タイトルの見出しだけ見ますと、RAPTさんのことを批判的に書くかのように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではなく、改めてRAPTさんが神様の使命者であることを確信できる、というお話になります。
私はRAPTさんが仰せになっていた「2023年から地上天国が始まる。」という御言葉を、2023年の年明けから実感していました。
RAPT有料記事723(2023年2月25日) 2023年からは、実質的に地上に天国を作っていく時代だ。そして、地上天国は一人では作ることができず、中心者や兄弟姉妹と共に作ってこそ実際に作ることができる。
RAPT有料記事721(2023年2月12日) 2023年に入ると、人類に対する刑罰の期間が終わり、千年王国の時代に入る。千年王国の祝福に預かることができるように、心から全ての罪を悔い改め、希望をもって神様に近付いていきなさい。
そこで、神様とRAPTさんへの感謝の気持ちを行動で示すためには献金しかない、と思い立ちました。
それまでは献金をどうするか悩んでいました。
私の中に少なからず「勿体ない」という気持ちがあったということでしょう。
RAPTさんが御言葉の中で、「献金は神様やRAPTさんへ感謝を伝える一つの手段である。」と仰せになったことがありましたが、その御言葉がずっと頭に残っていました。
RAPT有料記事281(2018年6月2日) 人の心に主への愛があるなら、その愛はいずれ必ず形に表れる。
また、献金は伝道を助ける行為でもあるというRAPTさんの御言葉を聞いて、その当時の私は、伝道としては何一つとして行っていませんでしたので、決心することができました。
ちなみに、このブログを書き始めたのは2023年1月からでした。
「何か新しいことを始めなさい。」という御言葉が宣布されていたからです。
RAPT有料記事731(2023年3月27日) 父しかいなかったときと、父と母がいるときとでは、できることが全く違うから、神様だけでなく、聖霊様にも祈り求め、新たな構想をいただき、新しいことを始めなさい。 ※この御言葉は2022年12月の朝の祈り会で伝えられた御言葉になります。
情報拡散と証の一環としてブログを始めたわけですが、やはり献金も必要なことだと悟りました。
そこで2023年2月から手取り給与の1割をRAPTさんへ献金することに決めました。
聖書にも以下のように記述があります。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香(ういきょう)の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。 新約聖書 マタイによる福音書23章23節
すると、途端に艱難が起きたのです。
それまでは霊的にも肉的にも恵みに満たされていた毎日を過ごしていたのですが、献金をきっかけに肉的な恵みが奪われ出したのです。
おそらくですが、サタンにとって私の献金という行為が、脅威になったのではないでしょうか。
過去の記事にも書きました通り、私は金銭的に堕落した人生を送り続けていました。
献金という行為は、ある意味では金銭的堕落から解放される一つの手段だと考えられます。
金銭に対する執着心があれば、献金は簡単にできるものではないからです。
特に、自分の利益を求めていれば一時的に出来ても、継続的には難しいでしょう。
それをサタンに試され出したのではないかと、今となっては思います。
旧約聖書のヨブ記には、サタンが義人であるヨブを試すシーンが明確に書かれてありますので、ご紹介します。
ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。主はサタンに言われた。 「お前はどこから来た。」 「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました。」とサタンは答えた。 主はサタンに言われた。 「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」 サタンは答えた。 「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」 主はサタンに言われた。 「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし、彼には手を出すな。」 サタンは主のもとから出て行った。 旧約聖書 ヨブ記1章6~12節
これにより、ヨブは肉的な祝福をサタンによってことごとく奪われてしまうのですが、霊界では神様とサタンがこのようなことを繰り広げているわけです。
私のことをヨブと同等と考えることは大それたこととは思いますが、このように神様もサタンも、信仰者の信仰を試す時があるということです。
正直なところ、私がそれほどまでにサタンから脅威に思われていたかどうかは分かりませんが。
まず、実際に献金をした1週間後、私が2021年に出会って一目惚れした女性(コンビニの店員さん)から、突然あたかも嫌われたかのような態度を取られたことがありました。
あからさまに私を避けた行動を取ったのです。
そのようなことは初めてでした。
そのような態度を取られたのは、その時だけでしたが、当然ながら、当時の私のショックは計り知れませんでした。(笑)
更に献金をした2ヶ月後、何の前触れもなく突然、父親から絶縁メールが届いたのです。
過去の記事にも書きましたが、その内容が明らかにサタン的なものでした。
神様を取るのか身内を取るのか、という選択を迫る内容でした。
父がそのような話を突然してくること自体、不自然極まりなかったのです。
キリスト教を巡って、それまで何度も口論を繰り返したとか、そのようなことがあれば理解も出来る内容でしたが、父とは、RAPT理論やキリスト教に関する話を、ほとんどしたことがありませんでした。
当然ですが、神様と身内を比較して、私に選択の余地はありません。
言うまでもなく、神様を選んで身内との絶縁を決断しました。
明らかに、サタンが父親を使って私を攻撃したということです。
更に、その年の8月と10月に従業員が退職するという出来事が起きました。
