関心がある者からすれば、不倫があったかどうかなど、どうでもいいことですし、そもそもなぜ不倫を題材にしているのか、全く理解できません。

本人の趣味なのか、制作側の趣味なのか分かりませんが、不倫を肯定しているとしか思えない有様です。

このように、あたかも不倫を善であるかのように扱う、または、善とまで言わないとしても、男女の正しい愛の形の一つであるかのように扱う風潮があるのです。

下手をすれば、女性の方が感化されやすい、憧れを抱きやすいかもしれません。

しかしながら、一方では「不倫」に対して厳しい姿勢で臨んでいます。

例えば、以下の記事をご覧ください。

ウクライナ人『椎野カロリーナ』、不倫報道で虚偽の説明をしていたとしてミス日本グランプリを辞退 ミス日本協会はグランプリを”空位”とし繰り上げはなし

あれれ???不倫は肯定しているのではなかったですか???

世の中は不倫ドラマを作って、不倫はいいものだと肯定しているはずなのに、なぜ、不倫を問題としてこのようなことが起きるのでしょうか。

明らかに矛盾しています。

不倫を肯定するならば、椎野カロリーナのことを問題にすること自体がおかしいという理屈になりませんか。

それとも、不倫についての虚偽の説明が問題であって、不倫内容の事実を最初からきちんと説明していれば問題なかった、ということなのでしょうか。

いいえ、この件は明らかに不倫行為そのものを問題にしています。

不倫をしている女性がミス日本グランプリに相応しいのか、という論調です。

悪魔崇拝者側の考え方であれば、不倫しているかどうかは問題無いはずですし、不倫を理由に辞退する必要も無かったと思うのですが。

ということは、不倫を悪と捉えているということですよね。

そうであるならば、直ちに先に挙げた不倫ドラマは、制作中止、放映中止にすべきです。

いや、過去に制作した不倫ドラマ全て、お蔵入りすべきです。

そもそも、不倫ドラマを制作すること自体、悪ではありませんか。

このように、悪魔の世界においては、何が善で何が悪かも分からなくなりますが、一つの事象を善にも悪にもしているということです。

これでは、子供たちにさえ、まともな教育はできませんよ。

神様の世界では、何が善で何が悪か、はっきりしていますから、混乱することも無く、複雑化することも無く、極めて分かり易く明快なのです。

聖書にも、不倫に関することが、はっきりとと書かれてあります。

旧約聖書 出エジプト記20章13節~17節                                          殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

このことは御存じの方も多いかもしれませんが、モーセの十戒の一部です。

新約聖書 マタイによる福音書5章27節~28節                                      「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。

世の中では、恋愛に対する価値観、考え方が大きく間違っています。

男女の愛(恋愛)は、性的な関係を結ぶことで育まれるかのように思われていますが、逆です。

むしろ、性的な関係を結ぶことで破滅が待ち構えています。

性的な関係は、愛でも何でもなく、単なる欲望、欲情に過ぎません。

男女の本当の愛を知るためには、神様の愛を知るしか方法はありません。

神様の愛を知らずして、本物の愛を人間が持つことはできません。

男女の愛(恋愛)に限らず、身内の愛、友人の愛、などの人間が持つ全ての愛です。

私も神様に出会うまでは、男女の愛は性的な関係の相性で決まる、と考えていました。

当然ながら、その考え方は間違いですし、間違いどころか身を滅ぼしかねない考え方です。

私も性的な堕落を行った人間として、今も毎日のように悔い改めています。

そのような私が言えたことでは無いのかもしれませんが、少なくとも私は性的な罪を反省し、そこから回復できるようにもがいています。

少なくとも、姦淫を描くテレビドラマ、映画、小説などの制作は、子供からお年寄りまで幅広い年齢層の目に留まりますから、直ちにやめてもらいたいものです。

もっと言いますと、姦淫と関係のあるもの全ての制作をやめてもらいたいですね。

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