はっきり言いますが、私が神様とRAPTさんに出会い、キリスト教の信仰を持つに至ったことは、奇跡と言っていいくらい、私は堕落しまくっていました。
お金と異性です。
イエス様は、お金持ちに対して以下のように仰せになりました。 新約聖書 マタイによる福音書19章23~24節 それからイエスは弟子たちに言われた。「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」
これって、すごいことを仰せになっていると感じませんか。
私は決して「富んでいる者」ではありませんでしたが、自分の欲望を満たすため、どこまでも金銭を追い求めていました。
聖書の聖句で私に最も響いたのが、以下の聖句です。 新約聖書 テモテへの第一の手紙6章10節 口語訳 金銭を愛することは、すべての悪の根である。
RAPTさんの御言葉の核となる部分は、聖書の言葉から来ています。
新約聖書 マタイによる福音書6章33節 口語訳 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。※「これらのもの」とは、人それぞれが抱く叶えたい願望のことです。
RAPT朝の祈り会 2018年7月17日(火) 神の国と神の義を先ず第一に求めなさい。そうすれば全てが与えられる。(祈りを叶えるための法則を悟り、その法則通りに従って生きる者となりなさい。)
私は、2020年にRAPT理論に出会い、2020年7月くらいからRAPTさんが配信される有料記事を少しずつ購入するようになり、2022年2月に正式に信仰を持つに至りました。
そしてとりあえずは、RAPTさんが配信される朝の祈り会と有料記事の過去の分を全て学び終えましたので、再び最初から学び直しているところです。
すると、当時(2年ほど前)の私では、ただ漠然と聞いていた話も、今となっては内容がよく理解できるようになりました。
当時の私は、聖書の内容もまだまだ把握できておらず、RAPTさんが御言葉の中で聖書の言葉を引用して語られていても、いまいち理解できずに聞いていました。
今では聖書については15回ほど通読できていますので、ほとんどの内容がすぐに分かり、比較的悟ることも出来ているように感じます。
その中で、改めて「神の国と神の義を第一に求めること」の重要性を悟ることが出来ました。
私は20代前半から、体調不良(原因不明の胃腸障害)に陥ったことがきっかけで、金銭的に堕落するようになりました。
仕事をしなくなった、という意味ではなく、借金する癖が付いてしまいました。
大学の悪い仲間とつるむようになり、パチンコ三昧の日々を送り、ろくに大学の授業に出席しなくなりました。
あまりにもパチンコ(パチスロ)に嵌ってしまい、借金してまでやり出す始末でした。
そして借金返済のために仕事をして稼ぐ日々を送ってしまい、遂には大学を中退する羽目になってしまいました。
熊本の運送会社に就職することになりましたが、両親に借金の肩代わりをしてもらったにも関わらず、再び自堕落な私生活を送るようになって借金を繰り返し、勤務先を夜逃げするような形で退職してしまいました。
その後、福岡にて警備業界で本格的に仕事をするようになったのですが、相変わらず金銭的堕落は解消されませんでした。
ただ、その感覚が変化した最初のきっかけは、以前の勤務先で運営のトップを任されるようになった2011年でした。
私はその時、自分のことは二の次で、会社のこと、従業員のこと、取引先のことなどを優先して仕事に当たりました。
それまでの私は、少しでも多く収入を得たいという欲を強く持っていました。
収入を得て、ギャンブルや女遊びなど、心ゆくまで遊び呆けたいと思っていました。
実際に運営のトップになったわけですから、高い給料を貰える位置に到達したと言えるでしょう。
ところが、いざその位置に立って仕事をするようになり、他者のことを優先するようになると、不思議とそれまで抱いていた金銭欲が消えたのです。
消えたというのは語弊があるかもしれませんが、強烈な金銭欲があったのに、自分の給料のことはどうでもよくなったのです。
今にして思えば、他人の益になることを優先的に考えながら行動していたので、自然と悪い欲望が取れたのでしょう。
知らないうちに聖書の教えに沿った行動があった故だと思います。
しかしながら、社長と考えが合わなくなり、自ら運営トップの座を降りました。
そうなると再び、自分のことを考えて仕事も生活もするようになりましたから、これまた不思議と金銭欲が復活してしまいました。
それまでにかなり減っていた借金も増えてしまいました。
そして2018年に独立を果たすことになるのですが、その2年後の2020年にRAPT理論に出会い、御言葉に出会ったお陰で着実に借金も減っていき、徐々に金銭に対する執着心も薄れてきました。
タイトルに「金銭欲が正常化した」と表現しましたが、自分のためにお金を使いたいという欲求が治まった、ということです。
実を言いますと、会社の経営悪化のため個人的に借金をしました。
以前の私であれば、自分のために借金をすることはあっても、他人のために借金をすることはありませんでした。
勿論、借金というのは決して良くありません。
本来ならば、借金をしなければ継続できない経営ならば、倒産させた方が良いとさえ思いました。
これは決して自暴自棄したわけではなく、純粋に神様の御心ならばそうしようと考えたに過ぎません。
だから、精神的に病むことは一切ありませんでした。
ただ、祈りの中においても、悪霊と繋がっていなければの話ですが、「会社を辞める必要はない」という霊感が常に来ていたので、借金をしてでも存続させる道を選択したのです。
その甲斐あってか、現在では順調すぎるくらい仕事の受注が安定していますので、現時点では正しい霊感を受けていたものと思われます。
更に、経営悪化のために私自身の報酬をかなり減額したのですが、以前の私(信仰を持つ前の私)であれば絶対にできなかったでしょう。
なぜならば、下手をすれば従業員よりも収入が低くなる場合もある金額設定にしたからです。
実際に今年の9月は、従業員全員(3名しかいませんが。)が私の給料より多く稼ぎました。
経営者の中で、従業員より給料が安いことに堪えられる人が、この世の中にいるでしょうか。
しかしながら、私にはそのことが一切気にならないのです。
むしろ、このことを神様がどう見ていらっしゃるかと、そればかり気にしています。
しかも、減額した給料で生活が苦しく感じることは一切ありません。
実際に、さきほど紹介した聖書の中にも、以下のようにあります。 新約聖書 テモテへの第一の手紙6章8節 口語訳 ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。
今の仕事は、やはりどこまでも悪魔の主管圏にありますから、その世界でお金を稼ぐことができても、その時は良くても、長い目で見れば地獄を味わうことになるのは必定です。
名実ともに神様の主管圏でお金を稼ぐようになった時に、本格的に富が与えられると信じています。
だから、悪魔の主管圏にいる人々と比較すること自体、私にとってはナンセンスなのです。
ちなみに、私個人の借金の返済は月々55,000円ですから、決して低い額ではありません。
何せ、手取り額は20万円を下回っていますから。(笑)
現在では会社の売上も伸びていますので、神様からの祝福の一つだと思って、毎日感謝を捧げています。
このように、お金に対する感覚が以前と比べると180度変わったと言っても過言ではありません。
RAPTさんも御言葉の中で、神様を一番に愛することで自分の霊が成長し、それによって罪を犯しにくい体質になる、と仰ったことがありました。
まさに、私には一つ、それが備わって来たと言えるでしょう。
ちなみに、パチンコなどのギャンブルは、2021年8月に一切を断ち、それ以降、ギャンブルへの欲望は一切湧きません。
次回は、異性的堕落からもかなり回復しつつある話をさせていただきたいと思います。
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