神様に出会う前から神様に頂いていたもの。

神様の証

今回は、過去に起きた出来事の中で、今にして振り返ると神様の手助けだったのではないか、と感じる出来事をご紹介いたします。

以前の記事(約1年前の記事)で、私は約10年間、原因不明の腹痛下痢軟便に悩まされていたことを書きました。

お腹の不調の主な原因は、小麦粉だった!

小麦粉がその主な原因であることに辿り着けたことも、神様のお力によるものだと感謝しています。

しかし、当時を振り返ってみますと、それと同等と言える神様のお力添えだったと感じる出来事が起きていました。

それは、様々な大事な場面において、お腹の調子が崩れることがなかったことです。

当時の私は、とある会社で取締役でしたので、取引先のお偉方と会談することもしばしばでした。

様々な大事な場面とは、そのお偉方との会談や会食、会社の行事(忘年会、飲食会など)、現場で従事する時、などの場面のことです。

そういった状況の中で、お腹の調子を崩したことがありませんでした。

直前まで腹痛や下痢の症状が出ていても、いざ、その場になると不思議と治まり、トイレのために一時退席を余儀なくされるといった症状悪化が生じることが一切ありませんでした。

嘘のように思えるかもしれませんが、記憶する限りでは、一度もありませんでした。

そもそも、体調不良で大事な場面を欠席や退席するというのは、世間一般では「粗相」と表現し、失礼な行為に値します。

従いまして、一度でもそのような状況に陥ってしまった場合は、鮮明に覚えているはずです。

先ほども書きましたが、直前まで症状が出ていたことはしばしばでしたので、『今日はさすがに無理かな』、と思うことは何度もありました。

しかしながら、その都度、その場では症状が治まり、常に乗り切ることができました。

そのお陰で、多くの方々に、私が体調不良に陥っていたことを気付かれることはありませんでした。

特に、お腹の調子が悪い時の飲食の場ほど、地獄の環境はありません。

皆さんは、例えば食中毒の症状で苦しんでいる最中に、飲食の場に出席できますか?

当時の私の症状は、それこそ毎日が食中毒に罹っていたといっても過言では無いほど、お腹の調子は最悪でした。

私と同じような目に遭えば、おそらくは多くの人が体調不良を理由に、飲食の場から欠席や退席をしていたことでしょう。

ものすごく体調が悪い時は、「粗相だろうが何だろうが関係ない」、と考える人がほとんどでしょう。

しかし当時の私は、自分自身の粗相は、会社の信用や従業員達の頑張りを無に帰する、という思いで業務を担っていましたので、どんなに体調不良であっても、相手にそれを感じさせること無く乗り切ることが私の役割であり使命である、とさえ考えていました。

実は、何度も心の中では『この場が終わるまで、何とかお腹の調子が悪化しないでくれ』と縋るような思いで祈っていたことを思い出します。

当然ですが、神様に祈り求めていたわけではありませんし、特定の誰かに祈り求めていたわけでもありませんが、本当に誰かに縋るような思いで祈り求めていました。

そして不思議なもので、その願いが常に叶えられていたのです。

今にして思うと、神様が助けて下さっていたとしか思えません。

大事な場面で一度も体調不良に陥ったことが無いのです。

一度も無いのです。

奇跡的な出来事だとは思いませんか。

毎日が食中毒という中で、大事な場面では一度もお腹の調子が悪くならない、これが偶然だと皆さんは思いますか。

二度や三度では無いのです。

しかも当時の私はお酒が好きでしたので、食事会では決まって飲酒していました。

ちなみに当時の私は、お腹の調子が悪いくせに、付き合い等関係なく、毎晩、晩酌をするなどしてお酒を好んで飲んでいました。

まあ、愚か者と言うしかありませんね。

お酒を飲まれる方にお聞きしたのですが、お腹の調子が悪い時に飲酒できますか?