我社は当時、6人(私を含む)しか従業員がいませんでしたから、2人を失うというのは、我社にとっても相当に痛いことでありました。
例えば30人中2人であればそこまで痛くないでしょうが、6人中2人は説明するまでもないでしょう。
加えて、従業員の退職も一つの要因となったかもしれませんが、その年の我社の業績は著しく悪化し、最終的には大赤字になってしまいました。
更に、その年の9月には、さきほどの女性(コンビニの店員さん)がお店を辞めてしまい、彼女との関りが完全に絶たれてしまいました。
ある意味では、2021年~2022年にかけて神様から頂戴したささやかな祝福が、2023年にいっきに失われるという憂き目に遭ったわけです。
ちなみに、身内との断絶があった直後、疎遠となっていた実の母と再会する機会が訪れてお互いに喜んでいたのも束の間、その年の年末には母の旦那さん(再婚相手)が亡くなるという出来事が起きました。
旦那さんも私との再会を大変喜んでいて下さって、私に会うために母と一緒に、わざわざ宮崎から福岡へ来ることもあったほどに元気だったので、信じられないほどの突然の死でした。
このように、2023年に起きた私の出来事は、幸福よりも不幸なことが多々起きたわけです。
このような私の境遇に遭えば、誰だって絶望感に苛まれるのではないでしょうか。
しかしながら不思議なもので、このような艱難があっても、精神的に落ちるということは全くありませんでした。
勿論、一時的に絶望感に陥ったり、怒りに陥ったり、ということはありましたが、全く引きずることはなく霊的な恵みが失われている感じはありませんでした。
だからこそ、RAPTさんへの献金をやめるには至りませんでした。
ただ正直に言いますが、RAPTさんへの献金をやめようかと考えたことはありました。
これほどまでに肉的に不幸な事ばかりが起きたわけですから仕方のないことかもしれません。
しかしながら境遇は違えど、旧約聖書のヨブ記に励まされたことも確かです。
ヨブに比べれば、私はまだまだ艱難のうちではないでしょうが、これらの出来事の中で、サタンから「献金をやめろ」と囁かれている感じは受けました。
信仰が試されていると考えた私は、RAPTさんへの献金をストップすることはありませんでした。
もしも私が、自分の利益(祝福を得ること)を求めて献金を行ったとすれば、これらの出来事に耐えられず献金をやめていたことでしょう。
不思議なもので私には自分の利益を求める気持ちが余りありません。
全く無いわけではありませんが、献金を行う目的の一番が感謝であるからこそ続けられるのです。
今の私は、肉的な祝福をそれ程いただいているわけではありません。
むしろ、私を見る周囲の人達は、私が祝福を受けているようには全く見えないでしょう。
会社も極めて小さいですし、私自身も現場では人から馬鹿にされるような時さえあります。
時として、信仰が揺らぐこともあります。
私の信仰歴は、たかが3年しかありません。
私の霊的年齢はそれこそ3歳程度でしょうから、肉体でも3歳児には何もできませんから、肉的な祝福が無いからといって必要以上に落胆することはありませんし、簡単には信仰も破綻することはありません。
最後に、RAPTさんへの献金を行ったことによって、なぜRAPTさんのことを神の人であると確信できたかと言いますと、私の中に霊的な祝福が増し加わっていると感じたからです。
例えば、献金を行ったことで我社が急に繁栄し出したとか、身内が急に理解を示してくれるようになったとか、私の努力と関係なく肉的な祝福が与えられていたならば、逆にRAPTさんのことを疑っていたかもしれません。
なぜならば、キリスト教を信じる最大のメリットは、霊魂の救いを受けることだと考えられるからです。
皆さんは、私のように失恋、勘当、侮辱、倒産寸前、などの境遇に遭った時、精神的に元気でいられるでしょうか。
ましてや、傍に助けてくれるような友人や身内といった人間の存在がいないのです。
しかしながら不思議なもので、孤独感に苛まれるということが全くと言っていいほどありません。
精神的に元気でいることが出来るのは、霊的な祝福があればこそなのです。
神様が与えて下さる三大祝福が、霊魂の成長、結婚、万物主管(肉的祝福)であり、肉的な祝福は順番として最後に与えられるものです。
霊魂の成長無くして、結婚と万物主管の祝福は有り得ないのです。
このことを悟れないと、いつか信仰が破綻するでしょう。
現実に、私は霊魂の成長を感じながら毎日を過ごしています。
RAPTさんのへの献金を行ったことで、肉的には失うものがあったけれども、むしろ霊的には恵みに満たされることが多くなりました。
それこそ、肉的な祝福はサタンですら人間に与えることが出来ます。
実際にイルミナティ(悪魔崇拝者)のこれまでの繁栄を見れば分かることでしょう。
しかしながらサタンには、霊的な祝福を人間に与えることは絶対に不可能です。
ちなみに、サタンが人間に与えることのできるものをご紹介します。
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたようにここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことは出来ません。 新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章19~21節
霊的な祝福を与えることが出来るのは神様だけです。
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。 新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節
だからこそ、献金を通してRAPTさんのことを神の人だと確信できたわけです。
今回の記事は決してRAPTさんを批判するためのものではないとご理解いただけたのではないでしょうか。
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章25節
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