当然ですが、控える方が多いのではないでしょうか。

私自身もその場においては、ドキドキしながらビールや日本酒を飲んでいましたが、それでも結果的にはお腹の調子が悪くなったことがありません。

私は約3年間取締役を担っていましたので、大事な場面は結構な頻度で訪れました。

それにもかかわらず、一度も体調不良に陥らなかったわけですから、神様が働きかけて下さったとしか言いようがありません。

食事会に限らず、会談のために取引先の事務所などに出向くと、決まってコーヒーが出てきます(心の中では『お茶にしてくれ!!』といつも願っていました。)が、お腹の調子が悪い時にコーヒーを飲むのは勇気が必要です。

しかも会談が長引くと、頼んでもいないのに、更にコーヒーのお代わりが出てくるわけです。

もはや罰ゲームですよ。

心の中では『いらんいらん!!』と叫んでいるのですが、口から出る言葉は「ありがとうございます。」と言ってしまうわけです。

このように、私が経験した大事な場面というのは、お腹の調子を更に悪化し兼ねない要素が満載だったとお分かりいただけると思います。

神様に出会う前から神様からの手助けだと感じる経験を人よりも多く経験していますが、このことも神様からの手助けだと言えると思います。

しかも、この原因不明の体調不良があったお陰で、私は神様に出会うことができた、神様に辿り着くことができた、と言っても過言ではありません。

と言いますのは、この原因不明の体調不良が起きたことで、これからの自分の人生について、深く考えるきっかけとなったからです。

体調不良に陥るまでの私は、自分のこと、ましてや、自分の人生について深く考えるということはありませんでした。

ある意味、適当に人生を生きていたと言えると思います。

ところが、体調不良を経験したお陰で、一生腹痛と付き合っていかなければならないのか、完治する術(すべ)は無いのか、以前のような健康体を取り戻せないのか、食を楽しむことや旅行を楽しむこともできないのか、そんなことを絶えず考えるようになり、真剣に自分自身と向き合うようになりました。

そのような地獄のような日々、絶望しかない日々を送っていましたが、そのような中にあっても私が絶対に思っていたことがありました。

それは、諦めない、ということでした。

サタンの世界(いわゆる世の中のことです。)では、病気と一生向き合っていかなければならない、と半ば諦めが肝心などとふざけたことを言いますが、私は絶対に改善し完治するはずだ、と信じて諦めませんでした。

その姿勢が自然と、神様と考えが通じていたのかもしれません。

今月(2024年2月)のRAPTさんの御言葉では、神様への感謝を忘れないように御言葉が宣布されていますから、特に過去に受けた恩の大きさを忘れることなく、毎日を過ごさなければならないと改めて悟る今日この頃であります。

今回の記事のことが神様から来たものかどうか信仰を持つ前の出来事でしたからはっきりと断言はできませんが、私が思う大切なこととは、自分の全人生にとって大小関係なく益となったこと全てにおいて神様から頂いた賜物だと信じて感謝すること、だと思います。

現実に、サタンが人間に体調不良をもたらすことはあっても、健康をもたらすことは絶対にありませんからね。

RAPT朝の祈り会 2024年2月1日(木)                                      サタンからどんなに攻撃されて痛めつけられても、神様からどれほど愛されてきたかを絶えず思い起こして感謝し、神様に恩返しする者となりなさい。(サタンが私たちを攻撃してくるのは、私たちが幸福を感じて生きているのを見て嫉妬しているからだ。) 

RAPT朝の祈り会 2024年2月2日(金)                                      神様が私たちに求めているのは、感謝から来る愛だ。神様は感謝する人を見て最も喜ばれる。そして、その人に惜しみなく与え、その人をサタンから守り、艱難苦難から助け出し、その人のすべての願いを叶えられる。  

今では、この当時の体調不良が嘘のように、劇的に回復しています。

小麦粉料理も少しずつ食べられるようになっていますし、何より太ってきました。

私は高校生の時から、体重が全く変わることなく40歳を迎えていましたが、明らかに健康的に太ってきたことが自分でも分かるほどです。

それもそのはず、明らかに食べる量が増えました。

30歳代の時より、47歳の今の方が食欲旺盛なのです。

普通は逆が起きて、年齢を重ねるごとに食べる量が減ってきますよね。

今から2年前のことですが、縁を切った両親からも、久しぶり(コロナのために2年ぶり)に帰省した私を見て、「ふくよかになって、顔色も良くなっている」と驚かれたほどでした。

小麦粉が私の体に合わなかったこと、原因不明の体調不良から回復できたこと、痩せの体質から変化したこと、これら全てが神様から頂いた賜物だと感謝しかありません。

このように、神様と繋がることは勿論ですが、神様と同じような考えを持って行動するだけでも、人生が大きく変わるのだということを実感しました。

一人でも多くの人が、そういった経験ができるようになってほしいですね。                                             

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